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大学院生リッチーさんのスタディツアー



京都大学大学院生のリッチーさん(ブラジル)が、6月18日19日でアズワン鈴鹿コミュニティを訪れスタディツアーに参加しました。彼女は、GEN-Japan代表の片山弘子さんとつながることと、日本でパーマカルチャーを実践する人たちとの交流を目的にしていました。彼女は、地球環境学堂に所属し、パーマカルチャーに強い関心を持っています。その教官である小林英広先生に勧められてアズワンの取り組みにも関心を持ったようです。

スタディツアーでは、サイエンズの解説、スクールの話、キンダーハウスの実践などにもふれ、またアカデミー生とも交流しながら1泊2日を過ごしました。リッチーさんの中にどんな変化があったのでしょう。最後にお茶席で感想を聞きました。様々な疑問が湧いたようです。そこでも多くのやりとりがありましたがリッチーさんの話しを取り上げました。(翻訳はアカデミー生の根津さん)


「知ることから始める」逆のアプローチ

ここまでアズワンに関するおおまかなコンセプトを理解してきました。アズワンハウスではアカデミー生が自分の人生を通して変化をどう経験しているのかも聞きました。自分自身の問いとして今持っているのは、ここでのメソッドや学んだ事柄をどう実践に移せるのか、ということです。私にはまだたくさんの疑問がありますが、それは誰かに答えてもらえるようなものでもないと思います。実践に移ってみて初めて、何が起きてくるのか見えるのかもしれません。

これまで私はコミュニティでたくさんのことをする経験がありましたが、私たちはいつも実践的なプロジェクトに焦点を合わせていました。何かを一緒に建設するなどですね。この過程の中で人々はとても変化しました。私たちは多くの争いを経験し、プロジェクトの中で多くの問題が浮き上がってきました。その度に、問題を解決するために多くの話し合いの場を持ちました。何かをする過程の中で自分がやっていることや、自分自身のことについて学ぶということを経験してきました。
ここでは、逆の方法がとられているように感じました。ここでは、まず、自分や人のことについて知ろうとしています。私はどちらの方法も機能し得ると思います。しかし、その過程はやや異なります。私は今まで(知ることから始める)この方法を体験したことはありません。私はこの方法を実際に体験する中でどう機能するのかということをもっと知りたいと思います。



「ゼロから」と似ている研究姿勢

私はよく「ゼロから」という内容について考えます。ただ、「ゼロから」という言葉は今まで聞いたことがなかったので、この「ゼロから」という言葉はとても分かりやすいですね。私にも今まで大学での経験から身につけた似たような姿勢があります。私はリサーチのために様々な場所に出かけたりして、私はすでになんらかの観念を持っていたり、いろいろ思ったりもしますが、それをすべて消そうともします。新たな可能性に対して自分を開くためです。小林先生もよくそうしているように見えます。研究者はフィールドワークに出る際、すでに持っている観念や考えはあるものの、それをいったん、留保しようとします。それをしようとすると、いつも新しい経験などに対して近づける感覚があります。理想を言えば、難しいかもしれませんが、何かに向き合う時、何も頭にないようにできて、新たなことに開かれていて、そこから受け取ったものから創造できるような状態になれればいいですね。そのような姿勢は、「ゼロから」という姿勢にとても似ているように感じました。

(サイエンズと)似たようなことについて研究している場所はたくさんあると思います。人間性の根源にあるものは何か、幸せとは何か、など。そして全ての場所でなんらかの手法があるでしょう。例えば、もし瞑想センターに行けばそこには何らかの瞑想のテクニックがあるでしょう。ここでは、どんな手法が使われているのでしょうか?それが私が次に学びたいことです。


「学び」が日常とどうつながっているのか

「私が何かを学ぶ時、実践を通じて学ぶとよく学ぶことが出来ると思っています。もし私が何かの授業を受けたとしても、授業に出席しただけではすぐに内容を忘れてしまいます。私は自分自身に関しても物事に関しても、実際に何かを作ってみたり、やってみたりする中で学びます。こうして活動の中で学んだことはなかなか忘れません。そこで、今はここでの思考方法や考え方が、どう日常の活動や実践へ結びついているのかを理解したいと思っています。もし人々がこのつながりを理解すれば、簡単に日常生活へ適用出来ると思います。弁当屋さんやファームで働くアカデミー生の話を聞きました。その日常の中でサイエンズがどう生かされているのか、日常とつながっているのかということはまだ分かりきっていません。これも今私が興味のあることです。」

