次の社会創造 連載第五回
【争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ】
サイエンズ研究所 小野雅司
第1章
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連載第五回
第二章
1. コミュニティづくりの核心は人間関係 ~何があっても崩れない豊かな人間関係に
持続可能な社会に向けて、エネルギーの自給、自然にそった農法、食事法、オルタナティブな経済を求めて地域通貨やベーシックインカム、自然素材を使った衣類や建築などの活動を通してコミュニティを創ろうとしている人達がたくさんいると思います。
どの活動も人間同士が協力して行う活動ですね。そのベースとなる人間関係が持続可能でなければ、どんなに素晴らしい技術や方法があっても生かされませんし、時には停滞・対立からコミュニティやグループや会社自体が立ち行かなくなるケースもあります。
エコビレッジの研究をしたある人によると、アメリカのケースで、立ち上げ3年以内に90%以上のエコビレッジが崩壊に至ってしまったそうです。その原因は人間関係の問題か経済的な理由(実は、これも人間関係なのですが)だそうです。
コミュニティやエコビレッジに希望を感じ、意欲的にやり始めても、人間関係がうまくいかないでコミュニティを持続できなくなってしまうのは実に惜しいことです。また、コミュニティ自体は継続していても、その中の人間関係がうまくいかず、我慢や遠慮や抑圧や妥協が生まれ、様々な問題を抱えているケースも多く耳にします。
これはコミュニティづくりにとどまらず、夫婦や家庭、地域や職場、様々な活動でも同様の問題が起こっていると思います。つまり、考えてみれば当然のことですが、人間の活動は、すべて人間関係がベースとなって営まれている訳です。
と言うことは、ベースとなる人間関係が良ければ、すべてのことがうまくいくとも言えるのです。コミュニティづくりの核心は、否、すべての活動の核心は、この人間関係にあると思うのです。
現代の社会問題も、実は、人間関係さえ良くなれば、知恵も技術もすべて生かされ、簡単に解決していくと思います。(第2章第4項、第三章各項参照)
前述したように、平和を求めて、意見が違う人と争いや対立が起きる・・・。考えてみると、とっても変なことなのですが、こういうことがしばしば起きています。人間関係は大事だとは思っているのかもしれませんが、その本当の大事さを知らないのだと思います。
コミュニティづくりを進める人達も、人間関係は大事だとは思っているのかもしれませんが、コミュニティづくりの核心はここにあるとまでは思っていないかもしれません。「何かを進めるためには、人間関係が大事だ」となっている場合もあるでしょう(つまり、人間関係は副次的なもの)。
人間関係よりも、事柄や経済を優先したり、自分の主張を大事にしたりする場合が多々あると思います。
また、人間関係が大事だと聞くと、良い人間関係をつくろうと努力したり、仲良くしようと意識したり、コミュニケーションスキルを取り入れたりと、「どうしたら人間関係が良くなるか?」と考えてしまう人も多いでしょう。それで表面的な関係は良くなるかもしれませんが、根本的に人間関係が良くなることはないと思います。
人間関係が崩れないようにという発想では、気を遣い合う関係にはなってしまいますね。恐れのある心の状態では、良い人間関係ができるはずがありません。
テクニックや方法論では解決できないのが人間関係だと思います。
ある程度の距離がある時は見えないことが、コミュニティや一緒に活動したり、夫婦になったり・・・という近い関係になることで、いろんな人間関係の問題として表面化してくるのだと思います。
何か事が起きた時に、怒りが爆発したり、人を責めたり、非難したり、人に対して優越感や劣等感を持ったり、疎外感が出たりすると、人間関係は崩れていくでしょう。
何か事が起きて、仲が悪くなるようでは、その人達は不安定な関係性にあると思います。
そこに焦点を当てないと、いつも不安定な状態だと思うのです。
