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次の社会創造】 連載第6回  争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

次の社会創造 連載第6回
【争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ】
サイエンズ研究所  小野雅司
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次の社会創造
~争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

小野雅司

第1章 

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連載第6回
第二章
3.人を聴く ~心が通う話し合いとは

快適な社会生活を営むためには、話し合いは不可欠だと思います。その話し合いが上手く機能しないことから、不快な気持になったり、対立や争いなど様々な問題を惹き起こすことにつながっていきます。
話し合いが本来的なものになることで、私達は安心した状態で、知性を発揮することができ、その結果、様々な問題に対しも、一時しのぎではない、本質的な解決の方向に進んでいけるのだと思います。

本来の話し合いになっていく上で、一番の要になるのが、「聴く」という要素です。それは、単に言葉や表面的な気持や考えを聞くのではありません。その人そのものを理解する聴き方、つまり「人を聴く」ことで、心から通じ合える、人を尊重し合う豊かな話し合いが実現されていくのです。

この聞き慣れない「人を聴く」というフレーズは、アズワンコミュ ニティを創る試みの中で、本当の話し合いを探究する中で生まれてきたものです。(今は、サイエンズスクールの中で、誰もが学べるようになっています)
「人を聴く」ってどんなことでしょう?
人の話を聞くでもなく、言葉を聞くでもなく、人を聴く。

日常の会話や話し合いの場面でも、言葉を尽くしても何か通じ合えない、とか、すれ違ったりとか、話題は盛り上がるけど何か物足りない、時には、苛立ちを覚えたりすることがあるかもしれません。また、意見が違うことから対立したり、相手の言葉に傷つけられたり、腹が立って言い争いになったり・・・。
また、「そうそう」「一緒だね」と共感したり、同調しているように感じることでも、言葉の上で、表面的なところでの反応に過ぎない場合も多々あるようです。
私たちが言葉に出来ることは、思いや気持のごくわずかな部分をその人なりの表現で表しているにすぎません。しかし、言葉がその人の気持や考えだと思い違いしやすく、言葉でその人が分かったつもりで反応してしまい、感情的になったり、行き違うことも多いようです。

講演会などで、参加者の人に、「なぜ話し合えなくなるのか?」という質問をすると、よく「意見が違うから対立になってしまう」という答えが返ってきます。
ゼロから考えてみましょう。「意見が違うのは、多様な視点があっていい」「違う意見があるからこそ発展する」という観方もありますね。意見が違っても、「そうだねー、どっちがいいかな~?」と親しく話し合っている人もいますね。
意見が違うから対立するということではないと思います。自分の意見を「絶対に正しい」「~ねばならない」とする「キメつけ」があるから対立するのだと思います。自分の考えを「正しい」「~ねばならない」とする頑固さが対立の根本原因だと思います。サイエンズメソッドによると、この頑固さの原因も、調べて簡単に取り除くことができます。頑固さがなくなると、どんなに意見が異っていても、楽しく、却って面白く話し合えるようになっていきます。

どの人にも、その人独自の世界があります。
自分の意見と同じように感じても、また違っているように感じても、自分とは異なる、自分には知りえないその人独自の世界があるのです。その人が培ってきた経験・知識・体験・人間関係・感情などで形成されてきたその人の世界です。
それは、誰からも否定も肯定もできない、そのままそうでしかない存在だと思うのです。そういう世界があることを知り、それを理解しようとしていくことが「人を聴く」という営みだと思います。
相手にも自分の世界を知ってもらい、共に考えていくのが話し合いだと思います。
意見が異うからこそ、その人の世界を知りたくなるし、異った観え方を知ることで、より世界を豊かに深く知っていける話し合いが生まれてきます。

今の社会は、「言う」ことにすごく重点が置かれている社会だと思います。日常の会話を観察してみると、多くの人が「言おう」「言おう」としているように見えます。安心して聴いてもらう体験が少ないのかもしれません。また、「聴く」ということの意味や、その潜在力についての理解がまだまだ足りないようにも思います。
「聴く」ということは、テクニックやスキルではありません。
聴いてもらうことで、人は安心し、満たされていくのだと思います。
聴いてもらうことで、自分の本心に自ら気づいていけるのだと思います。
聴いてもらう喜び、聴く喜び。喜びで満たされ合う話し合いが始まります。

その人そのものを知りたい、私そのものを知ってほしいというお互いが、「その人」を聴き合おとする営みが始まります。互いに知り合い、理解し合う中から、新しい「何か」が生まれてきます。なんでも聴き合えるお互いになることで、隔てや対立のない、安心した人間関係がつくられていきます。
何を言ってもいいし、言わなくてもいい。何を言っても、否定されない、拒絶されない、怒られない、頑張らなくていい、いいことを言わなくてもいい。人に合わせなくてもいい。気を遣う必要がない。そのままの自分でいられる。
それが安心できる人間関係だと思います。そして、これが争いのない、誰もが親しい、本心で生きるコミュニティのベースになっていくのです。

