New Video! ”サイエンズアカデミーって、何してるの?”

新しいビデオができました!
誰もがその人らしく生きれる社会を願う若者たちのための学びの場「サイエンズアカデミー」のPart.3。(3回シリーズ)

ジエゴとフンミのビデオに続いて、今回は👉アカデミーの日常を紹介したいです!
一人一人の日常の中の一つの「推し」を聞いてもらえたらと思います。
https://youtu.be/664wcpkPLJE
Academy Life(英語、ドイツ語、ポルトガル語、韓国語、日本語の字幕があります)

・Vol.1 ジエゴ(ブラジルより)「次の社会を創る人が育つ」
https://youtu.be/csYI-kTrOag
・Vol.2 フンミ(韓国より)「親愛なる友へ」
https://youtu.be/TVzRmrX_fvw

アズワンネットワークサイエンズアカデミーの目的をもう少し知りたいと思う方は、こちらへどうぞ👉 https://tinyurl.com/yddd3cq8
アズワンネットワークの活動をもっと知りたかったら👉 https://tinyurl.com/y7lrudac
サイエンズアカデミーの母体となる鈴鹿コミュニティをもっと知りたかったら👉 https://tinyurl.com/yaq73q79
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11月12日~13日でアズワン鈴鹿ツアー開催

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11月12日(土)~13日(日)でアズワン鈴鹿ツアーを開催しました
岐阜県と愛知県からの参加者を迎えて、12日(土)から13日(日)にかけてアズワン鈴鹿ツアーを開催しました。
お二人とも、多くの友人・知人からアズワンにぜひ行ったらよいと勧められていたそうで、今回タイミングが合って来られました。
一緒に理想のコミュニティや社会をつくりたいと活動されていて、実際に1泊2日を過ごしてみて、たくさんの学びや気づきがあったとのことでした。

参加アンケートから紹介します。

争いのない世界、平和と調和の世界を理想に掲げ歩まれてきた道のりに、今、新しい世界、新しい時代、新しいシステム、新しい人々が、実際、実現されていることに、敬意と感動です。もっと知りたい、学びたいと思いました。
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12月オンライン対談 「分裂、対立の社会から「一つ」の社会へ」Youtube公開

12月9日に開催された、オンライン対談
「分裂、対立の社会から「一つ」の社会へ~理想論でも、宗教・道徳でもない第三の道 アズワンとサイエンズメソッド」
の動画をYoutubeに公開しました。
ご覧ください。

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対談「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」文章化(その2)

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10月のオンライン対談の文章化(その2)です。
ご覧ください。

10月の対談については、YouTubeで動画が見れます。
https://youtu.be/pqCM5PseOPw

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「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」(その2)

三木
それでその問う方法としてサイエンズメソッドが生まれてきたということですね。
自分自身がサイエンズスクールで8つのコースを体験させていただいて思ったのは、それぞれのコースに出てくる問いというものが、実に有効じゃないか、ということです。自分の実際がどうなっているのかを調べる問いになっている。

そこから、僕は、これが本当に21世紀の禅だなと強く感じ入ったわけです。
公案みたいなんですね。
「生まれる以前の、自分の顔とは何か」
など伝統的な公案には、非常に難しいものが多いと思っているのですが、そのような難しい公案ではないし、もっと身近な問いであるにもかかわらず、本当の自分を観れていく、いい問いだなーと思ったわけです。
ああいう問いってのいうのは、どういう形で生まれてきたのですか。

小野
そうですね。僕らは、2000年の暮れに引っ越してきて、2001年当時から本当に研究したかったんですね。
「何がどうなって間違ってきたのか」
「本当はどうしたかったのか」
「本当に固定しないでいくとは」とか、
「一つってどういうことか」とか、
もっと研究したいというメンバーで、最初の頃からズーっと毎週3時間、いろんなことを研究する中で、次第に見えていきました。
それがある程度「こういう方向だろう」とか、
「なぜ固定するのか」、
さっき言っていたように、
「いくら頭で分かっていても、そう成っていかないのはなぜか」とか、
そういうことをずっと研究していく中で、その中で自分たちが調べていく問いが自然に出てくるわけですよ。
それがある程度見えてくると、これをまた今度は
「いろんな人たちが一緒に考えていけるようになるにはどうしたらいいか」
という中で生まれてくる問いですよね。
やっぱり自分たちが問いかけてきたその中で「見えてきた問い」ですね。
またサイエンズメソッドっていうのは教える方式ではなくて、一人一人が気づいていくものにしたかった。おそらく禅の公案も同じ趣旨だと思うんですが、何か教えがあって、それを覚えたりするんではなくて、一人一人が真理の方に気づいていくためのきっかけとしての禅だったんじゃないかと思うんです。
僕たちも、教えること自体が、さっきも話に出ていましたように、考えを固定する方式ではないかと思っています。
「どうやったら一人一人が自分の頭で考えて、自分自身で本来とか真理に気づいていけるだろうか? 本来のものに気づいていくには?」
という方向ですね。特に、それを個人で「うーん」と考えるのではなくて、その真逆で、みんなで考え合う中で気づいていけるようにーーー。そういう研究をする中で見つけ出していった問いですね。