そこをそのままにしていては、争いのない持続可能な人間関係できないと思います。
人は親しい間柄だと心地よく快適でしょう。仲が悪くなるのを好む人はいないでしょう。人と心が通わないと寂しくなったり、意見が対立すると不快でしょう。まして、怒りや争いになったら、当人も不快だし、周囲の人も嫌な気持になります。そんな人間関係は持続していきません。
心の底から安心できる親しい人間関係が最も大切だと思うのです。
しかし、そんな関係は「ムリ!」「できない」とあきらめている人が多いのかもしれません。または、そういう人間関係に至る道筋・方法が分からないのかもしれません。
そこをゼロから見直してみることが大事だと思います。無意識的に「人はそんなもの」という思い込みや、自分自身や身近な人に対して「怒りっぽい人だ」「いつも責める人だ」「人のせいにする人だ」と思い込んでしまって、あきらめてしまっているのだと思います。
そこを科学的に調べていくと、解消していく道があるのです。(先に紹介したサイエンズメソッドを使っていくのです!)。人間の考えで作り出したフィクション、つまりこうすべき、当然、してはいけない・・・等の「ねばならない」とするキメつけが見えてくると、それを取り除いていけるのです。
特別なことは要らないのです。ただ、「どうなっているのだろう?」と素直に見ていくと見えてくるのです。
そこが解消していくと何があっても崩れない人間関係が見えてきます。
事業がうまくいってもいかなくても、意見が違っても、困難な状況になっても、争いも対立もなく、一緒に進んでいける人間関係です。
ある人が何か間違いごとをしても、責めたり、非難するのではなく、その人に寄り添い、「なぜそういうことが起きたのか?」「どうしたらそういうことが起こらなくなるのか?」と一緒に考え、その状況の中で共に生きていく関係性です。
何があっても、変わらない親しい間柄です。
今の常識的な観方からすると、「そんな人間関係ができるの?」と思う人が多いかもしれませんね。しかし、できるのです。あるのです。そして、それが最も楽で楽しい関係性だと思うのです。
お互いの内面が「どうなっているか?」と探究し、崩れない親しい人間関係になるには、ちょっとしたスキルや方法ではなりません。それなりに時間もエネルギーも必要ですが、完璧ではなくても、そういう方向性で進んでいくと、親しい人間関係のベースができてきます。
すると、何でも快適に心が通い合って話し合えるようになり、事柄は実にスムーズに流れるよう進むようになってきます。仮に、事柄がうまくいかなくても、いつでも話し合いができるので、その場その場で最適な道を皆で見出していけるようになります。つまり、どんな状況にも左右されない人間関係の土台の上で様々な活動ができるようになるのです。
アズワン鈴鹿コミュニティは、ここに最も力を入れてきました。何人かの人は、このプロセスの中で離れていく人もいました。しかし、経済的に厳しくても、大きな失敗をしても、この課題に取り組むことで、何があっても崩れない親しい人間関係が20年かけて培われてきたのです。その人間関係のベースは豊かな土壌のようなものでしょうか。その上に、今や、一人ひとりがその人らしさを発揮し、様々な活動が花開き、持続可能な社会の姿がくっきりと見えてきているところです。
2. 話し合いがベース ~いつでも、なんでも話し合える関係性
前の項で、コミュニティづくりの、否、すべての活動の核心は人間関係にあると書きました。それはつまり「いつでも、なんでも話し合える関係性」ということだと思います。
複数の人で何かを進めるに当たっては、メンバー同士や、関係する人達とたえず話し合うことが必要になってきます。どのような話し合いができるかによって、そのグループやコミュニティの質が左右されるとも言えると思います。
話し合いができずに、意見の違いから不仲や争いや対立が起こったり、遠慮や気兼ねや妥協が起きたりすると、そのグループやコミュニティの停滞・崩壊につながってしまいます。
そもそも話し合いとはどういうことなのでしょう?そして何のためにするのでしょうか?
