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「循環共生とは何か」内藤先生講座 第2回目開催

「なぜ地球環境の危機が生じたのか」
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先回に引き続き第2回目の講座が3月17日に行われた。今回は、「なぜ地球環境の危機が生じたのか」といったテーマ。
そんなのは、人間の活動が地球規模になってきたからだろう、石油資源を使い過ぎたからだ、と一言で終わらせてしまえば、それまでだが、学者はその原因を科学的に論理的に紐解いてくれる。そして、原因を探究することで、これからの私たちの歩むべき道が見えてきそうなのだ。
細分化された学問の弱点
内藤氏によれば、現在の「地球環境問題」という大規模な問題の本当の原因を診断するのはなかなか困難だという。
なぜなら、いまの学問のあり方は、あまりにも細分化されすぎ、小さな領域でそれぞれの学者が自分の研究に手一杯で、分野を越えてグローバルにとらえ、学問・探究していくという方法は好まれないようだ。木を見て森を見ずの状況に追い込まれていると言えるだろう。

これに対し、内藤氏は、様々な分野を網羅しながら、いまの「地球環境問題」をとらえ、研究されている。しかし、一般の学者に言わせると「そんなのは学問ではない」らしい。
そういった原因もあって、地球環境の危機について、実のところは、正しい診断や療法が見出されていないという。

「なぜ地球環境の危機が生じてきたのだろうか?」
といった、問いについても、その原因を探究すると、様々な要素が複雑に絡み合い、地球規模という現象に現れてきているとも言えるだろう。
簡単に、人間の経済活動によるツケである、とか、石油エネルギーをわずか100年ほどで大量に消費したからだ、と片付けてしまうこともできる。
しかし、このような社会にしてきた因果関係や原因もあり、そこを紐解いてみると、以外なことが見えてきたりする。
内藤氏の話によれば、このような人間活動の巨大化が起こったのは、モノの豊かさを求める人間の欲望が元にあり、その欲望は、市場経済の中で人為的に作り出されたもので、この大量消費を可能にしたのが、安価な石油に支えられた現代技術なのだと。

「欲望」と「経済競争」と「石油依存の産業技術」が相まって大量消費文明を作り上げている、ということだ。

現代の技術進歩は、どんな社会をつくってきたのか
そもそも技術の発達は、ヒトの暮らしを豊かにするものであるはずだと思うが、歴史的に見ると、皮肉なことに、戦争のために急速に発達したことが伺われる。そして、現代においては、ヒトの心と体に対しても深刻な影響を与えている。

内藤氏の言葉を借りると――
「技術とは、本来ヒトが個人として持つ身体能力を助ける手段だから、ボタン一つで遠くのものが見え、スーパーの棚では欲しい物が即座に手に入る。これまで他人の力を借り、自然の恵みをいただくことで、ようやく可能であったことの何倍もが技術によって簡単に出来るようになった。
 このとき、ヒトは他人や自然の恩恵を感じなくなり、それに代わって必要となるのはお金だけとなった。その結果、感謝や協力、我慢や畏敬といった感覚も不要になってきたのでしょう。」

便利さはヒトの心を貧しくする?
便利になればなるほど、見失われていくものがある、とも言えるだろう。便利になり、短時間で済ませ、余った時間を、何に使うのか? 更に他人との競争に使えば、死に急ぐようなものだ。私たちにとって幸せとは、豊かさとは、何だろう? そんな問いかけが自然と浮かぶ。
この根本的な問いに対しては、それぞれが感覚的にとらえて、自分なりの答えを見つけて生きているというのが今の世の中であるようにも思う。
あるいは、常識的な幸せや豊かさ、快適さを求めているが、その結果が、地球環境の危機という問題として跳ね返ってきているとしたら、本当に私たちは、考え直さなくてはならない。
私の幸福は、子々孫々まで続くものかどうか?と。あるいは、便利さと反比例しない心の豊かさの解明が急がれる。(ここはサイエンズ研究所に期待!したい)

コミュニティの規模がヒトの心にも影響
今回の講座の後半で、コミュニティの規模について話題になった。
ヒトの顔がわかる範囲であれば、ヒトは、そんなに悪いことは出来ない。ところが、地球規模にまで問題が広がると、自分一人ぐらいなら、してもしなくても影響ないだろう、という気持ちになりやすい。一つのコミュニティの規模によって、ヒトの気持ちのありようも違ってくるというもの。顔が分かる範囲とはどのくらいなのか。150人ぐらいならどうか、という案が出ていた。
そのくらいでコミュニティ経済をつくり、自給自足で、金の不要な社会基盤をつくっていくのが理想ではないか、と。現在の市場経済や税金で営まれている公共社会の基盤に、実は近隣どうしで形成しているコミュニティがあり、そこは本来は自給自足で営まれるものではないかと。そして、そのコミュニティ基盤をどうつくっていくか、どのようなものなのか、が更なる研究課題でもある。(取材・記事:岩田)
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