三木
なるほど。
今の話を聞いていて、やっぱりサイズメソッドがすごくいいなぁと思ったんです。
僕は瞑想などを通して、自分で自分の内側を観ることをしてきたんです。ところが、サイエンズメソッドでは僕は不意打ちを受けたんですよ。
みんなでこたつを囲んで、お茶とかお茶菓子を食べながら、問いについてみんなでべちゃべちゃべちゃべちゃ喋るじゃないですか(笑)
そういうと語弊があるかもしれないですが、そうやってみんなで深く考えながら、進むじゃないですか。ここが、自分一人で考えるんじゃなくて、みんなで一緒に探究するっていうんですかねーー。
「これはどういうことだ、どういうことだ」と。非常に新鮮だったし、経験して、これは楽だなあって思いました。
自分一人だとどうしてもブラインドスポットのようなものがあるのですね。ところが、この場合は、他の人の考えを聞いて、
「あ、それはそうだな」
と、はっと立ち止まったり、気づくわけです。そういう感じはいくつもありました。

振返ると、自分がサイエンズスクールに参加している時に、随分、いろんな人に助けてもらったなあと思いますが、しかしやっぱり気づくのは、自分自身なんです。この点が大事じゃないかと思うのは、普通の状態では、人の気づきをいくら聞いてもそれは自分の気づきにはなりえない。しかしサイエンズの探究をしている場合には、
「ああー、なるほどなるほど」と、
そういう時は自分の方で気づいてるんですよ。

小野
うんうん

三木
そういう自分自身が体験してきたことがあって、今の話でもやっぱり非常に考えられてるなぁと思うのは、もしこれが教えとして、
「これが答えだよ」とやってしまうと、
その答えを暗記して、
「この問題が出た、この答えに従って」
のような今までの教育の仕方に戻っちゃう。
だからある意味、現代人がみんなで一緒に考えたらいい質の問いを、アズワンのこれまでの経過の中でみなさんで見出してこられた。それを提供しているという印象があります。
「みんなでこれ一緒に考えてみようよ、探求してみようよ」と。

小野
うんうん

三木
あと一つは、サイエンズメソッドで、部屋に張り紙してあるじゃないですか。正確な言葉はおぼえてないのですけど、終わりなき探究でしたっけ、どこまでも続く探究、、、
ね、どこまでもいくみたいな。どこまでも広がっていくみたいな

小野
そうですね。

三木
自分の固定を、どこまでも取り外していくための問い、ということでしょうか。

小野
ええそうですね

三木
この感じがまた、禅なんじゃないかと思うんですけどね

小野
そうですね。サイエンズメソッドでは「人間の考えがどういうものか」っていうのが一つ目の問い、というか項目で、「人間の考えを知る」っていう項目がすごく大きいんですが―――、

三木
ちょっと待ってください。
その「人間の考え」って言い方がちょっとわかりにくいと思うんですが、それってどういうことですか。

小野
んー、これ、確かにね、話始めると難しいといえば難しい、、、  
例えば、いま僕たちの目の前にマイクがありますが、こういうモノに対しても、人間は全て自分の目を通して、五感を通して認識して捉えるわけですよね。真理とか本当のことを調べていくのも、絶えず人間は何かの五感を通して、経験とか知識とかを使って認識して、それを思考したりしていろんなものを見出していく、そういう生き物だと思うんです。
そういう意味で、いくら事実とか真理に迫ろうとしても、あくまでも人間なりに捉えたもの、五感で捉えて人間なりに捉えたもので真理に迫っていこう、事実に迫っていこうとする存在だと思うのです。ですから、どこまでいっても、いくら調べても、真理にどんどん近づいていくとは思うんですけども、人間は人間なりの捉え方でしか捉えられないという限界を知る。
それがある面で、決して固定しない、決めつけが起こらないことになる、この発見はすごく大きかったなぁ。

こういうのも、知識的には、脳科学の分野で、現代ではすでに言われていることですけれど、じゃあ、いざ自分たちが暮らしている日常では、やっぱり「見たら、そうじゃん」とか、「私は見た!」とかね。
「見た、絶対間違いない」とか、
結構言い張ったりしがちです。この大きさをすごく思うんですね。
理論的に留まることなく、やはり実際に迫っていこう、真理を知っていこうという姿勢でもあるし、それを探究会で、知識ではなくて、人間の限界を自覚して、絶えずそういう姿勢で生きていけるようになる、そこが大きいんじゃないかなと。