私達は、いろいろな場面で、いろいろな話し合いをしていると思いますが、そもそも「話し合いとはなにか?」を知らないで、話し合いをしているのかもしれません。
今の社会では、何かを決めるために話し合うということが多いようです。決めることがあるから話し合うという感じでしょうか。「忙しい中、集まって何も決まらなかったら、集まった意味がない」という声を聞いたりします。
アズワン鈴鹿コミュニティでの話し合いは、「理解し合うための話し合い」ということになると思います。従来の話し合いのイメージとはかなり異質のものかもしれません。
話し合うとは、自分の気持(意思・感情など)を伝え、相手の気持を受け取ろうとする営みです。この「話し合う」ことが、すべての人間関係のベースとなります。
このように書くと、「なんだ、そんな簡単なことか!」と思われる人も多いと思います。実際、とてもシンプルで簡単なことだと思います。
しかし、今の社会での話し合いのイメージや、自分の中にあるキメつけから、なかなかこのような話し合いが実現できないのが現状だと思います。
「事柄をどうするか」とか「良いか、悪いか」など、相手が発した言葉に反応したりしてしまうことが多いのではないのでしょうか?(そういうことを「話し合い」と思っているのかもしれません)
相手が自分の意見と違う意見や考えを述べると、否定・反対・対立する意見や考えと受け取って感情的になってしまうこともあるでしょう。それに対して、反発したり、否定されたと落ち込んだり、自分の方が正しいと主張したりと、話し合いとは違う方向にいってしまうこともあるでしょう。
道徳観・常識観・正義感・義務感・責任感や人に対する先入観など、自分の考えを固く持ったキメつけた状態では、悪感情や対立感情が生じ、話し合えない状態になってしまいます。
「自分の気持を素直に伝えよう」とならない状態。
「ありのままの相手の気持を受け取ろう」とならない状態。
これでは話し合いは実現しないですね。
意見や主張を通そうとするのではなく、気持を伝えようとする。
相手の言葉や話題に反応するよりも、気持を受け取ろうとする。
このような話し合える状態に、つまり、話し合える人(「やれる人」ですね!)に、お互いに成り合うことがとても大事だと思います。コミュニティづくりやすべての活動の核心は人間関係と言っているのも、ここのところなのです。
どんなに重大なことでも、断じて許せないと思うことでも、自分の意志や感情を一旦棚上げして、相手を理解しようとすることのできるお互いに成り合っていくのです。
そうすると、相手が異なる意見や考えを述べると、ますます興味や関心が湧き、聴きたくなります。
どんなことでも聴けるようになり、遠慮・気兼ねなく、どんなことでも言えるようになるのです。
現状の話し合いでは、「話し合ったのだからそれに沿って行動しないと、話し合った意味がない」などと、「話し合うこと」と「行動すること」の区別がはっきりしないで、混線していることが多いと思います。
話し合うことによって、行動の制限や強制が生まれるようでは、心の底から思うがままを話す気にならなくなりますね。「自分が言い出したのだから責任を持ってやらないといけない」「あんなに強く主張したんだから、意見をコロコロ変えるのは格好悪いな」「みんながやろうと言っているのだから、自分だけ違う意見は言いにくいな」などと、いろいろなキメつけから、素直に自分の思っていることを言えない状態が生まれてくるのも、「話し合うこと」と「行動すること」の区別がついていないからでしょう。
話し合いのときは、気楽に、気ままに、無責任に、何でも言える、何でも聴ける、束縛のない自由な話し合いをするのです。そしてどのように行動するかは、個人の自由意志によるものです。
アズワン鈴鹿コミュニティでの話し合いでは、「話し合って自由に行動する」のです。
このような話し合いによって、一致点を見出したり、計画を立てたり、事を決めたりしながら、それぞれ実行に移します。実行してみると、話し合いの至らない点や別の案件が出てきたりして、話し合う必要が生じてきます。話し合いたくなります。
話し合って実行し、実行して話し合う、この連続生活が人と人のつながりによる社会の営みでもあるのです。
やることを話し合う場と、あり方を話し合う場を分けるという発想もあるようですが、アズワンコミュニティでの話し合いは、理解し合うことをベースに自由に話し合っていると、自ずと具体的なことも生まれてくるという感じになるのです。
話し合えるように各自が成長する(話し合える人になる)につれて、話し合いが実現し、話し合いによって、コミュニティが営まれ、成長していきます。
話し合いの場は、お互いを大切にし、心理的圧迫や自分を守る必要のない、人と人が親しさでつながる見晴らしの良い自由な空間です。
つまり、話し合いの実現は、争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会の実現でもあるのです。