この内容に興味がある人には、『人を聴く--心が通う話し合いとは』(SCIENZ No.2)という僕の著書がありますので、ご一読ください。
『人を聴く--心が通う話し合いとは』(SCIENZ No.2)はこちらから

また、サイエンズスクールのコースの中には、「人を聴くためのコース」として位置づけられています。
サイエンズスクールの詳細はこちらから

4.心通う話し合いがすべての問題を解決する! ~持続可能な社会は、持続可能な人間関係から

「このような話し合いができるのは理想かもしれないけど、現実的には無理だよ」と思われる人もいるかもしれません。しかし、そこをあきらめて、現実問題に対処しようとしても、本当に話し合うことができないために、解決に向かわないことが多々あるのではないでしょうか?
問題の解決を急ぐために、却って人間関係をこじらせ、話し合いができなくなってしまい、「人間は意見が違ったら対立する」、「利害関係があったら争うしかない」などと、あきらめ的に思い込んでしまっている人が多いのではないでしょうか?
前述したように、そこをゼロから見直して、話し合えない原因、対立する原因を探究して取り除いていくことが大事だと思います。話し合えるようになって(話し合える人に成り合って)から、話し合う。すると、話し合いがスムーズに展開してくのです。こういう観点が今の社会では抜け落ちている、または徹底していないのだと思います。サイエンズメソッドによって、対立感情・悪感情から解放され、誰とでも親しい関係性を持てるようになると、どんな人とも、どんなテーマでも、心通い合う話し合いが実現できるようになります。持続可能な社会は、持続可能な人間関係から。つまり、心通い合う話し合いができる人間関係が持続可能な社会のベースなのです。

環境問題なども、利害の対立を超せないことから、解決策が見いだせないことが多々あると思います。それぞれの立場を固く守り合っていては、心通い合う話し合いは実現しません。自他を縛り合うキメつけから解放され、それぞれの立場を理解し合うことができれば、自分も含め、周囲・後代の人達にとって本当に良いと思われる道を見出すことは、そう難事ではないでしょう。互いに理解し合えれば、あらゆる技術やメソッドが真の解決のために活かされ、役立たすことができるようになるでしょう。
また、人間が作り出した固定したフィクションから解放されたお互いで話し合うことで、モノも人も自在に活かし合えるようになります。第三章2. お金の介在しない経済の試み で詳細を紹介したいと思いますが、所有や交換・報酬から解放された世界では、ムダなこと、捨てるモノがどんどんなくなっていきます。売り買いがないだけで、ムダな計量や包装がなくなります。そして、お金のやり取りやその記録や経理が要らなくなります。個々に買い物したり、調理もしなくていいので、エネルギーや時間もムダにならなくなります。アズワン鈴鹿コミュニティでは、都市での暮らしながら、エコロジカルフットプリントで計算した資源利用量は、日本の平均をかなり下回る結果が出ています。

自殺や引きこもりの問題も、今の社会の様々な問題が絡み合った結果として生じていると思います。自殺する人や引きこもっている人だけの責任ではありません。そのような行動に至る心の状態が周囲の環境で形成されたり、その人を受け止めたり、真に理解する環境がないことも関連しているでしょう。
人間の考えで作り出したフィクション、つまり、こうすべき、当然、してはいけない・・・等の「ねばならない」とするキメつけから解放されることで、心通い合う話し合いができる人間関係ができてくると、個人レベルでも社会レベルでも様々の変化が生まれてきます。
その人そのものを理解しようとする、人を聴く人がいることで、個人で悩みを抱える人もどんどん減ってくるでしょう。
そういうことを本人や家族だけで考えなくていい、相談し合える親しい人達やコミュニティがあるのも心強いでしょう。
また、悩みや苦しみを生み出す様々な不合理な社会の仕組みも、できるところから、ゼロから見直していける道が見出されてくるでしょう。
例えば、高校受験に失敗して高校に入れず、それを苦にする子ども達も現状ではいると思います。そういう子を受け止める家族や周囲の人達、受験の結果や学歴に価値を置かない気風、そういう子が明るく元気でいられる社会環境(勉強したい子は勉強でき、興味のある社会活動に参加できたり、働きたい子は学歴に関係なく働くことができる会社がある等)が形成されていくでしょう。また、そういう人達のネットワークが拡がるに連れ、その可能性はどんどん広く、大きくなっていくでしょう。そういう人間関係、気風、社会環境ができるにつれ、自殺や引きこもりの人など生まれようのない社会が現れていくのだと思います。

心通い合う話し合いが機能し、社会運営で活用されていくとどんな社会になってくるのでしょう?
次章では、その一つのモデルとして、アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティの今の様子を紹介してみたいと思います。アズワン鈴鹿コミュニティでは、具体的にどのような社会が現れてきているのか、今の社会問題がどのように解決されていっているのかをほんの一部ですが書いてみたいと思います。
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