韓国アズワンセミナー〈後編〉「最終日に流した涙は…」
8月20日から韓国で開催されたアズワンセミナーに参加したキム・ジョンヒョンさん(30代、男性)が、後日フェイスブックにアップしたレポートです。
6月にアズワン鈴鹿コミュニティを訪れ、そこでの体験もセミナーにつながったよう。社会づくりへ湧き上がる想いを綴っています。
人類が一緒に歩んできた道のりに触れたような…
キム・ジョンヒョン(30代、男、6月の探訪団)
セミナーの最終日の朝、警戒心がほぐれて穏やかに一人のスタッフの話を聞いている時だった。今もはっきりと覚えているのは…
「10年以上やってくる中で出来ないとも思ってたりしたけど…こんなにたくさんの人が…」
彼は言葉を継げなかった。私は彼の顔を見ることができなかった。私の目からも涙が止まらなかった。私はなぜ泣いているのか。この涙はなぜ出てくるのだろう。そう思いながら、ずっと涙を流した。
次に私が発言した。自分が言いいたかったことは多分こういうことだった。
「人ならだれもが世の中が良くなることを願うのに、それが自然なことなのに…最近は『それは不可能だ』『革命とか変化とかの話は暴力だ』『やっても無駄だ』と思っていた自分に気付きました。なぜ、そう思ってしまったんだろう…とても愚かだったなあ…そういうのを願ってもいいのになあ…」
今も思い出すと涙が出そうでくらっとする。
私も世の中が良くなることを願っていた。社会運動をするとか身をささげるとは思わなかったが、常に世界の変化に関心をおいて、自分だけではなくみんなが幸せになる世の中を想像したりした。時々は、「この活動は世の中をより良くすることだ」と思って、いろんなことを一緒にやってきた。自分なりには随分頑張ったり、努力してきたように思う。
しかし、今のこの瞬間でも、前の活動に対して出てくる思いは「心を傷つけられた」だし、セミナーを経て来る中で結構ゆるくなったけど、それでもまだ不満と残念な気持ちが残っているようだ。どういうことなんだろう…
「心を穏やかにする」とか「隔てに気付く」というようなことをよく思ったりしてきた。セミナーから帰ってきてよく思うのは(鈴鹿に探訪に行ってきてからもよく思ったりしたけど)
「その時のそれは何だったのだろう」という問いだ。
私が見て、聞いて、経験して、知っていると思っていることについて、あるいは今向き合っていることに対しての疑問と探究。
日本で、韓国で、または、既に随分以前から、世界のどこかで同じような問いを追究してきた多くの人がいただろうと思うと、感謝の気持ちや安堵感、喜びが湧き出る。
セミナーの最終日に流した涙は、今までの経験と全ての残念さにも関わらず、人類が一緒に歩んできた道のりに触れたようなことから出たのではなかろうか。
「人間を知り、人間らしく生きる」
本当にありがとうございます。
「10年以上やってくる中で出来ないとも思ってたりしたけど…こんなにたくさんの人が…」
彼は言葉を継げなかった。私は彼の顔を見ることができなかった。私の目からも涙が止まらなかった。私はなぜ泣いているのか。この涙はなぜ出てくるのだろう。そう思いながら、ずっと涙を流した。
次に私が発言した。自分が言いいたかったことは多分こういうことだった。
「人ならだれもが世の中が良くなることを願うのに、それが自然なことなのに…最近は『それは不可能だ』『革命とか変化とかの話は暴力だ』『やっても無駄だ』と思っていた自分に気付きました。なぜ、そう思ってしまったんだろう…とても愚かだったなあ…そういうのを願ってもいいのになあ…」
今も思い出すと涙が出そうでくらっとする。
私も世の中が良くなることを願っていた。社会運動をするとか身をささげるとは思わなかったが、常に世界の変化に関心をおいて、自分だけではなくみんなが幸せになる世の中を想像したりした。時々は、「この活動は世の中をより良くすることだ」と思って、いろんなことを一緒にやってきた。自分なりには随分頑張ったり、努力してきたように思う。
しかし、今のこの瞬間でも、前の活動に対して出てくる思いは「心を傷つけられた」だし、セミナーを経て来る中で結構ゆるくなったけど、それでもまだ不満と残念な気持ちが残っているようだ。どういうことなんだろう…
「心を穏やかにする」とか「隔てに気付く」というようなことをよく思ったりしてきた。セミナーから帰ってきてよく思うのは(鈴鹿に探訪に行ってきてからもよく思ったりしたけど)
「その時のそれは何だったのだろう」という問いだ。
私が見て、聞いて、経験して、知っていると思っていることについて、あるいは今向き合っていることに対しての疑問と探究。
日本で、韓国で、または、既に随分以前から、世界のどこかで同じような問いを追究してきた多くの人がいただろうと思うと、感謝の気持ちや安堵感、喜びが湧き出る。
セミナーの最終日に流した涙は、今までの経験と全ての残念さにも関わらず、人類が一緒に歩んできた道のりに触れたようなことから出たのではなかろうか。
「人間を知り、人間らしく生きる」
本当にありがとうございます。
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