三木
なるほど。じゃあ、サイエンズの各種コースではその問いを通して、どこまでも固定しない、決めつけないということを学んでいるんでしょうか。

小野
そうですね。それが一つ大きいです。
人間の考えを知るってことは、どんな時も自分たちが見てるに過ぎない。だから認識していることとかは仮説でね。証明されたと言われている法則とか理論とかでも、
「人間なりに一応証明した」
と思ってるだけで、
「証明したから実際だ」
「証明したからこれは真理だ」
とは言いきれない。まあ実際に科学の理論とか法則も、その時代には真理だって言ってたことも、また新しい発見や理論に塗り替えられていることが多々あるわけで、今の段階で、一応真理だろう、と人間が思っている。だから真理そのものではないですよね。真理だと思っている。真理だと、一応証明されている、としているわけですね。

三木
現時点ではそう思っている、ということですね…

小野
そういうことだと知っていく。すると、決めたこと、固定したものが無くなっていく。その結果として自然に悪感情とか対立から解放されていくーーー
そこが大きいと思いますね。

三木
ここは丁寧にね、もっと聞きたいところですけど、要するに固定がなくなってくるっていうところが、他人に対する悪感情を持たなくなるということに、どうしてそこがつながってくるだろう。

小野
例えばひどいこと言われてとかね
「あいつがひどいこと言ったから、自分が腹がたった」
よくそういうことも話に出ますね。
この例で行くと、ひどいこと言ったっていうことについても、まず、ひどいこと言ったってことが事実かどうか?
:
「あいつがひどいこと言ったから自分が腹立った」
と当然のように思ったり言ったりしますが、はたしてその人はひどいことを言ったのだろうか?
ひどいことを言った、これが事実だ、そこから話が出発しますが、そもそもひどいことっていう事実があるのか?とかね・・・
ひどい事の、ひどいっていう形容詞も、相手の人が言った言葉を自分のイメージ で捉えたり、様子を見て、それを自分のイメージでやはり捉えたり、自分の過去の経験、記憶に照らして解釈して、「ひどいな」となる。そこは自分が認識してそうなる訳ですが、それを、自覚がないまま、自分自身の捉え方であり認識だということが抜け落ちて、
「ひどい事が起こった」となる・・・。
悪感情が起こるには、そう捉えてしまう捉え方や過去の記憶、その事に対する価値観など、いろんなものがあるわけです。

自分なりのそういう捉え方と、記憶や心の状態などが反応して、怒りが起こるんですが、それをあたかも、相手のせいにするメカニズムがいろいろ複雑にからんでいる。
そのプロセスを解剖していくわけです。しかし、解剖の仕方も、論じるのではなく、どういうことが自分の中で起こっているのかを観察していくわけです。
すると、ここで決めている、ここは過去の体験とを結びつけている、とみえてくる。
言葉の問題もありますね、言葉に対する価値観が自分独自のものだ、と知っていくと見えてくる。すると、どんどん悪感情や怒りからも解放されてくるわけですよね。

三木
何かひどいことを言われたと思って自分は怒っているーーそのプロセスをもう一回、最初から調べていくと、ひどいことを言われたっていう、その自分自身の解釈自体がきっかけとなっていくけれども、それは本当ですか? という問いだと言ってもいいのでしょうか。

小野
そうですね。その場面では実際に何が起こっているのだろうとかと観察できるようになるとね、怒りはほぼなくなっていく感じはしますね。
この時の「相手のせいで」となっている部分ですけど、本当に相手のせいなのか、僕たちは「調べる」という表現をしていますが、その始まりとプロセスをちゃんと観察できるようになるとね、怒りはほぼなくなる感じがしますね。

三木
それは実際に起きていることに対して、自分でジャッジしないっていうか、ニュートラルでいられるみたいな感じなんですかね。

小野
だんだんそうなってきますよね。
その起こったことについて、まずは、まあ色んな反応がパッと起こってるんですけどそれがなくなるって事でもないですが、だんだん自分がとらえているんだということが分かってくるとーーー、

三木
この野郎みたいな

小野
はい、そういうことも、なぜこの野郎ってなるのか、だんだん分かってくると
「自分中にそういう捉え方もあるんだな」
と、自分を客観的に眺めたり、
「実際相手は何言ったんだろう?」
と、自分の感情より相手の実際に対して関心がまっすぐ移ります。こうした経過を経て、サイエンズメソッドを学んでいくと、悪感情とか怒りが無くなってきますね

三木
そのプロセスが見えてない段階では、それこそ小野さんに何か言われて、この野郎と思った時には、自分の方に自分の関心が向いちゃってて、何か言ってやろうかと思ったり、いやいや自分みたいな善良な人間はそんなこと思ったりしていけないと懸命に抑え込もうとしたりします。いずれにしても、結局自分の方に関心が行っちゃってるわけですね。
ところが、さっき小野さんが言ったように、そのプロセスが観えて、ニュートラルな姿勢になってくると、相手が言ったこと自体が
本当は何を言っているのか?
と相手に関心が向いていく、そういうことですかね。
それが本当の話し合いのスタート地点になっていく。

