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実習プログラムレポート@落合圭太さん

約1か月半の実習を終えた落合圭太さんが、旅先からレポートを送ってくれました。今はスキー場のロッジで働いているそう。どうぞお楽しみください。
ファーム
鈴鹿ファーム農場
あっという間に大みそかですね。
旅の記録として。年内に書けて良かった〜
アズワンネットワークのページでも別視点で書かせてもらったので、もし良かったら読んで下さい。
http://as-one.main.jp/sb/log/eid1583.html
長くなりましたが、皆さんよいお年を!
照ちゃんと本山さんと
本山家でワールドカップ見たりご飯を食べたり楽しみました

【不透明でも崩れない親しさ、コミュニティ】
先日までの約1ヶ月半、アズワン鈴鹿コミュニティに滞在していました。
主に実習プログラムという仕組みを利用しての滞在で、以下のような日常を過ごしました。
◉職場体験
 コミュニティが経営するファームやお弁当屋さんでのシゴト。週6日、6時間程度/日
◉ミーティング
 サポートスタッフや他の実習生にその日感じたことを伝えて話し合う(*)
◉他の実習生やコミュニティメンバーとの交流
◉食堂などのコミュニティスペース、暮らしの(実験)場の利用
*日々のミーティングで、感じていること等を実際に暮らしを共にしている人たちの中で気軽に出し合うこと、それを通して自分や人を深めていく「ミーティングのある暮らし」がアズワンの暮らしの1つの特徴。
本山さん広島焼
本山さん得意の広島焼も
血縁を越えた家族の暮らし
お金を融通し合えるあいだがら
それって実際どんな感じなんだろう?
どのように育んでいるのだろう?
圭太と文鳥
本山家の文鳥を頭に載せて
アズワンにはこれまで、1週間のセミナーと、鈴鹿から僕の地元に来てくれて開催されたお話会に参加させてもらいましたが、
その時に“外から”みた印象とはまた違う、ずっとdeepなアズワンの日常を感じることができた気がします。
・人を聴くということ(その定義と主体)
・人に関わるということ
・「自分の生計を立てる」「家計を支える」という意識のない暮らし
・所有感覚
・はたらくということ。シゴト、職場。
・礼儀、マナー(挨拶、敬語)
・感謝(ありがとう)とは
アズワンの暮らしを体験する中で、そもそものベース感覚の違いや、それってどうなの?という疑問などたくさんのことを感じましたが、
振り返ってみて今自分の中に一番残っているのは、
『本当の親しさ』とは何か。
その現れとしての、『不透明なつながり』、『委ねられること』。
作業風景
本山さんとリフォーム作業もしました
アズワンで暮らし始めた当初は、
人とのやり取りやコミュニティの運営方法など、どこか掴みどころがないというか、質問をしてもはっきりしたものが自分の中に得られず、モヤモヤすることがよくありました。
でも不思議なもので、しばらく過ごしてからはそれがあまり気にならなくなりました。
「そのスタイルに慣れてしまった」という部分もあるかもしれないけど、
よくわからずにモヤモヤしていた引っ掛かりが、反応としてすぐに自覚するレベルでは感じられなくなっていました。
ファーム看板
アズワンのオンラインイベントで、こんな質問があったそうです。
「コミュニティを運営する上で、組織内の“透明性”を1番大切にしていると思いますが・・・?」
その質問を受けたアズワンコミュニティの人は、「透明じゃないと成り立たないなんて、全然親しい間柄じゃないじゃん」と思ったそうです笑
まずその質問を聞いて、まさに自分もそうだなと思いました。
自分の中にも、「人との関係や組織は透明であるほど良いし、上手くいく」という概念が、疑いようのない既成事実かのごとくあるのを強く感じたからです。
「不安を感じる人、知りたい人もいるはずだから、情報はきちんと公開すべき」
「事前に提案して話し合いながら決めるもの」
「それが、みんなで作っていくってこと」
みたいな。
同時に、そのコミュニティの人が言った質問への感想にもとても共感を覚えました。
「親しかったら、そんなに気にならないかもなぁ」
.
もっと知りたい、はっきりさせたいと思っている自分は今も感じるけど、
「とりあえず、まぁいいか」と、そこに囚われず、モヤモヤした気持ちから離れていった自分。
そんな自分を感じて見えたことは、
「アズワンの人たちとのあいだに親しさを感じるようになって、心が満たされていた」ということ。
そんな幸福感の中では、自分が強く知りたいと思っていたことが比較的取るに足らないものへと小さく萎んでいった。そんな自分がいたのではないかと感じます。
人参
『不透明でも崩れない、という親しさ』
「本音で何でも言い合える」ことはもちろん、「お互いの気持ちに応え合える」こと、「透明である」ことも、親しさに通じるものがあると今の僕は思っています。
でも、
「知ら(されてい)なくても、そこに執着せず安心していられる」こと、
「はっきりしない、不透明なことがあっても、人間関係が崩れない、揺るがない」ことは、
たしかに親しくなければ成り立たないことだと感じました。
アズワンというコミュニティの運営や人に接した中で感じた、何とも掴みどころのないモヤモヤ感から、
自分の中にあった親しさというもののベース感覚に気づくとともに、
本当の(本来の)親しさとは何か、
これから帰っていきたい世界を垣間見ることができた気がします。
.
その人に、その場に、目の前で起きたことに『委ねられる』ということ
興味関心のあること、色々なことを知りたい、はっきりさせたい自分は今もいるけど、
それは今このタイミングじゃないのかもしれない。
ひょっとしたら、僕じゃなくてもいいのかもしれない。
今ここに僕がいて、受けていることの意味を思いました。
少し話は変わりますが、こんな問いをミーティングでもらいました。
「今この実習で、この環境で、今の圭太くんに適った過ごし方ってどんなだろうね」
ここ1年くらいで、委ねるということが少し腑に落ちてきた気がしていたけど、
それでも最終的には自分が「決め込みにいく」というような選択意識が比較的強かった気がします。
主体性もあるけど、自分一人の意志で決めるとか、決まるとか、そんなちっぽけなことじゃない。
自分一人では、そこには行けない。
周りに“安心”できる人がいて、一緒に考え、つくり、導いてくれるもの。
その中で、自動的に決まっていく。勝手にそうなっていく。
「委ねる」から、『委ねられる』へ。
この問いをもらって過ごしたことでも、委ねられるという感覚、親しさがまた少し深まった気がしています。
人参2
実習という非日常ではなく、日常として暮らすことができた日々。
まだ自分には想像できないものが拡がっているだろう世界。
単純にまた会いたいなぁ、また帰ってきたいなぁと思う人たちがいる場所。
これからもひょっこり行きますので、どうぞよろしくお願いします!
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