自由になりたくて《2》~人らしく生きる,それを知る
自由を希求し、放浪が高じて、海外協力隊へ参加した吉田直美青年(現在、岩手県在住・1967年生)は、派遣先で貨幣経済に縛られない村の暮らしを体験することに。日本の社会で、そんな暮らしが出来ないか、彼の模索が始まっていく。
自由に生きるには、何から始めることなのか?
「自由になりたくて」シリーズ2です。
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自由になりたくて《2》~人らしく生きる,それを知る
放浪が高じて,今から四半世紀前に青年海外協力隊に参加して,海外で暮らす経験をした。日本の暮らしから抜け出して,自由に生きたいという思いも強くあった。
自分が派遣されたその村は,日本でいうと縄文の時代のようで,国の社会システムや貨幣経済からはだいぶ距離を置いた生活をしていた。しかし,熱帯の土地柄,食べるに困らず,住むに困らず,着るものもそんなにいらないといったように,暮らしに必要なものは,最低限,自然の恵みによって賄われていて,村人は日々,いろいろあるものの,概して幸せに暮らしていた。社会システムや貨幣経済といった価値観に縛られないその暮らしぶりは,日本社会の縛り感がすっかり身についた自分からは,まさにパラダイスのようで,自由な暮らしがここにあると感じて,2年間を過ごしてきた。
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自分が自由に生きるには,社会システムや貨幣経済が根深く浸透している日本では無理で,あの村に帰らないとそう生きられないと,帰国後ずっと思っていた。しかし,震災を機に,この日本で,あの村の人たちのように,自由に生きていきたいという思いを強くして,そのようなモデルロールがないかと探してみた。そこで出会ったのが,三重県にあるアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティであった。そのコミュニティに初めて行ったときは,そこに流れる空気感と,あの村の空気感とが相似していることに衝撃を受けた。そして,そこがこの日本にありながら,なぜそんなに自由な雰囲気が流れているのか,興味をもって色々と尋ねた。
あれから6年ほどが経つが,鈴鹿コミュニティの人たちと,あの村の人たちとが相似しているベースには,双方の人たちが,人らしく生きているという根源的状態があるということに気がついてきた。自由な雰囲気というのは,それ自体を創ろうとしてそうなっているのではなく,人らしく生きている現れとして,自由な雰囲気が醸し出されているのではないかと。そして,鈴鹿コミュニティで行われている気づき,成長する場に触れるにつれ,人らしく生きられるようになるには,そうなっていない現状を知って,そもそも人とはどういうものなのかを知っていくことに尽きるということにも気がついてきた。極端な言い方をすれば,知るだけでそうなる,つまり,知ることで,自分の意識の囚われから解放されていき,気持ちが自由になっていくということを体感してきている。自由になりたいならそうなるように努力する,というのではなく,ただ知るだけで,自然な,自由な人として生きていけるようになる,というのは本当に楽なことだ。人らしく自由に生きる,そのためには,人を知るというところから始めてみるといいかもしれない。
(3へ つづく)
自由になりたくて 1 ~意識の囚われからの解放
自由になりたくて 2 ~人らしく生きる,それを知る
自由になりたくて 3 ~人の心に焦点が当たっているか
自由になりたくて 4 ~自由になるのは難しくない
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