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「今その行為は“自発的服従”になっていないか?」

人間らしさとは何だろう?
現代社会では、人間が、社会や会社、組織のために使われ、従属させられていることがある。そういう社会構造にしている原因の一つに、「自発的服従」状態があるそうだ。自分たちの日常が、そうなっていないかどうか考えてみたい。下記は、サイエンズスクールの会員ブログにアップされた坂井さんのブログ記事です。


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「本当に、この行為は自分の自発的な意思でやっているのか?」


“自発的服従”…聞きなれない言葉かもしれないが、ScienZ研究所では、ずっとテーマにしてきているキーワードだ。オリジナルな言葉ではなく辞書を引いても次のように定義が出てくる。

『主体が自己の自律性を確信していながら、客観的には他者や制度に知らぬまに服従していること。フーコーが強調した。』

先日、立命館大学で講義をしたときに、学生に問いかけてみた、「君は生まれてから今まで、“こうしなさい”、“それはしてはいけない”とどれくらい言われて育ったきただろうか?」と。
大きく反応している学生も居た。

一日30回言われたら、一年で約1万回。20年生きれば20万回、50年生きれば50万回。
「いやいや、大人になれば、そんなことは滅多に言われなくなる。自分の意思でやってますよ」と思われる人も少なくないだろう。

だが、朝起きてから、自分のやっている行為を一つ一つよく見つめてみたら、おそらく殆どの人が愕然とするのではなかろうか、「本当に、この行為は自分の自発的な意思でやっているのか?」と。

“こうしなさい”“してはいけない”とは、言われていないかも知れない。しかし、“ここではこうすることになっている”、“みんながしていることだからやっている”、“ルールに従っている”etc。

フーコーが指摘したように、「自分では自律的行為だと確信しているのに、客観的には“知らぬまに”服従している」ところがミソなのだ。

これは、大変根深い問題で、個人のテーマではなく、社会構造に因を発している。

〈放っておいたら何をしでかすか分からないのが人間だ。だから“やらせる” “させない”によって、秩序を保たなくては〉という人間観、社会観が根底にある。

誰から言われなくても、“ここではこうしなくちゃ”“ここではこれしちゃいけない”と“自分で自分に”教えている。

まさに、【自発的服従状態】である。

『朝、8時30分になると日本中の子ども達が学校という閉ざされた空間に吸い込まれていく。不思議な現象だ』と語っていた人もあるが、単位を取るため、卒業するため、さらに上の学校に行くため、会社に勤めるため、お金を稼ぐため、地位や名誉を得るため、そういった何かの為に、言い換えれば、その学校用の、その会社用の、その社会用の人に成ろうと、授業や講義に出なくてはならない、仕事しなくてはならない、町内会の活動に参加しなくちゃならないと思って、いくらそこから自分の意思でそれをやるといっても服従状態に変わりはない。

【自分の頭で考えない人】が次々と出来ていく社会構造、そこに光を当てたい。(坂井和貴)
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