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【なぜ「魂の放火魔」は「のんびりおじさん」になったのか?】 アズワンでのセミナーを連続三回受けて思うこと…井上祐広さん

2022年6月のアズワンセミナーに参加した井上さん。その後、サイエンズスクールのコースにも続けて参加されました。

サイエンズに触れての変化や近況などを、井上さんが寄稿してくれました。


【なぜ「魂の放火魔」は「のんびりおじさん」になったのか?】
アズワンでのセミナーを連続三回受けて思うこと…
2022年8月29日 井上祐広

思いつくままに綴ろう。
上記テーマで原稿の依頼が来たのは数日前…
セミナーの感想は、結構長文のものを以前書いたが。それを読み返して構成を考えるほどの余裕は今無い。96歳の伯母がまさにお迎えが来ている状態にある中で…。
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最期を迎えつつあるおばさんとの愛するツーショット写真です。

私は、今から20年以上前に、ある方程式を発見した。もちろんそれが正しいかどうかは分からない。仮説として聞いてほしい。

人間の成長という現象は、物理的現実と人間関係と意識の相互作用によって起こる。そして植物に例えるならば種であり花が意識。土壌が物理的現実。そして栄養を吸収する根(繊毛)が人間関係にあたる。
それゆえ人間関係、分かち合える関係性がとてつもなく重要だと言う認識をずっと持っていた。私の主要なテーマは、被害者を作らない人間関係の構築。
そして、様々な経験と事例から「いいミーティングが無いところにいい未来はあり得ない」という確信を持つに至ったのは数年前のこと。
そんな私が、アズワンの存在を、いや存在自体は10年近く前から知っていたが、その衝撃的な実態を知ったのは、知人の三木卓さんの紹介によって見たズームセミナー…。
そこで語られている内容も衝撃的だが、それを語っている「おふくろさん弁当」の社長の語り口に、カルトなどに見られる変な臭いが無い…。

これはいったい何なんだ。
決まりも規則もない。話し合いでほとんどすべてを決めて、争いが起こらない。
経営も順調そうだ…。
その「話し合い」って何?

信じるな!疑うな!確かめろ!を信条としている私は、これを確かめないでどうする…。

との思いで6月初旬に受けたアズワンセミナー。
一週間の間、外部との情報遮断…。

最初はとまどいもあった。

しかし徐々に身構えが取れていく。
何を言っても、批判もジャッジも強制もされない。
思ったことを、語ったことを尊重される…。
そう…。
身構えが取れていく、というよりは、身構えていた自分に気づかされていく。

テーマに対する思いを深め、それを分かち合う。
本質的な問いかけの内容は、まさに座禅の考案そのものだが、それを宗教っぽくしない工夫が見て取れる(笑)

アズワンセミナーを受ける数か月前から私の内面で起こっていた探求…。
還暦を前にして行った三週間の瞑想行。
20歳の頃に入り込もうとして一時的に精神病のような状態になって以来、ある意味避け続けてきた究極的な意識のステージへのあこがれが蘇り、探求が始まっていた。

そんな状態でアズワンセミナーの中で、無意識的な身構え、瞑想やセラピーによってはなかなか解きほぐされないある緊張が、ほぐれていったのかもしれない。
アズワンセミナー参加6日目の朝…
全てはなるようになっていく
というコトバと共に、自分の無力さを祝うことが起きたようだ…
そして気が付いた

「のんびり」というコトバで表現できる不可思議なくつろぎが、そこに広がっていることに…。
アズワンの中にその「のんびり」とした時空が広がっていることに…。
「のんびり」と私の中で浮かんだ言葉が指し示す何かが広がっていることに…。

セミナー終了後、私は、それまで名乗っていた異名、リングネーム?
魂の放火魔
改め
のんびりおじさん
になった(笑)

そしてその「のんびり」というコトバで私が呼ぶ感覚が内側に生まれたことで、私はセミナー後もそれまで一度も味わったことがない意識のステージへと導かれた…。

通常の会社に勤務している人が、このセミナーを受講するのは至難の技かもしれない。
しかし、私はたまたま、時間に恵まれていた。
正直、次のサイエンズスクール(自分を知るためのコース)も6泊7日。
迷いはあったが、メンターの後押しもあり、7月に受講した。
そこでまた新たな深まりがあった。

さらに、8月にサイエンズスクール(自分を見るためのコース)3泊4日にも参加。
毎回気づきが深まっていく…。

3回目受講後、アズワンのセミナーを受講した経験のある魂のツワモノたちとの嬉しい出会いもあった。

今改めて思うこと…

それは
のんびり
というコトバで私が表現している何か

それは、すべてに優先する

ということ

なぜなら

それが無いと
今を
味わえないから

いや、もう少し正確に言うと

味わいが深まらないから

どんな素晴らしいことを仮に実現したとしても、達成したとしても

それを味わえないとしたら…

そこにどんな意味があろうか?

今これを綴っていて、改めてその大切さを再認識する機会を得た。
原稿を依頼してくれた岸浪龍さんに感謝!
それを伝えてくれた三木卓さんに感謝!
合掌

追伸

今、96歳の伯母の看取りの時期にあって、伯母の存在に、そう旅立つ存在に、のんびりと向き合うことこそ、伯母の魂への贈り物になると、思えた…

再合掌
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