「やること」の縛りから、「私の気持ち」への解放

「やることになっている」というのは、「やる」という選択しかない状況に人を追い込んでいないか?
「やりたい」「やってほしい」または、「やらない」「やりたくない」「やってほしくない」とかの、人の気持ちや意志は、どこにいったのだろう?
気づかないうちに、自分も人も「やること」で、人の心を縛ってないだろうか?
6月17日~「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。

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◆一旦白紙に戻してから
私は今まで自分なりに色々と探究してきました。
そして、ある程度は分かっているかと思っていました。
しかし、今回はその記憶の破壊からスタートしました。
毎回ホワイトボードに文字化していくのですが、自分の知識が毎回否定もされず肯定もされず、自分は本当に正しいことを書いているのだろうか? と自分は本当に知っているのだろうか? 今まで自分は何をしてきたのだろうか? という思いが重なり時折頭が混乱し毎回夕刻あたりからはほぼ思考停止の状態が3日間続きました。
3日目は終わりの感想すら皆さんの前で喋れなくなって無言のままパスしてしまいました。
4日目の朝、自分自身の知識・記憶・体験を一旦白紙に戻してみようと思った時点から、少し流れが変化してきて、少し冷静に自分と周りにいる方たちを見ることができるようになったと思います。(40代男性)

◆素直に受け取れないのはなんでだろう
自分の前に食べ終わった弁当箱が置かれた。
おれが片付けるの?
何だか心がざわついた。
ただ、置いてあるだけだけど、片付けろと命令された気になった。
急いで、相手の前に弁当箱を押し返した。
僕は、洗いませんから返却します。
言葉は何もなかったけれど、相手とのやりとりが鮮明に聞こえたような気がした。
あなたの言いたいことはわかってますよ。
ふだん、けっこうこういう風に相手のことが分かったとなっていることが多いような気がした。
自分が認識したことが実際に相手がそう思っていることとして捉えていて、自分の捉えたことに対してではなく、相手に対して反応しているように思っている。
だから、相手に対して関心がいかない。
もし、相手が弁当箱を洗ってほしかったとしてもそうでなくても、なんで素直にそれを受け取れない自分がいるのだろう。
すごく反発しようとするのはどこから来ているのだろう。(20代男性
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2ndCSS「社会・人間・心の“豊かさ”を探る」~科学技術の先にあるものとは~《2》





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「社会・人間・心の“豊かさ”を探る」
~科学技術の先にあるものとは~ 《2》


前回の記事>>>《1》プロローグ

出席者 内藤正明(京都大学名誉教授、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターセンター長)
    真保俊幸(ScienZ研究所)
    小野雅司(ScienZ研究所)
    坂井和貴(ScienZ研究所)
    片山弘子(GEN-Japan代表)

1.何のための研究か? 専門化し細分化している現状

現実の問題から乖離していく研究

内藤 もともと私は日本で最初に総合解析という研究の必要性を強調し、 そういう研究組織を創った先駆けだと思います。
 
片山 そうですね、やがて国立環境研究所の総合解析部として、 地球​温暖化を防止するためのシミュレーションなど国際的に影響力を持ち、現在は東近江でも生かされていますね。

内藤 創設​した​当時は、「何だそれは?」という反応でしたけど、 今では総合解析という言葉はいろんな場面で使われますね。現実の問題を本気で扱おうとしたら、あらゆる専門分野が関わってこざるをえない。ところが、今の大学でいうと、もともと細分化した研究分野を対象とするわけでしょ。それで“何とか経済学”の“なんとか分野の専門”だとかね。そして若い人は“その分断された狭い分野”に入って、その中でずーっとやって、またそこで偉くなっていくわけだから、世の中の現実とは直接は関係ないんですよね。

現実に何が問題かは関係なく、~~研究なんて言ってますが、それに合った論文を書いて、教授になるけど、実際に日常起きている出来事と関係ないことが多い。そこで誰もやってない研究して教授になったというわけですね。外の人は、偉い学者が学会という特殊部落で活躍しているということが分からないし、肩書に弱いですけどね。

小野 なるほどね、そういう構造になっているんですね。


内藤正明さん
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