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韓国交流旅行 レポート Part5

10月31日 ―四日目― <その2>

さて、見たことのある景色を頼りに、ペンションがある山のふもとのバス停で降りました。そこで降りた他の数人が見えなくなると、人影は全くなし。雨は降り続いていました。

公衆電話から頼んだものの、迎えにきてもらえるだろうか、それとも歩いて帰ろうかと二人で話しながらしばらく待つと、サンヨンさんから連絡がいっていたのか、ユナンさんが大きな車で来てくれました。嬉!

「この日の大きな二つの予定」のもう一つとは、

「江華島・大研鑽会」です。

これは、サンヨンさんとつながりのある人達に向けて事前に呼びかけられていたもので、そのメール内容の一部が次の通り。

「江華島研鑽会」

主題 : 研鑽を研鑽する、 研鑽を開放する

内容 : 研鑽とは? 
    スズカ 10年の経験と, 研鑽で本当の社会作り

日時 : 2009年 10月 31日 土曜日 夕方8時~10時30分(研鑽会時間)
    7時 30分から茶菓
    宿泊をなさる方々は宴会以後があります.

場所 :  江華島 「ウリコチャリ」ペンション


参加者 : 満 19歳以上の大人 (参加人員は 10人前後に思っていますが..)

日本参加者 :小野 Masashi, Miyuki夫婦 (10月28日~11月1日まで韓国に)

参加費 : 当日帰宅 5,000ウォン / 1泊 15,000ウォン

 
前日話したユナンさんもこれに参加するのに又カンファにやってきていました。だいたい参加人数は10人くらいになるのではないかと聞いていました。


その研鑽会を控え、ペンションに着いた後、サンヨン一家・ユナンさんと私達7人で、15分程離れた“どんぐり料理”のお店で夕食をとります。

私は、韓国に来て初めて"どんぐり料理”というものの存在を知りました!
どんぐりの実を砕いた粉でチジミにしたり、水にさらして取れた澱粉を煮て固めたゼリー状の和え物や、その冷麺、等などのバリエーションがあり、その専門店もあるということに驚きです。

この店をやっている人ともサンヨンさんは親しく、ペンションの宿泊客に店を紹介しているそうです。

車で出発した後、カメラを忘れたことに気づいたけれど、えーい、もう食べることに専念しちゃいマース。
向かう車の中で、子供達は超元気!!子供達の学校は、インフルエンザの流行でハロウィンの行事が延期したことなどを、車中でゆきちゃんが教えてくれました。日本でも、私達が出発してくる直前、うちの子供達の学校の学級閉鎖が相次いでいました。今回子供達を置いて韓国に来れたのは、近くに住む本山・照子夫妻のおかげ。子供達も普段からすっかり馴染んでいて安心しきっているのです。学校からのメール連絡が伝わるよう、照子さんに私の携帯も預けてきました。


どんぐり料理のお店はとてもにぎわっていました。注文はサンヨンさんにお任せでしたが、どんぐりを使ったお酒も出てきました。どぶろくのように白く濁っていて、独特な後口のこのお酒には、小野さんが大きく反応!おかわりもするする!!研鑽会の前は飲まないんじゃあ、ありませんでしたっけ~~!?

一味・二味ちがうどんぐり尽くし料理がズラッと並び、食べきれないほどでした。満満足で、韓国"最後の晩餐”を終え、ペンションに―


部屋で少し休憩した後、7時半少し前に1Fの大部屋に行くと、すでに何人かの若い男性が来ていました。
最初は、皆でお茶とお菓子を頂きながら人が揃うのを待ちました。
この日は、参加予定の人たちが大幅に来れなくなったりして、私達を入れて全部で8名となりました。

PM8:00
軽くサンヨンさんが挨拶し、いよいよ始まりです。
そして、参加者の一人トンシン君は日本語交じりに自己紹介してくれました。こちらも覚えてきた数少ない韓国語を交えて二言三言は話しましたが、あとはサンヨンさん、ゆきさんに通訳をしてもらって、簡単に自己紹介しました。初めてお会いする男性3名は、皆20代。サンヨンさんとも親しい間柄のようで、はじめからリラックスした雰囲気です。
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こちらも、ここに座っているまでの経緯を話すと長くなってしまい、小野さんの話に出てくる話に又質問があったりして、自然と、まずは日本での活動の紹介をするといった形になりました。
そこで、KNIの幅広い活動がイメージしやすいようにと、日本から写真を集めてまとめ、それをスライドショー的にみてもらう用意もしてあったので、それに移りました。

