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柳相涌(ユ・サンヨン)さんに聞く

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柳相涌さんは1964年7人兄弟の末っ子として韓国で生まれる。
高校生の頃から農業に興味を持ち、82年農業大学に進学する。しかし80年代の韓国は、
軍事政権に反発する学生運動が活発で、柳相涌さんも没頭するあまり、4年生になって退学となる。
二年半の軍隊生活の後、また大学に復帰するが、その時にはもう韓国社会は民主化へと大きく転換していた。
もともと農業に興味があった柳相涌さんは有機農法を主体とした村づくりを模索し始める。

「学生運動は、戦いだった。気持ちが荒んでくる。そうでなく仲良く暮らしていける村を作りたかった。」

韓国や日本、はたまたアメリカまでそういった共同体がないか調べる中で、これはという共同体を見つけ入る。

「僕は心の問題が一番大事だと思うんです。でもそのことを考えている感じがない。誰か考えているだろうと、共同体の中で話が出来る人を探すけど、いないんですよ。」

そこでの暮らしに見切りをつけて、自分が思い描く村づくりを展開すべく江華島に移り住み、ペンションを経営しながら活動を始める。

そして心の面のことを考えつつ、コミュニティ創りを展開している鈴鹿アズワンコミュニティに出会う。

「江華島にもいくつか市民運動があるんです。そのどれもが次の段階へ進もうとしているんですが、モデルがないんです。それは韓国の市民運動も一緒です。そういう人たちに僕のやりたいことを話す、鈴鹿のことも話す。でも言葉で言うとシステムや形のことばかり想像するんですね。だから実際見てもらったほうがいい。」

「自分は乗り物を用意して、道路を作るだけです。」と言う柳相涌さん。
アズワンコミュニティやサイエンズ研究所と交流を持ちながら、江華島がそういう地域社会になることを目指していくと言う。
(記事 牛丸 信)

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