家の掃除ってしますよね。やっぱり、快適に気持ちよく住みたいからでしょうか。その家の中が物でいっぱになって住みにくくなっているとしたら…。その状態を当たり前にしていると、それさえも気づかないかもしれません。物を片づけて掃除したら・・そこに人が入ってきた、そんなたとえ話で、アズワンセミナーの体験を語ってくれました。1月のセミナーに参加したリッチーさんの感想文です。
ブラジルから日本に留学中のリッチーさん(京都大学大学院2年)
「家の掃除」
リッチー
家の掃除をすることにした。
まずはガラクタから解放することを始めた。
何故買ったのかもわからないようなものから。
次に服を捨てることにした。
冬を越すのになぜ5つも上着がいる?
夏の日差しから守る帽子と春のシャツと秋のズボン。
そしてこれらの四季を楽しめるように、もちろん私の「眼鏡」も。
次は家電を捨てた。
これもあれもする電化製品。
ボタンを押す時間の長さの話より、お湯が沸く時間の長さの話をもっとしたい。
それからテーブル、クローゼット、引き出し…
買ったけれど読みもしないし、読みたくもない本たちも。
自分が大事にしていた、あるいは金持ちな人間に見せる食器や額も捨てた。
壁に飾ってあるものより、私を見に家に来てほしい。
いらないものをすべてどけてから本当の家が見えてきた。
カーペットの下や家具の裏に隠れていたものが。
掃除を始めた、それは私や両親や祖父母から何世代も受け継いできた「埃」になったものから、いまだ掃除を続けている、いつの日に終わるかもわからないけれど…
大事なのは掃除を続けることだ。
掃除の時間はとてもいい、このため、考えるため。
家がきれいになったので靴も靴下もスリッパもなしで入れる。
地面に足を付けて入れる。
何も無くなるものもないのでドアーもずっと開いている。
この家の掃除は大変だった(一時も止まらず6日間もかかった)、
でも少なくとも9人手伝う人がいた。
そしてさらに一生の中で数えられない人たちも。
私は人が入れるように物をどけたんだと説明する。
物は空っぽだけれど、人でいっぱいだ。
そして最後にこう言うーー
「あなたはいつ私に会いに来るの?」