<< アズワンシンポジウム#4 アーカイブ動画が配信されました。 | main | 【ブラジル アズワンコミュニティ便り】 >>

【アズワンネットワークメンバーの近況】 東京都在住の秦野則子さん

みなさんこんにちは。東京都在住の秦野則子です。

私がアズワンに出会ったのは、今から三年前の 2019 年秋ごろ。
アズワンネットワークメンバーのボーディさん(三木卓さん)から「アズワンセミナー」を 勧められたことがきっかけでした。

三木さんが鈴鹿のガイアエデュケーションから帰ってすぐに
「鈴鹿すごいよ!きっと将来のためになるから行った方がいいよ!」と興奮して話してく れたことが、今も昨日のように思い出されます。
そんな中、さっそく 2019 年 10 月のアズワンセミナーに参加しました。スタッフと参加者 が作り出す、独特の空間。思い返せば私はセミナー中怒ってばかりいたような・・。

そうそう、その時に私の目の前に座っていた日進さん(日野進一郎さん)が、私の怒りの対 象だった「ある人物」に何とそっくりで、後から考えると何故そんなに怒るのか?の無意識 的な理由でもあったとわかりました(笑)。とても面白い偶然でした。

その後も日進さんとは交流させていただき、翌年に念願の桃を食べに岡山にお邪魔したこ ともありました。その節は大変お世話になりました!
1.jpg

私にとっての初めての鈴鹿は、これからの私自身の人生をどう生きていくか?という、大き なヒントを得られた貴重な機会になりました。

私自身はこれまで独身で気楽に生きてきたのですが、やはり年齢的なことを考えると、これ から先は安心して過ごせる人(達)と過ごしたいと思うようにもなりました。鈴鹿で感じた ことは、本音で生きられる環境があるということでした。

これは閉鎖的な日本では、なかな かできないことではないでしょうか。
また、いつか絶対鈴鹿に移住する、という気持ちが私の中に生まれました。人間らしさを取り戻したいと強く思ったからです。

これまでの組織や人間関係、コミュニティでは、自分の意見や感情は棚に置いておいて、相 手に合わせてやりすごす、ということがとても多かったように思います。というか、長年の 癖でそういう性格になってしまっていました。なので、本音のコミュニケーションをした経 験があまりなく、自分を殺して生きてきたのです。
2.jpg

でも、これまでの組織や人間関係、コミュニティでどうして上手くいかなかったのか?その 原因がわかりました。お互いが自分を殺して関係性を維持していくことほど、陳腐なことは ないかもしれません。お互いへの不満や意見も、きちんと本音で伝えることができたら(も ちろん伝え方は大事ですが)、この世界はきっとうまく回っていくのだろうと直感しました。

現に今私が関わっている分野でも、表向きはうまく仕事を流してはいますが、根っこの部分 では不満が爆発しており、意思の疎通もまったくできていないものばかりです。特に今は在 宅ワークがメインのために、余計にコミュニケーションがとりにくくなっています。

チャッ トの文字や電話での会話が多く、そばにいてその人の何かを感じ取る、という機会が激減し ているように感じます。
3.jpg

話しがそれましたが、これまでのコミュニティでなぜ失敗が多いのか?という理由は、本音 で関係性を結べていないから。鈴鹿に学べば理由は一目瞭然です。

つまり、鈴鹿の在り方は私たちのどんな活動にとっても基礎・ベースとなるもので、私たち が人間的に発展するためには必要不可欠な手法だと思います。
手法と書きましたが、ただ単に技術的なことだけではなく、相手と胸襟を開き、自分自身で あり続けるという、いたって人間臭い、面倒くさいあり方であると思います。

でも昭和大好き世代の私にとっては、それがホッとする空間でもあるのです。デジタル化が進んでいる今、 人間ぽい、人間臭さを感じられる瞬間はとても貴重です。
4.jpg

とはいうものの、鈴鹿から東京に戻りしばらくするとまた自己流な相手に合わせる癖が顔 を出し、日常では苦戦していることも多いのですが(笑)