小野
そうですね
その人が言葉を通して、何かを表現するのを聴くということは、その表現する前の、その人を知りたいわけです。しかしほとんどの場合、言葉に対して自分が反応をしてしまって、
「ひどいこと言われた」とか、
「ああ嬉しいわ」とか、ね、
もう全部、自分の中だけでぐるぐるまわっているだけですよね。だいたい自作自演で、怒ったり嬉しかったりして、相手にはほとんど関心がない、という例が多い感じがしますよねー。

しかし、「だから怒っちゃいけない」とか
「何かおかしい」とか
怒ったことに対してまたジャッジが入る、そしてそれを「言っちゃいけない」とか
「おかしい」とか言って抑え込むから、ますます何が起こっているのか見えなくなっちゃうのではないでしょうか。
しかし、実際には起こったことは起こったことで、良いも悪いもなく起こってしまったことです。しかも、これを材料に自分の中のメカ二ズムを観察するとか、どういうプロセスが起こっているか観られるようになる。
この点だけでもすでに、何かを信じ込んだり、なにかの価値観で感情を抑え込んだりするような方向とは、全然違いますよね。

起こったことを題材に、何が自分の中にあるか、どういうふうに、どんな価値観があるのかとか、そういうことが自然と見えてくる。 それをまた一人で分析したんじゃないということがまた面白いところですよね。

もし一人だったら、大体自分の解釈の方に行ってしまうことが多い。それがさっきの問いがあったり、みんなの中でいろんな話を聞きながら、冷静に自分の中が観れるようになったりします。人の例を聞きながら「あっ!」てね、自分が気付いたり・・・。
一人で自分の中を見る人は、例えばブッダとかああいう人はできた人なんだろうなと思いますけど、ほとんどの人はそういうのは非常に難しいと思うんです。しかしサイエンズメソッドのミーティングで調べていくと、かなりの人が簡単に気づいていける。
そういう感じがしますね。

三木
それで言うと、僕が体験的に思うのは、何人かと一緒に探究するのですが、そこの空気感、安心して自分の中を調べられる、というのがいいですね。どうしても普段は自分を守ってると思うんです。

小野
そうですね。

三木
そこを安心して素直に調べていける場ができてるような気がするーーーいや、ような、じゃなくて、実際出来ているのですが、そこはやはり小野さんたちのこれまでの経験が、何か生かされているのかと思うんですね。
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福岡で「人を聴くためのカレッジ」を開催

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福岡で「人を聴くためのカレッジ」を開催しました
12月4日(金)~6日(日)の2泊3日、福岡では初めての「人を聴くためのカレッジ」を開催しました。当初は今年の3月に予定していましたが、コロナ感染拡大のために延期して、何とかギリギリで年内の開催が実現しました。篠栗町のフリースクール「山ネコ」さんを会場に、9名の参加者と2名のスタッフで2泊3日を過ごして、深い学びの場をつくることができました。
5年前の2015年に、今のカレッジになる前身の「持続可能な社会づくりカレッジ」の第2回に3名、第3回に6名が福岡から参加したことがありました。その中から、ずっと引き続いて今日まで活動している人たちが出てきて、今回の動きにもつながりました。特に、当時の社長をはじめ主軸の人たち5名が揃って参加した「えこわいず村」では、仕事をやることよりも人間関係の問題解決を優先するという、カレッジでの学びを参考にした会社の気風づくりが、今日まで続けられてきています。今回のカレッジにも、新しい社員の人2名が参加しましたが、何か他と違う社風がどうしてできてきたのかの謎が、少し解けたようだとのことでした。

感想を紹介します。

生まれながらに持っている能力が、いろんなものが乗ってきて、隠れてしまっていること、それを自分の中に探しに行く工程が楽しかったです。
いろいろなことにとらわれて、本当は自分が何を望んでいるのか、どう感じているのか、わからなくなっています。
これからは、自分の中の答えを見つけながら、自分にも、人にも正直でありたいです。
そうすることが大切なのだと気づきました。
人のためとか、チームのためとか言いながら、自分の気持ちを置き去りにしていたけれども、これからは、自分の気持ちを話せるようになりたいです。
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【オンライン対談】の第2回を開催しました

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【オンライン対談】分裂、対立の社会から「一つ」の社会へを開催しました
12月9日(水)19時半から21時半で、第2回のオンラインによる対談が開催されました。今回のテーマは、分裂、対立の社会から「一つ」の社会へ~理想論でも、宗教・道徳でもない第3の道ーアズワンとサイエンズメソッドでした。
10月25日に初めて開催されたオンラインによる対談「次の社会への扉を開く~21世紀の禅!?サイエンズメソッド」は、とても好評でした。YouTubeでも多くの方たちに視聴してもらっていて、このブログ上にてテキスト化した文章の連載も始まっています。そういう中で、このような対談を続けてやってほしいとの声が多くあり、今回の開催となりました。
アズワンについて初めて触れるという方たちも含めて、60名近くの参加者で三木さんと小野さんの対談を聞き、グループで感想をシェアしたり、参加者からの質問に小野さんが答えたりと、充実した2時間でした。そして、政治や社会運営などについてどのように考えるのかなど、これからも継続的に対談でテーマにしていきたいことも出てきました。
今回の対談も、録画されていますので、少し編集してYouTubeにて公開予定です。参加できなかったという方、ぜひご視聴ください。
また、第3回の対談は、来年2月くらいになりそうですが、シリーズで開催していきたいと思います。
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【オンライン対談】分裂、対立の社会から「一つ」の社会へ

