【次の社会創造】 連載第三回  争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

次の社会創造 連載第三回
【争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ】
サイエンズ研究所  小野雅司
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第1章 

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5.やる気や意欲だけではできないんだ! ~「キメつけ」だらけの実態に気づいて

20年を経て、現在のアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティは、規模はまだ小さいながらも、ずいぶん人も増え、いろいろな産業や種々の活動や建物も整い、内容もずいぶん充実してきているように見えます。しかし、もちろん、最初からすべてうまくいった訳ではありません。いろいろな問題や危機(笑)にも直面してきました。

2001年、理想も高く、やる気まんまんの人達でスタートしたこの試みですが、すぐにいろいろな問題に直面することになります。
新しいコミュニティを目指している自分達の中でも、人間関係のことや社会のことになると、「これはやらなければならない」「当然こうでしょ」としていることがたくさんあったのです。しかも、それに全然気がついていなかったのです。つまり、「思い込み」「キメつけ」や「あきらめ」が心の奥に横たわっていたのです。あまりに当たり前になり過ぎていて、また、周囲の人も同じように当たり前にしているので、誰も気がつかないのです。

もちろん、僕自身もそうだったし、今もそこをたえず問い直しながらの日々です。

僕は大学時代(もう40年前になります~)に人生や社会に疑問を持ち始め、学生運動や平和運動に関わる経験を経て、理想の社会づくりを志すようになり、大学卒業後、ヤマギシ会という共同体に身を投じ、16年ほど活動していました。

しかし、組織が大きくなり、様々な問題が生じ、理想とする世界とのギャップと行き詰まりを感じ、2000年の暮に会を脱退しました。そして、ヤマギシ会で出会った志を同じくする仲間たちと、もう一度ゼロから、理想とする社会を創ってみようと、鈴鹿に移住し、新たな活動を始めました。今は、アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティと呼んでいる試みの始まりです。

純粋な気持の仲間たちが集い、やる気も十分だし、今までのコミュニティづくりの失敗の経験も生かせるし、「今度こそはやれるぞ!」と思っていました。「上下のない何でも話し合いで運営される会社を創ろう」「お金の要らない経済を創造しよう」「本当に自由な暮らしを創造しよう」と理想に燃え、いろいろなことにチャレンジしていきました。

ところが、意見が違うと対立が起こったり、仕事ができる人や理路整然と話せる人の意見が強くなったりすることが出てきました。また、お金が足りなくなったりすることもしばしばで、そうすると、働いていない人にプレッシャーがかかったり、遠慮が出たり、お金を多く使う人を責めたり・・・。実に様々な人間問題が噴出してきたのでした。「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」という理想とは程遠い現実に直面したわけです。

理想の社会を願っている人達が集まっているのに、なぜそうならないのか?「平和を願って戦争をする!?」、あの状態と同質の問題が再び現れてきてしまったのです!

そこでハタと気づいたのです。「皆で決めたことをやるのは当然」としている自分。「やると言ったんだからやらなければならない」「仕事ができるのが良い」「全体のこと考えて行動するべきだ」「困っている時は助け合うのがふつうだろう」などなど、キメつけだらけの自分に向き合わざるを得なくなりました。

また、「親しい」とはどういうことか?「幸せ」とはどういうことか?「自由」とはどういうことか?「そういう社会を目指している」と言いながら、実は「親しさ」「幸せ」「自由」などの意味を、本当には「知らない」ということに気が付かされたのでした。つまり、目的地をハッキリ知らないのに、だいたいこっちの方向だとやみくもに走り出しているような状態だったのです。
意欲や純粋な気持だけでは、理想のコミュニティはできないのだと思い知らされたのでした。

コミュニティづくりを「やれる人」という視点がなかったのです。
これは、これから、コミュニティを志す人にとっても、職場や家庭を良くしようとしている人にとっても、とても大事な視点だと思います。
「やれる人」なのかどうか?という視点。そういう人になろうとしているのかという視点です。