アズワンハウスで話したアカデミー生は皆、同じ目的を持って、自己探究に取り組んでいると聞きました。もし一年後にこの場所を去るとしたら、たくさんの(環境的な)変化が起きると思います。例えば生まれ育った町に戻るとして、サイエンズを知らない経験したことがない人達に出会った時、どうなるのでしょう?ショックを受けたりするのでしょうか?例えば、レオは家族や長い付き合いのある人と心を開いて話したり思っていることを言うことは簡単だと話していました。ただ、知らない人とそれをするのは難しいとも話していました。逆に根津は両親に心を開いたり正直になるのは難しく、あったばかりの人に正直に話したりするのはまた簡単だと話していました。私にも同じような経験があります。もし、私が今知らない人にあったとしても、ゼロからスタート出来ます。ただ、自分の家族や古くからの友達と会う場合、たくさんのことが自分におきます。たくさんの記憶があって、(ゼロから接するのは)難しいです。



自分の経験から得たものが真実だろうか

坂井さんのサイエンズメソッドの説明を聞いて―― 争いは固定観念から来るということでしょうか? 例えば宗教などは固定観念が多いと思います。宗教もまた人を分け隔てるものでしょうか。宗教を通して自分自身に気づいたりして、人生が良い方向へいく人もいます。そういったことがあっても、固定観念からは解放されていないということでしょうか。

あるインドのグルの面白い言葉がありました。「私たちは実際のことではないことについての議論は辞めるべきだ。私は自分自身が経験したことについてのみ語ることが出来る」人々は自分が経験したことのないことや他の人が言ったことを論じることに多くの時間を費やしますが、それは実際の人生から得た真実ではないと思います。したがって、私たちができることはただ何が起きているのか観察して、自然の本質を知ることだと思います。もしあなたが私に何かを教えてくれたとしても、私は自分の人生を通してそれを実践してみない限りそれを本当に知ることは出来ないと思います。もし私があなたが私にいったことをそうだと信じてしまったら、それは固定観念になってしまうでしょう。したがって、どんなことも自分でそれを経験したことがないようなことは固定観念なのではないでしょうか。

自分の経験の中で試してみたい

したがって、私に取っては経験の中でそれがどう働くのかということが重要に思います。私が自分で見たり、聞いたり、考えたりしている限り、それを真理だと思えます。サイエンズメソッドの全てを私に適用出来るかどうかはまだ分かりません。それを自分自身の経験の中で試してみて、本当に機能するのか、上手く働くのかを確かめたいです。今サイエンズに対して何か判断したい訳ではなく、常に質問をしていたいのです。

人は失敗するものです。強い感情が原因で過ちを犯すこともありますし、受け身になりすぎて過ちを犯すこともあります。例えば、政府は決定を下しますが、それに受動的になりすぎると自分が望まない方向へ行くこともあります。また、仏教のお坊さんを想像した時、彼はとても穏やかにも見えますが、彼らはただ瞑想をしているだけで、実際の世界で行動している訳ではないと思います。彼らもまたある意味、受動的に思えます。また、時々私たちは怒りから行動します。「これは不公平だ」とか言って何かに抗議したりしますが、このような行動はたいてい強い感情から来ます。もし、このような自分を突き動かすような強い感情を感じることがなくなったら、あなたの行動の動機はどこから来るのでしょうか。



リッチーさんは、今の大学のシステムが、専門に特化していて、実践の場や実際の社会と離れたところで研究だけが独り歩きしているような「学び」に疑問を感じていました。「学び」とは、自分が変化していくことだ、という経験があるようです。秋に再び、アズワン鈴鹿コミュニティを訪れ、本来の学びとは何か、深めていきたいという思いで帰っていきました。(文・いわた)
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