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【オンライン対談】分裂、対立の社会から「一つ」の社会へ~理想論でも、宗教・道徳でもない第三の道ーアズワンとサインズメソッド

先月25日に初めて開催したオンライン対談「次の社会への扉を開く~21世紀の禅?!サイエンズメソッド」は、アズワンネットワークのベースとなるサイエンズメソッドについて、とても分かりやすい内容だったと好評でした。シリーズでやってほしいとの声も多くあり、第2回のオンライン対談を開催します。
 対談するのは、元大手出版社の編集者で、個人の意識の覚醒と社会変革を求め続けて、昨年アズワンに出会った三木卓さんと、アズワン初期からのメンバの一人でもある、サイエンズ研究所の小野雅司さんです。
関心を持たれた方、どうぞご参加ください。

今回の対談に寄せる三木さんの思いが届いています。
「サイエンズ研究所小野さんとの2回目の対談では、サイエンズメソッドとアズワン鈴鹿コミュニティを通して、何を実現してきているのか、その核心部分を聞いてみたい。
『サピエンス全史』の著者ノヴァル・ハラリが言うように、フィクション・人間の考えを共有することによって地球上の覇者になった人類が、分裂、対立、支配—被支配を繰り返してきた末の、フィクション・人間の考えの究極の形であるデータとAIによる超管理・超格差社会に向かうのか、それともこれまでにない社会を創れるのかという、有史以来の決定的な分岐点に立っている。
今日に至るまで、これまでにない社会、ユートピアは、ただ理想論、あるいは過去の理想として語られるだけか、あるいは熱狂的な宗教や社会運動として起こり、大きな対立や分裂を引き起こして終わるだけであったように思う。
そのどちらでもない、新しい社会変革、第三の道によって、これまでにない社会の誕生が、アズワン鈴鹿コミュニティ20年の歩みであると感じている。
そこを小野さんと語り合ってみたい。
それは、我々全員が共有できる実現可能な希望についての話になると思っている。」

対談の録画をYouTubeで公開していますので、以下からご覧ください。
https://youtu.be/pqCM5PseOPw

【聞く人:三木卓(みきたかし)】
東大文学部社会学科卒、元編集者、医療社団法人理事、公共貨幣フォーラム理事、縮小社会研究会会員、共和党メンバー。インドでOSHOの弟子になって以来、インド、ヨーロッパ、アメリカ、日本の様々覚者の元で瞑想、呼吸法、ヨガ、アドヴァイタ哲学、自己啓発などを学び、意識の覚醒、悟りの世界を探求。昨年Gaia Educationで初めてアズワンを訪問。

【答える人:小野雅司】
東大教育学部卒、サイエンズ研究所研究員、アズワン鈴鹿コミュニティ在住。
人と社会の本来の姿を明らかにする研究活動と同時に、コミュニティづくりの実践を続けてきた。それに関する教育プログラムの開発と、日本、韓国、ブラジル、スイスなどコミュニティづくりのサポートを進める。

日時: 12月9日(水) 19:30~21:30
 スケジュール(予定)
19:15 ZOOM使い方案内
19:30 開会
19:40 対談
20:45 グループセッション
21:10 まとめとお知らせ
21:30 閉会

参加費:無料
申込先:https://asone20201209.peatix.com/
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対談「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」文章化(その1)

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10月の対談「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」
を文章化しました。これから毎週Webサイトにアップロードします。

10月の対談については、YouTubeで動画が見れます。
https://youtu.be/pqCM5PseOPw

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アズワンネットワーク
今日の企画は、サイエンズについて小野さんとじっくり対談をしてみたいという、三木さんの提案を受けて、それは面白そうだということで始まりました。
それぞれ簡単に自己紹介をしてもらいたいと思います。では三木さんからよろしくお願いします。