例えば、野球選手として活躍したいという純粋な願いややる気のある少年がいたとしても、願いややる気があれば活躍できるわけではありませんよね?基礎体力をつけたり、基礎的なトレーニングを積み、実践的な経験を重ねながら野球を知る、そうやって、野球を「やれる人」に成長していく道筋を通ってはじめて野球選手として活躍できるのだと思います。

しかし、人間関係を良くするとか、職場や地域を良くする、コミュニティを創るという活動では、やる気や意欲があると、できる気になりがちです。しかし、「やれる人」になっていなければ、やれないのは当然なのでした。

僕達にとって、これらの気付きが大きな転換点になりました。「親しさ」「幸せ」「自由」とはどういうことか?争いや対立の原因は何か?キメつけとは何か?それはどこからくるのか?「やれる人」とは?どうやったら「やれる人」に成長できるのか?などを本格的に研究しようということで、2004年「サイエンズ研究所」という研究機関を立ち上げました。

そして、ゼロから人間や社会のことを問い直し、研究と実践を積み重ねていくことになったのです。そして、「やれる人」になる要素を研究し、「やれる人」に成長するための人材育成機関として「サイエンズスクール」を設立(2006年)する方向に動き出しました。


6. フィクションの牢獄からの解放
~「当然だ」「~すべき」という縛り合いを超えて

先ほど、素晴らし想像力+創造力を持つ人間が、人間自身や社会に対して、その能力を発揮できていないのは、深い「思い込み」や「キメつけ」や「あきらめ」があるからではないか?という事を書きました。そこをもう少し考えてみたいと思います。

日本でも話題になった『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏(歴史家)は、「個体としては、とても弱い存在の人類が現在のように繁栄できたのは、フィクション(虚構)を使うことができたからだ」と述べ、それを「認知革命」と呼んでいます。つまり、フィクションを共有することで、大人数で協働することができるようになり、大きな力を持つことができるようになったのです。

チンパンジーやネアンデルタール人などは、150人程度の見知った仲間でしか協働できないのに対して、人類はフィクションを共有することで、大人数の見知らぬ者同士でも協働できるわけです。

フィクションとは、現実に存在しないものです。例えば、国、法律、人権、権利、義務、責任、制度、所有、貨幣、宗教・・・・。
もう少し身近な表現だと、お金、約束、予定、時間、やらなければいけない、してはいけない、すべき、当然、当たり前、普通、常識、こうなっている、人の上下・・・等々、これらは皆フィクションで、実際に存在するものではないですね。挙げればキリがありません。

フィクションを共有するとは具体的にはどういうことでしょうか?例えば、お金。ここに一万円札があるとします。チンパンジーに、「1万円札をあげるから、お前の持っているバナナと交換しよう」と交渉しても、何の関心も示さないでしょう。彼らにとってはただの紙切れに過ぎないものです。しかし、人間同士で、お金というフィクションを受入れたとたん、突然価値のあるものに見え、交換の材料として、使い始めることになります。

国があるというフィクションを共有することで、会ったことのない人同士で「頑張れー、ニッポン!」と肩を組んで日本代表チームを応援したり、1億3千万もの人が日本という国の元に協働できるようになったりするのです。
人類の繁栄をもたらしたフィクションなのですが、一方では、今の社会では、フィクションが絶対化・固定化されてしまい、人がフィクションに従う構造になり、人間を縛ったり、人と人を隔てたり、いろいろな人間問題を惹き起こし、争いの原因になっているようです。「お金に動かされる」「規則に縛られる」「時間に追われる」等は、その顕著な例でしょう。自分が作り出したフィクションに自分が縛られる、まさに自縄自縛の状態です。自分が作った牢獄から逃れられない状態とも言えましょうか。

フィクションが悪い、害だ、なくすべきだという話ではありません。フィクションを共有し協働できるのは人間の特徴ですし、素晴らしい能力ですから、それに縛られない新しい知能の使い方が必要なのだと思います(第1章第8項参照)。