その後は順繰りとベーシック・アドバンスと続き、2021 年 12 月の人生を知るためのコース まで参加しました。中でも 2021 年 10 月に参加した内観コースでは、私の中で大きな衝撃 が走りました。ひたすら静かに自分の過去を振り返るだけの時間を過ごすわけですが、最終 日に近づくにつれあまりに心地よく元の世界に戻りたくないという思いまで湧いてきたほ どです。

自分と父、自分と母。
ひたすら過去を振り返り、その中で分かったこととは、私は今まで依存心が強すぎたのと、 父や母を一人の人間として見てこなかったということでした。中でも、父に対しては私のこれまでの人生が苦しいのは、全部の責任を父に擦り付けていたことでした。このことが分か ったとたんに、堰を切ったように涙があふれだしました。
5.jpg

私はこの人生の中で、一体何をしてきたのだろう・・
自分の人生の苦しみのすべての原因を、すべて父の責任にしてきたのです。でもそんなはず はありません。すべて父が悪いなんてことがあるはずがないのです。ようやく当たり前の事 実に気が付きました。父に対する歪んだ色眼鏡が、やっと矯正された瞬間でした。

2021 年の冬も、続けて鈴鹿のコースに参加する予定でした。ひろりん(片山弘子さん)に も、これから鈴鹿で暮らしていくには何をすべきかなど、今後について相談に乗ってもらっ ていたところでした。

が、そんな昨年末のある日。
母親が原因不明の疾患で、徐々に命の危険が迫ってきているようでした。私が母を引き取っ て介護しなければ、このままでは死んでしまうと直感しました。でもそのためには、これま での気楽な独り暮らしをやめ、母と同居できる部屋を探し、2人分の引っ越しをしなければ なりませんでした。
6.jpg

これは今までの私の人生の中で、一番大きな決断となりました。
人間らしさを失った家族関係に戻ることは、私の中で心の傷をえぐるようなこともあるは ずだからです。しかし、母の状況は今年に入りさらに悪化が続き、そんな呑気なことを言っていられる状況ではありませんでした。

私は母の命を守るため、そしてこれまでの母親との関係性を取り戻すべく、参加したかった 鈴鹿のコースも気楽な独り暮らしも、とにかくいったん何もかもすべて捨てることにし、母 の介護に専念することにしました。母の状態が悪化し続けていたので、誰かに相談する時間 もなく、決断までの余裕はほとんどありませんでした。

仕事をしながら、離れて暮らしている母の体のケアをし、急いで住む部屋を決め引っ越しの 諸々の手続きをし、母と自分の 2 人分の引っ越し荷物を準備する・・。2022 年の 1 月から 引っ越しまでの約 2 か月半。気が遠くなるような忙しさでした。

そしてようやく 3 月に引っ越しをしたものの、それから一週間後に母が完全に寝たきりに なってしまいました。
7.jpg

そこから今日までの半年間。毎日夜中も2時間おきに母の体のケアをしていたときもあり、 一時期は私が倒れてしまいそうなときもありましたが、三木さんをはじめ周りの方々に支 えていただき、何とか乗り越えてこられました。そして、お陰様でようやく母の状況も好転 し始めました。

今は、母も気力が戻ってきており、時々喧嘩もすることがありますが、それもまた愛しい時間となっています。それに、これまでどんなことをしても埋められなかった母との心の溝を、このたった半年で満たすことが出来ているように思います。

これは時間の長さではなく、密度なんだと思いました。引っ越してから毎日のように、鈴鹿 で学んだ本音のコミュニケーションを意識し、自分の思いを母に伝え続けてきたからだと 思います。

「お母さんとこんな風に話ができるようになって良かった~!」
「お母さんが元気になってきてくれて本当に嬉 しいよ。お母さんの体、毎日頑張ってて偉いね~!」
「お母さん、大好き~♡」
そんな会話を、日常いたるところで今は当たり前になっています。自分でもびっくりしてい るし、本当にすごいと思います。母と暮らす前に、鈴鹿に行っておいて本当に良かった・・!
9.jpg

行けるときに行かないと、そして会える時に会っておかないと。
すべては移り変わり、諸行無常の響きあり・・なのですね。

ということで、今は鈴鹿には遊びに行けず残念ですが、もし母がもっと回復したら一緒に行 けたらなぁ・・という夢を抱いて、これからも母との時間を大切にしていきたいと思ってい ます。
- | -