三木
こんにちは。千葉から来た三木卓です。
簡単な自己紹介をします。長く出版社に勤めたのですが、出版社に入ったその時点で、すでに社会にも絶望し、自分にも絶望していました。
本が好きだからっていうことで、仕方なく出版社にもぐりこんだ感じでしたから、入社しても夜な夜な一人で酒を飲んでは、哲学書や文学書を読んで部屋の中でウダウダしていましたね。会社の上司から「お前、いつまで出てこないんだ、早く出てこい」と怒られるようなダメダメ社員でした。
ある時、OSHOというインドの聖者の本を読んで、びっくりして、のちに私の師匠になるんですが、インドまで彼に会いに行きました。1988年です。
彼のまわりには静寂のエネルギー場とでもいうようなものができていて、そこに入ると、自然に自分の内側も本当に静寂になりました。宇宙と一つになるような体験をし、こんな意識状態があるのだと知りました。その経験からブッダとかキリストのような人たちはこの地球上に実在したのだということも理解できました。
OSHOのエネルギー場の中に人々が集まり、愛と喜びに満ちて暮らす共同体が自然に出来ていました。有給をとっての旅だったせいもあって、彼の元に滞在したのは2週間でしたが、これが地球全体に広がったら本当に地球は天国になるな、とも実感しました。
その確信だけは持って日本に帰ったのですけれども、その静かだった意識がザワザワザワザワとしてきて、いつもの騒がしい心に戻ってしまったんですね。それ以来、あの意識状態に向かうことが自分の人生の目標になり、あの意識状態の人たちが集まれば、天国のような世界がこの地球上に実際にできるんだという可能性は知ったわけです。
しかしOSHOは1990年に亡くなってしまいます。その後ずっと、その可能性の実現を求めて探すことが続いていました。
そして昨年2019年、ユネスコ認証の持続可能な社会のための人材開発教育プログラムでGaia Educationというのがあると知って、ずーっとそういう問題意識があったので参加したのですが、そこで初めて鈴鹿のアズワンに触れました。
ガイアエディケーションの中で、参加者みんなで話し合いながら、いろんなことを深めていくっていうやり方に非常に感銘を受け、これが本当に社会が変わり、人が変わる、穏やかだけど確実な方法じゃないかなと思いました。
そしてその背景になっているサイエンズメソッドを学びたいと思って、ガイアエディケーションが終わるとすぐにサイエンズスクールに行ったわけです。それは8段階まであるんですけど、ほぼ毎月通って受けまして、ちょうどこの8月に「一つを実現する」という、最後のコースを終えました。
コースに行くたびに自分の目標、関心とぴったりだという確信が深まっていきました。
今回そのサイエンズメソッドを開発した一人である小野さんに、いろいろ話を聞いてみたいと思います。よろしくお願いします。

小野雅司
はい、僕の自己紹介させてもらいます。小野雅司と言います。1961年、東京都生まれの59歳です。学生時代から、社会について、自分について、いろいろ疑問が出まして、心理学も勉強してみました。心理学をやっていると、社会の問題が全部人の心に表れているということが見えてくるようになりました。
これは社会がよくならないと、心理だけよくしようとしてもダメだなあと、今度は社会の方に関心がいきました。学生運動とか、突然始めたんですね。ところが学生運動をしていると、平和活動しているのに喧嘩したりしていてね。仲間でも意見が違うと争い合ったりとか、「なんか違うなあ」と満足できなかったんです。
そういう中でいろいろ探しました。やっぱり人の内面、自分の内面も含めて、「怒りや争いが当然だとなっているままで、平和運動をしていてもなあーーー」と、思うようになり、自分の内面と社会の問題が同時に解決していくようなものはないかという、そんな問題意識がありました。
その頃ちょうどヤマギシ会という共同体運動しているところに出会って、ここだったら内面のことと社会のことと同時に進んでいけるんじゃないかという希望があって、大学出ると同時にその共同体運動に参画しました。以後約16年くらい活動してました。最後の3年間ブラジルに行って過ごしたのですが、そこでいろいろな矛盾が出てきたり、自分自身も願ってたこととどんどん違う方向に行っている感じがあって、「これではなあ」という限界を感じるようになっていました。それで2000年に帰国すると、ヤマギシ会を脱退しました。
その頃にヤマギシの中でもいろいろ見直そうという動きがあったんですけど、「一緒に、一回ゼロから見直そうじゃないか」っていう人たちも何人かいて、「本当にもう一回ゼロから、いったい自分は、何を本当に願っているのか」とか、「理想としているものが実現するのは、どうしたらそう実現するのか」と考えていました。
逆に言ったら、「ヤマギシみたいな、そういう願いを持った人たちがたくさん集まっているところで、なぜ実現しなかったのか」、そこを真面目に見直さないとなーというところから、鈴鹿で新しいスタートを切ったのです。
鈴鹿で今年20年になるんですけども、本当にゼロからやり直そうとしました。最初の5年くらいは本当にいろいろなことを見直したり考え直したりとか、「何がしたいのか」、「何が間違っていたのか」とか、「どこがどうなっいたのか」という感じで、そういうことばかり探究していたような記憶があります。そういう中から「サイエンズ」と今呼んでますが、新しい知能の使い方なんですけど、そういうものを5年くらいかかって見つけてきた感じがあって、そこから本格的にこのコミュニティのベースがつくられていったように思います。
今は「サイエンズメソッド」って言うくらい、だんだん中身も洗練されてきた感じですけど、始まりはそこからでした。
今はサイエンズ研究所って、研究部門で僕はやらせてもらっています。
鈴鹿だけじゃなくて、最近だったらブラジルとか韓国とか、スイスとか海外にも行って、「サイエンズメソッド」を使って自分を調べる方向とか、社会ができていく基盤がどうやったらできるかっていうことを、各地でサポートしています。ガイアエデュケーションも、鈴鹿会場でやるときには一緒に入らせてもらったりしていたんです。三期目に参加していた三木さんとはそこで出会ってね。今日はこんな機会まで作ってもらって、うれしいです。よろしくお願いします。