コミュニティづくりを進めていく時や、何か事業や活動を本格的に進めようとする時に、人と人との関係性が近くなっていきます。すると、いろいろな縛り合いが始まり、様々な争いや対立に発展してしまうことがあります。また逆に遠慮や我慢などの隔てを生んでしまうこともあります。例えば、「あの人は自分からやると言ったのにやらない」「あの人は自分の当番なのにやらない」「あの人は自分が使った道具を片付けない」「あの人は皆で決めた事をやらないで自分勝手にやる」・・・etc.

こういうことで人を責める人が出たり、争いが起こることもあるでしょう。また、責められないように人の目を気にして一生懸命周囲に合わせるようにしている場合は、一見うまく運営されているように見えますが、快適な状態ではないでしょうし、そうやって頑張ってやっている人は、やらない人に対して悪感情を持ちやすいでしょう。

これは、「やると言ったら責任を持ってやるべきだ」とか、「当番だったらやるのは当然だ」「自分の使ったものは自分で片付けるべきだ」「皆で決めたことは守るべきだ」というような自他を縛るフィクションが「常識だ」「普通だ」というキメつけとして、各自の中に無意識的にできあがってしまっているからでしょう。それは、それをやらない、守らない人に対して悪感情や対立感情が湧いてくる、自分の考えへ執着した状態です。

自分だけがキメつけているのだったら、自分のキメつけかもしれないと気づきやすいですが、他の皆も同じようにキメつけていると、「そうするべき」ことがあたかも実在するかのような錯覚に陥ってしまいます。「当然そうだ」「人だったらそうするものだ」「誰だってそうする」・・・と。そうして、人を責めて、対立や争いの状態になってしまいます。「悪いのは当然のことをしないからだ」と。そうやってフィクションの牢獄ができあがってしまうのです。固定化したフィクションが、コミュニティの人間関係を壊していくことになっていってしまうのです。願っていることと、まるで正反対のことが起きてしまうのです。

人間が考え出したフィクションに人間自身が縛られている現状を観察していくと、「人間の考え」というものの扱いを知らない状態とも言えるかと思います。つまり、素晴らしい能力を使いこなせないで、その能力に却って自らが縛られている状態です。そういう視点から、「人間の考え」から作られる自他を縛るフィクションから解放され、その能力を存分に発揮できるためのメソッドが見出されたのです。それが次項で紹介するサイエンズメソッドです。

フィクションに縛られなくなったら、どうなるでしょう?
「こうすべき」、「これが当然だ」という世界から解放されると、自分にも相手にも、意思や願いや希望があることがハッキリと見えてきます。それを素直に伝え合い、また互いに相手の意思や願いを聴き合い、理解し合おうとすることで、心の通い合う話し合いの世界が実現していくのだと思います。「やってほしかったよ」とか「それ、やってほしいな」「使った後は、道具を片付けてほしいな」という、人を責めたり、やらせたり、やめさせたり等の縛りや圧力のない、軽くて明るい人と人との関係性が見えてきます。

コミュニティづくりのベースは話し合いだと思います。(第2章第2項参照)固定化したフィクションに縛られた中でのやりとりではない、自らの内にある本心のやり取りが、快適なスムーズな話し合いにつながってくると思います。


(次回へ続く)
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【次の社会創造】 連載第二回  争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

次の社会創造 連載第二回
【争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ】
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第1章

3.アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティってどんなところ?

アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティのことを、初めて知ることになった人もいると思います。

簡単にコミュニティの概要をお伝えしたいと思います。
日本のどこにでもあるような街の中で、「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ」という、かつてない新しい社会創りの試みは展開されています。三重県鈴鹿市は人口20万人ほどの、鈴鹿サーキットとホンダで知られる地方都市です。名古屋から電車でも車でも約1時間ほどの場所にあり、西は鈴鹿山脈、東は伊勢湾に挟まれ、農業も盛んな地域です。

争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会が世界中に実現していくことを願って、2001年からその試みがスタートしました。その願いの実現に向けて、様々な体験をしながら、研究と実験を積み重ねてきました。
コミュニティと言っても、規約や制約がありませんし、義務や責任もありません。ですから、どこからどこまでがアズワン鈴鹿コミュニティであるという境界もありませんし、誰がコミュニティのメンバーかの規定もありません。コミュニティのセンター的な役割をしている鈴鹿カルチャーステーションの周囲1キロメートルくらいの範囲に点在して暮らしている人がほとんどです。暮らしの形だけを見ると、一見、一般の人と変わらない暮らし方に見えますが、内実は、家族以上に親しい間柄が形成され、一つの大きな親しい家族のような暮らしが実現しています。

街に溶け込みながら、様々なコミュニティビジネスや各種の市民活動が、それぞれ自発的に展開され、関連し合い、繋がり合い、一つのコミュニティを形成しています。
会社は、各自の持ち味が発揮され、人が満たされる場として営まれています。
コミュニティでは、親しい家族のように暮らせる仕組みが考案・実施されています。

どの人も自由意志で行動できる組織運営、お金や見返りの要らない経済機構が試みられています。
子どもが元々持つものがそのまま伸びていける子育ち環境づくりにも着手しています。

また、コミュニティづくりや新しい世界の生き方を学ぶための学びの場を提供し、日本はもとより、世界各地から多くの人が学びに来ていいます。

アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティHPこちらから

アズワンネットワークYouTube チャンネルこちらから


4 争いのない気持のままにやさしく生きられる社会って?
~そんなの無理だってあきらめていませんか?

「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」と聞いて、どのように思いますか?
「宗教みたい!」
「それは理想だけど、今までの歴史を見ても、戦争はいつもあったし、人間は争うものだよ」
「同じ関心の人が集まるコミュニティの中だって、夫婦の間だって、必ず意見が違ったら喧嘩したりするよ。対立は当然あるものだよ。」
「聖人君子ならともかく、凡人の自分には、怒るのは当たり前だし、争いがないなんてありえない。世界中がそうなるなんて、非現実的!」
「誰もが本心で生きたら、世の中めちゃくちゃになっちゃうんじゃない?」

こんな声があちこちから聞こえてきそうです。
しかし、この文章を読んでみようと思われる方は、きっと、「そんな社会が本当はいいよなー」「無理かもしれないけど、できればそんな社会になってほしいな」などと希望を抱いたり、「いや、きっとやれますよ」と賛同してくださったりしてくれるのではないかと期待しています(笑)。

人類は、物や技術の研究・開発には素晴らしい能力を発揮して、100年前には、いや僕が子どもだった頃にも、夢にも思わなかったようなことを次々と実現しています。

スマートフォンで地球の裏側の人とビデオチャットができたり、ミクロの世界まで解明できたり、宇宙に人が旅行することも可能になっています。
本当にスゴイ能力だと思います。
このような想像力と創造力を持つ人間が、なぜか人間自身のことや社会のこととなると、あまり進歩していないというか、ますます複雑で暮らしにくい状態を作り出してしまっているようにも見えます。
人や社会のことになると、夢は夢のままなのでしょうか?

人間や社会に対しても、人間の持つ想像力や創造力を発揮することができたら、「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」も夢ではないと僕は思うのです。
なぜ、人間のその素晴らしい能力が、人間や社会に対して発揮されていないのでしょうか?

