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新連載【アズワンネットワークメンバーの近況】

今月から新連載【アズワンネットワークメンバーの近況】と題して、各地で活動するネットワークメンバーの今に焦点を当てて、紹介していきたいと思います。

紹介してほしい人や、サイエンズスクールのコースで、一緒だったあの人どうしてるかな? また私の近況をお知らせしたい!など、是非お寄せください。

第一回は、山梨県北杜市の木村浩昭さんです。
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「自分を知る」 木村浩昭

私は、熊本県で海産物卸問屋を営む父のもとで生まれました。
熊本の大学を卒業後、親には背いて商売の道を歩まず、まちづくりの仕事がしたくて上京しました。

当時まちづくりを学ぶのに専門学校の環境デザイン科の夜学に通おうと思い、昼間は家具制作会社のバイトを始めましたが、そのまま丁稚小僧に入り家具職人になってしまいました。

その後、店舗やマンンションの内装工事を手がけ、平成元年に今の山梨県北杜市小淵沢町の八ヶ岳山麓にログハウスを作る仕事をするために移住しました。
ゆくゆくはこの地に理想のまちづくりをしてみたいという夢がありました。

27才の時に工務店として独立創業、経営も順調に伸び、創業15年で売上4億6千万に達成しました。
そんな折突然の出来事なのですが、雷の直撃を受け死にかけたことがキッカケで、今までの価値観が逆転してしまいました。

経済優先の人間至上主義の考え方から、地球や大地、環境優先の考え方に逆転してしまいました。
今まで家を建てるのに伐採した分以上の木を植えようと思い、突如木の実を拾い、苗木を育て、木を植えることは始めたのです。それが高じて森林再生のNPO法人の設立となり「種から家まで」をスローガンに1次、2次、3次産業を一本化した地産地消の地域循環型6次産業のモデルを構築して、通産省や国交省から助成金を受けるようになりました。

しかし活動を続けるうちに、本当に木を植えることで地球環境が良くなるのか? という壁にあたりました。
何箇所もつぶさに森林の植生調査をするたびに、日本の樹種数の多さには驚かされます。
約100㎡の小さなプロット内で、草木から高木に至るまで360種以上あるのです。ドイツは60種くらい、アマゾンの熱帯雨林に関してはさらに少ないとのことです。
ですから、アマゾンや砂漠した大地に木を植え、再生させることは有効ですが、日本の場合は皆伐しても自ずと元の森に戻る世界的にも希有な地力を持っているのを知ってしまいました。

そこで木を植える活動を一旦停止しました。本気で地球環境を良くするには、まずは人間の自然に対する意識と理解、そして自然との関わり方から変えていくことが先決と思い、先人たちがどのように自然と向き合って生活してきたかを学ぶためにミクロネシア、フィリピン、台湾の先住民族の地を渡り歩き、実際に彼らと共に生活しました。

そして47才の時、日本の森の民、先住民族アイヌの長老との出会いをキッカケに、会社やNPOなど全組織を引退して、更なる探求のため北海道に移り住むことにしました。
結局4年も北海道で暮らすことになりましたが、多くのことをアイヌの長老たちから学びました。
中でも世界中の先住民族の共通点なのですが、とにかくことあるごとに祈ることです。アイヌでは「カムイノミ」と言います。祈りこそが自然の神々と一体化する原点で、人間(アイヌ)の願いが無事に成し遂げられることへの予祝であり、そのための強力な集団意志宣言(誓い)だったのです。その名残が神道として受け継がれていることを知りました。

その後山梨に帰り、神道(古神道)の学びを始めました。
同時に理想のコミュニティーづくりを目指して、塩山市で農場を立上げ、ススキの野原の開墾から始めたり、微生物を使った土壌改良の実験をしたりしましたが、農業でコミュニティーを運営していくのは私のような素人には経済的に厳しいことを体験しました。

そんな折、アズワンコミュニティーの知人を訪ね、アズワンセミナーに連続で参加させて頂き「社会を知るコース」まで受け多くの学びを得ました。

がやはりまだ独自のコミュニティーづくりを諦めきれなくて、次に取り組んだのはデジタル工作機械を使った物作りです。自分たちで使う物を自分たちで生産し、同時に販売して利益を出しコミュニティーを運営していく作戦でしたが、実際に中国製品との価格差を埋めることはできません。
ネットを使った物販にも取り組もうと挑戦しましたが、中々思うようには行きませんでした。