三木
では今日の対談の趣旨について紹介をしたいと思います。

サイエンズメソッドについては『サイエンズ入門』、『次の社会へ 人知革命』など何冊か出版されていますね。けれども、サイエンズメソッド自体の体験がないと、文章だけ読んでも、なかなか分かりづらいことがあると思いました。せっかくのサイエンズメドッドの素晴らしさを、出来るだけたくさんの皆さんとシェアできたらいいなという、僕の個人的な思いから始まって、賛同してくださる方々とこんな形で実現できるまで進んできたわけです。
今回のタイトル「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」
と、クエスチョンマークが入ってるんです。21世紀の禅!?って。
僕の気持ちは、21世紀の禅だと思ってるんですけど、なぜクェスチョンをつけたかと言いますと、実は僕自身は禅寺で修行したとか、そういう経験は一切ない。いわゆる伝統的な禅って学んだことがない。それこそ禅寺で1回ぐらいは座禅したことがあるぐらいで、作法とか教えてもらった程度。そういう意味で日本人の平均的な形でしか禅を知らないと思いますが。
僕がもともと師匠であるOSHOに出会ったのが、英語の本だったんですけども、“Nirvana The Last Nightmare”という禅についての講演録だったんですね。
ニルヴァーナ、涅槃、そういう悟りの境地みたいなものですが、それこそが最後の悪夢になるよっていうタイトルです。
がつーんと来ました。ずっと、自分の人生の生きる目的などを、探し求めてきたにもかかわらず、見つからないってことで絶望し切っていたんですね。まさに悪夢です。
本の最初の1行が、「アイデアリズムが人間を殺す最も強力な毒だ」という文章で始まります。アイデアリズム、日本語に訳したら理想主義という感じだと思うんですけれども、それこそサイエズメソッドで言う「人間の考え」にあたるんです。人間の考え方が、実は人を殺している、人を生かしてないみたいな、そういうことをこの本で指摘されて、本当にハッとして。
「あ、まさに自分はそれだ」という感じがあって、これが禅の人たちが指し示したことかと思った。
だから禅の修行とかそういうのはしてないですけども、「あれが禅だな」って、まあ自分の勝手な体験ですが。
OSHOが、禅の問答を借りながら伝えていたことが、禅の本質だとしたら、それこそサイエズメソッドっていうのは、21世紀のほんとうに生きてる禅だなと。
伝統的な禅は、知らないから言っちゃまずいけど、形骸化してるんじゃないかなみたいに、いつくかの日本の禅の本を読んで思ったりもしました。
そうじゃない本当に日々の中で禅的なものを復活させる方法としてサイエンズメソッドがあり、その実際の現れとして、このアズワンコミュニティがあるというような思いを持ったんです。
それを来る度に、僕は確信していく。
だから本当に皆さんね、普通の感じで暮らしてるけどね、それが凄いことやってるなって。
はい、静かに感動しています。

じゃあ、まずはサイズメソッドの、端的に言って、目的って何なんですか?

小野
いきなりそこですねーー、ずばり言ったら、「人間が人間らしく生きられる」ことが、サイエンズの目的です。
禅など、どんな宗教でも、科学の研究などであっても、その真の目的は人が本当に幸せに、人間が人間らしく生きられるか、人間が人間らしく生きられる社会であるかどうか。
何であっても、本当はそっちの方向に行きたくてやっていると思うのです。そこを実現していきたい。サイエンズは、それを実現していきたい中で見い出されてきた、思考の方法と言いますか・・・。
さっきも言いましたが、自分がいろいろ理想を掲げてやってきても、なぜか理想と違う方向に行ってしまう。やはり人と人が本当に仲の良い、人が人らしく生きたいのに生きられなくなる。その原因は何か、と調べてくる中で見出されてきた考え方。そういう感じはしているのですけどね。

三木
先ほどの小野さんの自己紹介をききまして、ヤマギシ会での経験が非常に大きかったんじゃないかなと個人的に思うのですが。 ヤマギシも理想を目指して行った共同体ですけれども、そこで小野さんは自分の求めているものと違うなと感じられて、そこをまた出ていって、再びゼロゼロベースで始められた。

小野
そうですね

三木
そして鈴鹿での最初5年くらいは、ヤマギシでなぜうまくいかなかったかの問題も整理していた?

小野
そういう面もありますよね。理想を掲げて集まってきた人たちが、なぜまた同じようなトラップというか、同じ所にいくかということが・・・。

三木
その同じようなトラブルというのはどのようなトラブルだったのでしょうか?