それは、人間や社会に対しての深い「思い込み」「キメつけ」や「あきらめ」があるからだと思うのです。(第1章第6項参照)だから、理想の人間とか、理想の社会に無関心になってしまっているのだと思います。
「人間の歴史を見れば、いつの時代にも戦争があったのだから、人間は争う動物なんだよ。だから争いはなくならないよ」。
今の混乱した社会の中で育つ中で、知らず知らずのうちに、こういった観方になっている場合が多々あるようです。

本当にそうなのでしょうか?人間はそんなものなのでしょうか?
数千年の戦争や対立の歴史から、「人は争うものだ」「本心で生きるなんて難しい」という、人や社会に対するあきらめた観方や、思い込みができてしまったのかもしれません。

仮に、今までの歴史がそういうものであったとしても、人間の素晴らしい能力を以てしたら、それも変えることができるかもしれません。
ゼロから見直してみたら、あきらめやキメつけや思い込みから解放されるのはそれほど難しくないと思います。
世界中の誰もが本心では「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」を願っていると思うのです。
その願いを現実に実現する力を人間は持っていると思います。

例えば、争いについて言えば、その原因を探究し、それを取り除くことができれば、争いをなくすることができると思います。心の中の怒りもなくすことができると思いますし、人間関係のいざこざや、社会の戦争もなくすこともできると思います。

「幸せ」ということについても、「幸せ」とは何かを知らないまま、なんとなく「幸せ」になりたいと思ってやっていても、目的地を知らないで走っているようなものだと思います。「幸せ」とは何かを解明し、ハッキリ知ったら、「幸せ」は実現すると思います。(「幸せ」とは何かを解説し始めると、長くなるので、ここでは、簡単に「無理のない、自然界の理にかなって生きる姿、つまり、すべてと無理なく調和し、楽に快適に満たされて生きる姿」と表現しておきましょうか。)

こういう文章を読むと、「そんなの無理だ」、「難しいこと言うな」と思われるかもしれないですね(笑)。
そこが「あきらめ」思い込み」になっていないかな?と思うのです。
今までの常識や自分の観方を、一回ゼロから見直してみる。そこがとても大事な視点になると思っています。「無理だ」「できるわけがない」という考えを一度棚上げして、「もしかするとできるかもしれない」と見直してみるのです。

「空なんか飛べるわけない」という思い込んだ思考のままだったら、飛行機の発明はなかったと思います。「飛びたいな」「飛べるんじゃないかな?」、そういう現状の思い込みやあきらめから解放された先進的な人がいて、「飛べる!」という事実を世に示すことができたからこそ、世界中の人の観方が変化したのだと思います。今では、それは当たり前のことになり、世界中に飛行機が飛び、自由自在に旅行できる時代になっています。ライト兄弟が初めての飛行に成功して、100年ちょっとしか経っていません。

モデルができるというのは、そういう意味があると思っています。皆があきらめて「できないよ」、「無理だよ」と思っていたことが、実例を目の当たりにすると「できるんだ!」と可能性に胸躍るようになるでしょう。

これは単なる希望的な思いではないのです。僕は、20年を超すアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティでの研究と実験を通して、人間の素晴らしい能力を使えば、自分達が本当に願う世界は実現できると実感しています。
宗教や特別な教えを学んだり、特殊な能力を使ったりするのではないのです。これだけの文明の進歩をもたらした人間の持つ知能・知性を使えば、それが可能だと思うのです。

つづく
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【次の社会創造】 連載第一回  争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

次の社会創造 連載第一回
~争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ~
サイエンズ研究所  小野雅司
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はじめに 新しい世界を求める人達に

宇宙から見る地球は青く美しく輝いて見えます。
元々、国境などあるはずもなく、一つの調和した世界として存在しているようです。

そんな地球の本来の姿のように、人間も、自然と共に、争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会ができないものでしょうか。

そんな素朴な願いを、真面目に本気で実現しようと、僕達は2001年からアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティという、新しい社会創造の試みに取り組んできました。