研鑽ライフセンター研修所や、合宿研鑽会の様子、会社をやっていて、マンション建設や、弁当屋のこと、コミュニティを訪問する人を受け入れる家や寄り場、ゲストハウスも取得したこと、研鑽科学サロンでの研究発表の様子・・・等など・・写真とともに紹介することで、現実感もともなってか、次第に関心を持ってもらえたようでした。

その中には、サンヨンさんの活動でできた、日韓青年交流の会「テソン」から紹介されて、この夏鈴鹿コミュニティで約2週間ステイした“セロミちゃん”も映っていました。セロミちゃんを知っているトンシン君は、見終わった後「僕も行ってもいいんですか?」と急に顔を輝かせ、活発に質問をしていました。(それまで、「ケンサンって、何か神様の儀式のことと思っていた」らしい。)
トンシン君は、大学で広告デザインを学び、働いていた会社をこの前辞めて、日本の広告会社と関わった仕事がしたくて、現在勉強中だそう。そしてテソンにも関わって、日本語も勉強し始めたそうです。「研鑽」という言葉は初めて聞くような様子でした。
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すでに「研鑽」というものに関心を寄せ、よりよく知るために多くの活動をしてきた26才のミノ君(写真では、赤い服の)は、最近先が見えてこないことにあきらめを感じていたらしいのですが、鈴鹿での試みを聞いて、今までとは違うオープンさ明るさを感じたそう。ミノ君は多くを語らないのですが、とても感性豊かな青年だと感じました。

28才のデジョン君(眼鏡をかけた白いシャツの)は、マリ学校で木工を教えているのですが、「研鑽」をどこかでやっていることでなく、自分の活動に取り入れていくには、というところをじっくりと考えているようでした。


又、個人的に私が印象に残ったのは、ゆきさんが、後から言ってくれたことを聞いてでした。口で言う理想はあるけど現実はなかなか難しく、その可能性にあきらめを感じていたところ、鈴鹿での試みについて「すごく魅力的だ」と言い、ウソのないところで試験しようとしてる人がいる、ということを感じたとのことでした。

「研鑽」がどういうものか、そして、それが実生活・実社会の中に機能して、人間社会がこんな風につくれるのではないか――ということが、投げかけられて、それを理解する下地もあって、今回の機会が大きなきっかけになったのではないかと思いました。
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その後男の人達で、お酒を飲みながらの第二部が始まりました。


次の日は、朝にカンファを出発し、ソウル観光をして帰国する予定でした。しかーし!私達は韓国に行く前、ソウルのガイドブックを見て漠然と想いを馳せるだけで、具体的な行き方や、行き先さえこの夜まで描けていなかったのです・・・(描く時間もない!)
昼の市場でのことから、これは相当調べていかないとと思ったワタシは、話し込んでいる小野さんを横目に、ゆきちゃんに相談にのってもらうことにしました。行き先をある程度定めて、ゆきちゃんがネットで調べてくれている間に、部屋に荷物の整理をしにいきました。

荷物をまとめて戻ると、ゆきちゃんが、
「トンシン君が明日ソウルを案内してくれるって!!」
と、信じられない言葉が・・・・・
「ウッソー!いいの?!」ウルウル・・・・

トンシン君と私達の言葉がどれだけ通じるかという、一点疑問が残りはしたけど、概ね明日のことは考えなくてよい、という安心感が広がり、私は休むことにしました。トンシン君はその晩ペンションに泊まって、朝一緒に出るのです。ヤレヤレメデタシ ・・

小野さんは、まだサンヨンさん達と話しこんでいました。

その夜は、小野さんが部屋に戻ってくるまで寝れず、結局午前1時半をまわっていました。いろんなことが頭に上って回っていたようです・・・・

PART6(5日目)につづく・・・・

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