小野
端的に言ったら、人と人、ですよね。
なんでもそうでしょうけど、人と人とが話し合えなくなったり、人と人との関係がまずくなったり。
人が悪感情に囚われていくというのは、やっぱりその人の中に、何かこれと決めたものがあったり・・・

三木
決めたものがあるというのは?

小野
あぁ、それは決めつけたり、ということ。
その結果ガンコになっているという、そういうことが人間関係を阻害することは、いろんな人も言ってますよね。僕たちもそう思っていました。ところが、そう思っている自分たちであるのに、なぜかキメツケたり固定していく、囚われていく・・・。

三木
何に固定されていくんですか?

小野
自分の考えですよねー。「相手が間違ってる」とか、「これは間違いなく正しい」とか、そういうこと。しかし、何が原因かと、僕たちも頭では理解してるわけですよね。

三木
すでに、そういうことは話し合ったり、検討している?

小野
そう、ざっとは理解している。ところが実際にはそれができていない。
それはヤマギシ会だけじゃなくて、僕ら自身が鈴鹿に来てからも、ゼロから見直そうと反省をしてきた自分たちも、そうなんですね。
いよいよ鈴鹿でスタートしてやっていくんですけれども、やっぱり同じような問題が現われてくる。ゼロから始めようと言って、それを体験して、反省もして、問題も分かったーーー

三木
固定しているのが問題だって分かってる・・・

小野
はい、そういう自分たちが鈴鹿でスタートして、やっぱり同じような問題が現われてくる。「あれ?これはどういうことなんだ?」と。
これはもう「人間というものはそういうものか」
という感じにもいきそうだったけれど、
「いやいや、待て」と。
「これで諦めてしまったらお終いではないか」と。
これはゼロからスタートしてやろうとしている自分たちに現れているけど、自分たちの意識の下にそういうものが根深くあって、いくら理論で知ったとしても、実際にはそうなっていかない。これは自分たちの範囲に留まらない問題ではないのかーー。

三木
こういう言い方はできるのかなと、今聴いてて思ったのは、自分が信じたいこと、「人類は一つ」とか、「私は優しい人だ」と信じたいことがあるけど、でももうなんか信じちゃってることとか、無意識の信念というか、全然違うことを実は信じてるから、そこを観なくちゃいけない。

小野
そうですね、逆に言ったらそこの自分の心の状態が、つまり、意識じゃない、意識の奥にある価値観、世界観や人間観が現れて、いろんなことが起こっているだと気づいたわけです。
人間の無意識のところがどうなっているかを調べないと、いくら口ではよいことを言っても実際には成っていかない。そこを調べる方法を見出そうとして、サイエンズメソッドができてきた。
だから逆に言ったら、環境の中でできてしまった見え方だったり、心の状態ですけど、その奥にはもっと人間本来持っているものはあるんじゃないかって、調べる中で見えてきました。
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アズワンネットワークニュースvol.51 12月号

アズワンネットワークニュース 12月号

今年は国際会議の舞台でも、アズワンが代表的な都市型エコビレッジとして紹介されたり、サイエンズメソッドに関心が向けられるようになってきました。
来年に向けて、その役割が大きくなっていきそうです。
全文はこちら⇒https://mailchi.mp/594cd02779fe/news-vol51-hp

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東アジア地球市民村のオンラインイベントに参加して

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東アジア地球市民村のオンラインイベントで、アズワンの紹介があるということで参加してみました。日中、仕事をしながらの参加だったので、集中して聴ける感じではなかったのですが、それでも画面から伝わってくるものがあったのでシェアしたいと思います。

まずは東アジア地球市民村についてですが、詳しくはこちら(https://earthvillage.asia/)をご覧いただくとして、東アジアの伝統や知恵にヒントを得て、持続可能な社会につながる生きる道を探る活動をしている人たちの交流の場のようでした。

アズワンを紹介するオンラインイベントには、10数人の参加があり、主には中国語を話す人たちが多い印象でした。アズワン紹介のプレゼンターは、アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティのメンバーの片山弘子さん。片山さんは,GEN-JAPAN(http://gen-jp.org/)の代表でもあります。

紹介を聞いた皆さんからは、コミュニティの経済や意思決定、人と人との関係などに関してたくさんの質問が出ました。また、話しを聞くほどに、質問が溢れてきて途切れないといった感じでした。現状の社会の改善・改良といったこれまで取組みとは一線を画すのがアズワンの新しい試みなので、皆さん、興味津々の様子でした。

最後は、これから相互に交流していきたいという雰囲気で、名残おいしい感じの中、終了しました。

参加者の皆さんは比較的若い女性が多く、画面からはやさしさとともに、次の社会を創っていきたいという熱意も強く感じられました。皆さんにはアズワンのことをもっと知ってもらいたいな、そして、これから一緒に取り組んでいけたらいいなぁと思いました。

アズワンネットワーク・イーハトーヴ 吉田直美・記
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