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「ローカル イズ ビューティフル」 辻信一さんのお話②


私たちの日常は“経済”という枠の中で無意識にも暮らしています。どこかで、おカネの心配をしていたり。将来の不安を抱えていたり。そうした原因はどこから来ているのでしょう? 辻さんは、20世紀を代表する経済学者カール・ポランニーを取り上げて解説します。18世紀以降、経済システムはホップ・ステップ・ジャンプと3段階で“制約”から離陸していくというお話です。

マインドセットされている私たち

「資本主義の中に生きていると資本主義的なことが当たり前だと思ってしまう。それをマインドセットと言う。心にガッチと枠が嵌められた状態。これをアインシュタインがこう言ってる。『ある問題を引き起こしたのと、同じマインドセットでその問題を解決することは出来ない。』わかりますか?
何かの思い込みがその問題を引き起こしているわけです。解決しようとしても同じ思い込みのままでは解決できない。僕らのこの時代のマインドセットって何でしょう? 一つは経済成長です。環境が壊れた。福祉におカネがいる。もっと経済成長すれば環境にも福祉にもおカネがいくだろう。こういう発想しか出来ない。
ポランニーは、資本主義以前の社会では、『経済は社会の中に埋め込まれていた』と表現する。それが今は、『社会が経済の中に埋め込まれている』。何をするのにも、全て経済優先。子どもの教育も自分の健康も、結婚、老後も経済からしか考えられない状態。僕らの人生は経済の中に埋め込まれてしまった。
これは人類の歴史から見たら本当に異常事態です。ただの思い込みに過ぎない。そこから僕たち自身を解放することなしに、何一つ解決することは出来ない。」

「ポランニーは、資本主義的なマインドセットを抜け出すために、資本主義以前の社会を研究した。人類の歴史から、経済を相対化してみていく。元々の経済、元々のコミュニティは、互酬性だった。顔と顔が見える関係。生産量が分かり、分かち合っていた。量にも制約があったが、それを不自由だとは感じなかっただろう。
ところが今は、お互いの顔が見えない、制約がみえない。その結果が環境破壊です。
経済は、コミュニティから離陸し、次に自然的制約から離陸し、3段階目には、物でさえなくなってしまった。」(と辻さん)

マインドセットから抜け出すには、“絶対”としていることを“相対化”することだそうです。私たちは日常会話で、絶対こうだ、と使っていますが、絶対と言えることってあるでしょうか? おカネの価値は絶対でしょうか? そのおカネの話に入っていきます。

バーチャルなおカネ
「みなさんおカネって何ですか? 不思議なものです。どこで誰がつくっているんでしょうか。意外と知られてないんですよ。」
と話では、5%ほどが実際に作られた紙幣や貨幣で、95%は何ら物質的裏打ちもないバーチャル状態だとか。そのおカネが世界を高速で飛び回っているそうです。バーチャルだとしたら、どこにあるんでしょうか? 世界?幻想?頭の中? ますますわからなくなってしまいます。

続いて、イギリスの経済学者で『スモールイズビューティフル』の著者、シューマッハを取り上げました。進歩、成長とは一つの信仰であるという話。技術は、より大きく、より多く、より速くという方向に発展しています。その結果が過剰社会となった。そこで辻さんは、スロー・スモール・シンプルの3つのSを掲げ、「人間の身の丈にあった大きさに立ち戻ろうよ」と呼びかけます。

“アートオブリビング”は限界なし

「産業革命前は4000年かけて100%の経済成長だった。40年で1%。人の一生で1%くらい。
僕の若い頃は、1年で10%。これで頭がおかしくなっちゃった。その経済成長を可能にしているのは化石燃料です。どうしたらいいか。スローダウンしかないだろう。スローイズビューティフル、あるいは、ローカルイズビューティフルです。コミュニティ経済が拡大して地球全体の経済にまできてしまった。もう地球がもたいない。スケールダウンしかない。」(辻さん)

アダム・スミスにもふれます。『資本論』で、「経済成長の限界を認識し成長をとめることが大事だ」と強調しました。

「左翼も右翼も成長主義でスピード志向。どっちがより多く生産できるかを競っているに過ぎない。『資本論』もちゃんと読んでください」とも。

そして、資本主義の父と言われる、ジョン・スチュアートの言葉、「定常」について解説しました。ここには記者も感動!です。
経済は成長期のあと、人口や資本が一定となる“定常”状態に達するだろうと。人間性が一番よくなる状態というのは、誰も貧しくなく、もっと豊かになろうとする者もなく、押しのけられる不安を誰も持たない状態があると。経済発展がなくても、本当の意味での人間的な成長がそこから始まる、ということです。

それを“アートオブリビング”(the Art of Living)と表現し、辻さんの訳では、「生きるアート、人生というアート。人生を素敵にしていこう。生き方を豊かに美しくしていこう。ここには、限界はなく、一生成長しつづけられる、学び続けてられる。そういう素晴らしい社会があるんだ」と言います。
「しかし今の社会の根底にあるのは、その逆で“不安”が資本主義の原動力なっている」とも指摘しました。

マインドセットされた精神的成長

物質的な発展には限界があるでしょうが、精神的な成長には限界がないだろうと思います。人生を芸術にしていく、素晴らしい発想だと思いました。
しかし、マインドセットされた思考で、その精神的成長をモノやコトで得ようとしていないでしょうか。そのようにも見えます。それでは、ますます、モノやコトを得る方に走り、経済成長は止まりません。
先ほどの話で「経済成長はこのくらいにして、足るを知れば…」と辻さんは呟いていました。
本当に人として生きていくことの意味や価値をどこに求めていったらよいか。「足るを知る」とは? これについては一番最後に再びふれてみたいと思います。(記事:いわた)
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