理想に向けて研究と試験を重ねながら、今では、赤ちゃんからお年寄りまで、200人近い人達で構成するコミュニティに成長してきました。

規模は小さいですが、社会を創るという試みですから、人間生活全般にわたるテーマすべてに、正面から取り組むことになります。話し合い、人間関係、組織運営、意思決定、会社経営、経済機構、家庭生活、結婚、育児・教育、仕事、芸術、趣味、文化・・・、それらを常識に執われずに、ゼロから見直しながら、理想の方向にいくにはどうあったらいいか? と探りながら、試しながら、進んできました。

そして、そのプロセスはいつも順調に進んできたわけではありません。かつてない、世界で初めての試みですから、手本にするものもなく、手探りで進めることばかりで、多くの誤りや勘違いもあったと思います。未熟な者同士が互いに成長しながらの試みですから、様々な問題が途中で起こり、その都度問題に向き合ってきました。人間関係がうまくいかず離れる人が出たり、話し合えないことが起こったり、経済的に行き詰まることもありました。

このようなコミュニティづくりの20年のプロセスで経験してきたこと、その中で見出してきたこと、実現してきたことは、多くの人達にとっても、とても大事な参考資料・財産になるのではないかと思っています。

それは、これからコミュニティづくりを進めようとする人のみならず、家庭や地域や職場などで、よりよい人間関係を求めている人、心が通い合う話し合いを求める人、ティール組織やホラクラシー組織など新しい組織運営を求める人、新しい意思決定の方法を求めている人、本来の教育や人の育ちを考えたい人、自由な空間を作りたい人、若者が若者らしく、高齢者が高齢者らしくなど、それぞれの人間らしい生き方を求める人、民主主義の混乱を感じ新しい社会運営を模索する人、資本主義の行き詰まりを感じ新しい経済を描きたい人・・・などに、きっと役立つものだと思うのです。

コミュニティづくりを進める中で見えてきた一番大きなことは、コミュニティにおいても、会社運営や活動を進めるにも、すべてにおいて、人間関係が一番大事であるということです。
七五年以上にわたる米国ハーバード大学の「成人発達研究」でも、「幸せな人生は、良い人間関係によって築かれる」と報告されているそうです。
人は人と共に生きていく動物です。人間同士の関係の質が、すべてに暮らしや活動に影響していくのは当然のことだと思います。
コミュニティづくりのプロセスで見えてきた人間関係の問題、そこが良好な関係になっていく鍵なども紹介したいと思っています。これは、すべての人に参考になるのではないかと思います。

僕達の試みも、僕達自身のためにやってきた訳ではありません。僕達の試みから見えてきたもので、生かせるものがあればぜひ使ってもらいたいと思いますし、僕達にできることは何でも提供したいと思っています。もちろん、今回、紹介できるのは、紙面の都合上、また僕の表現能力の制約から、そのほんの一部になってしまいますが。

また、僕達の試みが「正しい」「間違いない」と思っているわけでもないので、これを教えたり、押し付けたりするものでもありません。僕達なりに理想を追求しての試みですので、これを一つの参考資料として、吟味・検討してもらった上で、役立ててもらえると嬉しく思います。




第一章
1.モデルづくりというアプローチ ~自然の理にかなう姿を求めて

現状の世界を見渡してみると、今のコロナ禍はもちろん、環境問題、経済格差、就職難、生きがいのなさ、引きこもり、子育てのしにくさ、人間関係の難しさ、政治の混乱、自殺問題、世界各地の紛争・貧困問題・・・など、様々な問題が、多くの人の努力にもかかわらず解決されないままにあるようです。
それらの問題への対応も急を要することばかりで、その対応・解決に力を注いでいる人達もたくさんいることと思います。それは、とても貴重な取り組みだと思っています。

もう一方で、世界をよくしていくための全く別の角度からのアプローチがあります。つまり、理想の社会のモデルを創るというアプローチです。僕達が20年かけて取り組んできたアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティは、この一例になります。


理想の社会と言っても、それぞれが思う理想という意味ではなく、自然界の理にかなう社会という意味です。宇宙自然界は、全てはつながり、単独で存在するものはなく、全ては常に変化しているというのが自然界の理ではないかと考えています。