大学時代のまちづくりの夢から始まって、理想のコミュニティーづくりまで30年、今まで色々と探求し、取り組んできましたが、金銭的にも底をつき、今年の6月にそれらの思いを断念しました。
しばらくは、糸の切れたタコ状態でほとんど何も手につかない状態でした。

とりあえずは、目先の現実として家族を養っていくのが先決ですから、セブンイレブンかヤマト運輸でも面接に行こうかと思ってました。
そんなとき、知り合いの工務店の社長から「木村さんは時間を切り売りしたらいけない」と怒られました。
そして、うちで売りたい商品があるのでそれを販売してくれませんかと言われました。
それをやるにあたって、その社長は私に次のような二つのお願いをしました。
(以下、原文)
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木村さんには二つお願いがあります。

ひとつが、「自分の考えが正しいと思わないこと。」
二つ目が、「過去(今日より前)のことは良いことも悪いことも忘れること。」

この二つ心に置いてやってみてください。
心が軽くなり、自由になれます。
そして新しいことを学び、吸収できるようになれます。

私はそう思ってやっています。
間違っているかもしれません。
でも、間違っていたら直せばいいだけですので気楽です。

人を良くしようと思わなくても、自分が良くなれば周りも良くなります。
焦る必要はなく、自分のペースでやるのがベストです。

よろしくお願いします。

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自分を見失い気味だった私は、この言葉に救われました。

今まで私は、森林再生の環境活動をしたり、農場や林業をしようとしたり、コミュニティー運営のために事業を回そうとしたり、自分の周辺をなんとかしなくてはとばかり考えていました。

今それらにこだわらなくなることによって自分がすることは、「自分を探究し、経験し、自分とは何か! を知っていくこと」、それが一番大切なことだったと気づきました。

そうしたら不思議なことに今までうまく行かなくて滞っていたことが、また新たに進み出す奇跡が起き始めました。

今思うと、幸せな社会ができないのは社会の問題とか、教育とか、政治とか、日本の社会構造そのものが少数の意見を抑え込み正しい取り組みにブレーキをかけていると思い込んでいましたが、実はそのブレーキをかけていた張本人は自分自身でした。すなわち、「自発的服従」であり自作自演だったのです。

また、環境活動において地球を救おう!と言ったりしましましたが、実は地球は助けてとは一言もいってないのです。地球誕生以来、惑星の衝突時代は炎の星、全面結氷のときは氷の星、色んな状態にあっても平然と自転を続け太陽系の軌道を逸脱せずに周りつづけています。地球は何があろうとびくともしません。

逆に救うべき対象は人間そのものであり、そのためにはまず人間一人一人が自分を知り、良くなることから始まるのではないでしょうか。

毎日が楽しく面白くなってくると、自然と創造の力が湧いてきて自分の生産性も上がってきます。
それが周囲の経済につながり、自分にお金が帰ってきます。

一人一人が自分らしく本来の姿で生きながらにして経済効果も生まれるとなると、次の新しい社会への希望とヒントが見えてきます。

2019年正月にBS1スペシャルで放映された、「”衝撃の書”が語る人類の未来~ホモ・デウス~」 で、インタビューアーが著者のハラリに向かって、私たち人間が未来に向かってやるべきことは何でしょうか?という質問に対して、

最も大切なことは、自分自身を知ることだと思います。

月並みかもしれませんが、自分が何者であるのかを理解することです。

テクノロジーを追い求めるだけでなく現状に満足する方法を学び、自分の内なる考えを深く理解することに時間を使うべきなのです。

あなたの心はどんな声を発していますか?

あなた以外にあなたを理解できる人は誰もいません。

他の誰もあなたの頭の中をのぞいて見ることはできないのです。

とキッパリと返答したのを今でも明確に記憶してます。
今はその意味が少し分かりかけてきたと同時に、アズワンの「自分を知るコース」にもう一度参加してみようかなと考えている今日この頃です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

木村浩昭
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