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山中さんが語る「アズワン留学」1年半の大きな変化

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アズワン鈴鹿コミュニティで1年半、留学生として過ごした山中祐樹さんが、その生活を振り返りました。自分に強いていたものに気づき、息苦しさが溶け、「軽くなった。人間らしくなった。」とその変容を語っています。そこには、彼の心の成長を感じずにはいられません。そのレポートを紹介します。

中略した部分は、【続きを表示する】に掲載しました。「現状、人にとって、最も警戒すべきものが“人”になっている。」という内容です。彼が言う「人間らしさ」を抑圧している原因は何か。その洞察も見逃せません。(編集部)

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山中祐樹さん



心を重視する新しい文化――留学生活を振り返って

2015年10月から2017年3月までの約1年半の留学生活。自身の変化を一言で表すと、「軽くなった」「たるんだ」「人間らしくなった」というような表現がしっくりくる。人づきあいの際につねに付きまとっていた緊張感や引け目ようなものが、気づけば薄らいでいる。自然な言葉、自然な笑顔が増え、冗談も言えるようになった…かもしれない。不要だった“大荷物”に気付き、やっと処分できた、そんな感じだと思う。「争いや対立がない、本心で生きられる社会を」と、おそらく誰もが望んでいることだろうが、一向にそうなっていかない。その原因や構造が、なんとなく見えてきたように思う。

(中略)➡【続きを表示する】に掲載

留学期間中は、勉強会、ミーティング、ゼミ、コースと、サイエンズを学び、自分をじっくり振り返る機会がたびたびあった。それだけでなく、コミュニティ内で生活を送る中で、体験を伴ったことで初めて深く理解できたのだと思う。仕事や休みの相談、食事会、入院生活などなど。気をつかわずにいられる、何でも話せる、安心の間柄。まるで自分の実家にいるときのように、緊張なく過ごすことができるようになっていた。

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 変化のきっかけ

留学8ヶ月目、「社会を知るためのコース」の中で、望んでもいないのに「強いている」自分に気付くことができた。自分に対して、人に対して、社会に対して、「~すべきだ」「~してはいけない」といった強固な考えが、自らを息苦しくさせていた。それを自覚し、後日職場の人たちに「つらいんだ」と打ち明け、受けとめてもらった体験。留学生活中、一番の大きな変化のきっかけだったと思う。

知識を入れるというよりも、「腑に落ちる」という感覚、実感を伴う理解。「留学」という選択、理解ある人たちの中で実際に生活するということは、非常に有効だったと思う。相手を責める、自分を守る必要がない、そういう環境に身を置く。「本当にそうなんだ!」という体験によって初めて、強固な刷り込みから解放されるのだと思う。

 誰でも変わっていくことができる

留学前に比べてかなり、アタマに振り回されず、内面に目が向くようになったのではないだろうか。人間の考えとはどういうものか。心とは何か、何のために心があるのか。「どうするか」の前に、「どう感じるか」、「どうしたいか」。今の社会、今の文化、今のアタマでは、心を充分に生かすことができない。心を重視する、新しい文化の社会。誰とでも、家族のような人間関係。きっと誰もが望んでいる。充分成りたっていくと思う。

変わっていくのに、一人で努力しなくてよい。というより、一人では不可能に近い。個人の問題ではない。しかし社会まかせにするでもない。変わっていく上で必要なのは、はっきり気づき、強く望み、実践していく人たち。その内の一人に私もなりたい。サイエンズと、それに触れる人たちに1年半触れ、「誰でも実践し、変わって(戻って)いくことができる」という確信を持てた。そこまで大きなエネルギーも必要なさそうだ。

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「自覚」すらまだまだ不十分な私が、今の社会で本当に通用するのか、周りによい影響を与えうるのか。かえって苦しくなるかもしれない。しかし、理解ある人たちは、少しずつ、着実に増えている。今はまだ始まったばかりの試験期間、失敗やダメージはつきものだろうが、次に繋がるなら、それらも積極的に受け入れていこう。やさしい社会への変革に、少しでも力ぞえできたらと思う。(山中祐樹)

➡以下、中略した文章です。

原因の全てが人間関係に由来する
イラスト人間関係

現状、人にとって、最も警戒すべきものが「人」になっている。日常生活においてストレスは様々あるが、その原因のほぼ全てが人間関係に由来するものではないかと思う。「やさしい人と人のつながり」など、遠い昔に諦め、アイツは自分と関係のない他人なんだと、切り離して考えることばかり。今の社会では、大半の人がそうせざるを得ないのではないか。

思いこみ(無自覚の自己解釈)、決まりや制度の事実化など、アタマが主導になってしまうと、本心が発揮されず、人と人のつながりがよくならない。「当たり前」という考え方、見え方、感じ方は、喜びや感動を半減させ、不満を作り出す。「人間の考え」が人間自らを縛りつけ、無駄な労力を費やし、心や知性をうまく生かせずにいる。

 心とアタマとの矛盾、葛藤

「正誤」「善悪」、「権利」「義務」「責任」「罰」、「上下」、「従う・従わせる」「やらせる・やめさせる」、そして「責める」。社会で必要とされるこれらの概念やルールの理解を、幼いころから繰り返し訓練してきた。身に染み付いた「思考回路」と、人に対する「強迫観念」「防御反応」「警戒心」は、そう簡単に変えられるものではない。

「こうする(しない)と、嫌な目にあう」。経験則に基づいた、疑いようのないくらい当然のこと。「そうなっているから」「決まっているから」、「嫌でもやる」「やりたくても我慢する」。常識、決まりなど、もっともらしい理由で心を律し、自分を納得させようとする。心に逆らって、判断し、行動せざるを得ない。相手に対しても、考えが元となり、それに従わないのは許せない、という強い感情が出てきてしまう。発想も行動も制限されてしまう。

度々訪れる、心とアタマとの矛盾、葛藤。見るだけ無駄、見ないほうがマシ、と、心のほうに蓋をする。アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの。こんなことを繰り返していれば、本心が分からなくなるのも当然だろう。いつか壊れるかもしれない。

お正月

 話し合えい人間関係の深刻さ

どんな事象も、突き詰めて考えれば、「私はこう思う、こう感じる」という、個人個人の感覚しかないのではないか。個人がどう捉えたかに、良いも悪いもないだろうが、今の社会システムは、常識や法、正義といった大義名分のもと、人を裁くことをよしとしている。有史以来だろうか、人類が行ってきた、内面無視、アタマ主導の法整備や文化づくり。それが心にとってどういう影響があるのか、あまり顧みられることはなかったのではないか。

心に反すれば、悪感情、対立感情が生じてくるのは必然だろう。そんな感情を持ったまま、“人と人”の話し合いができるとは到底思えない。戦争や環境の問題は重大だが、この話し合えなくなる人間関係のほうが、よっぽど深刻だと感じた。相当に根が深い。種々の問題が解決に向かわない原因は、おそらくここに端を発している。ここが見直されない限り、人の対立は無くならないと思う。

人は本来、調和していく方向性を具えているのではないか。その指針となるのは、我々が「心」と呼ぶものではないか。心の定義はよくわからない。しかし、笑顔、涙、大声、不和などを捉えると、見ず知らずの人に対してでも、心らしきものが確かに反応しているように感じる。生じる快、不快の感覚は、人がよりよく生きていくための方向を示してくれているのではないだろうか。(山中祐樹)
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