人も物も、その中で、ひと時、現われ、また次のものに姿を変えながら存在しているようです。人の生き方もまた、この自然界の理にかなって生きることで、すべてと無理なく調和し、楽に快適に満たされて生きられるのではないかと思います。

理にかなわない、無理なことをやっていることから、様々な人間問題、社会問題が生まれているのだと思います。そのような自然の理にかなう社会を、規模は小さくてもモデルとして創ってみようというチャレンジです。そういう社会の中ではじめて、人は自分らしく、気持のままにやさしく生きられるようになるのではないかと思うのです。

今急がれている問題への直接の解決につながるものではない場合が多いので、緊急の課題に取り組んでいる方からは、「夢みたいなことばかり言っている!」「現実の問題はどうするのだ!」とお叱りを受けたりもします。

しかし、僕は一見遠回りのように見えるけど、それらの問題が起こりようのない、それらの問題が消えてなくなるような自然界の理にかなうモデルを創ることができたら、長い目で見たら、社会に大きな進歩をもたらすのではないかと考えています。

それは、次の社会のモデル像を参考資料として提供できることになると考えています。また、コミュニティづくりを進める中で見出されてきた、理想を実現するためのメソッド(サイエンズメソッドと呼んでいます)も誰にでも使ってもらえる方式として提供したいと思っています。



2.平和を求めて戦争をしている!?

僕は学生時代に平和運動に関わっていたことがあります。しかし、平和運動のためにストライキを打ち、デモをしたりする中で、大学当局と喧嘩沙汰に至ることもありました。

また、学生自治会内部の争いもしばしば起きたりもしました。平和を願って、「これは必要だ」「これを何とかしなければいけない」と考えて、皆一生懸命にやっているのに、実際には争いが惹き起こされてしまうのです。敵が生まれてしまうのです。「自分達は何をやっているのか?」と、自己矛盾を感じ、平和運動から身をひくことになりました。

その時感じた疑問点から世の中を見てみると、同質のことがいろんな場面で現れていることに気づきます。
仲良くするためには約束を守ることが大事だとして、約束を守れなかった人を責めて仲が悪くなってしまったりしています。
人間関係を良くしようとして、「みんなのことを考えて行動しよう」と決めて、それをやれない人を責めたり罰したりして、みんなが萎縮してしまい、人間関係が悪くなったり・・・。

素直で正直な子どもに育てたくて、嘘を言う子どもを叱れば叱るほど、子どもは親に怒られることを恐れ嘘をつくようになる・・・・。

社会を良くしようとして規則を設け、規則を守らない人を守らせようと罰を重くすればするほど、社会がだんだん窮屈になってきてしまう・・・・。
例を挙げたらキリがないほどです。

願いは純粋なものなのでしょうが、一生懸命やればやるほど、なぜかそれに逆行することが起こっているようなのです。どうしてこういうことが起きてしまうのでしょう?

この経験から、現実問題に対処するというアプローチの中に、何かが矛盾していることが起き、真の解決に至らないのでは? という問題意識が芽生えてきたのでした。やはり、根本的に原因を探り、心底で願っているものを見出さないと真の解決に至らないのではないか・・・と。

そして、心底で願っていることは、つまりは、自然界の理にかなった姿なのだということは、鈴鹿に移り、研究活動をする中で見えてきた視点です。学生時代から20数年経てからのことになります。

心底の願いに逆行することなく、願い通りに実現されていく、そんな道筋・実例を、僕達の実践例の中から紹介できると嬉しいと思っています。2001年からのコミュニティづくりの中で、僕達も、やはり「平和を求めて戦争している!?」と同様のテーマにぶち当たり、そこを乗り越えていくプロセスで多くの学びがありましたし、今も学び続けています。

この連載を通して、家庭・職場・活動・会社・政治など社会生活全般が根本的に見直され、争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会が実現されていく、キッカケになることを願っています。

(次回へ続く)
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