<< JOYは心を現すー相愛社会 | main | 「探訪DAY」がヒントになれば… >>

人はなぜ争うのだろう?

今日は、宮地さんのブログ「かたつむり・つれづれ」より紹介します。

「人はなぜ争うのだろう?」     
・・・・・
言外には、やはり、「本当は争いたくないんだけど」
というのがあると受け取らないわけにはいかない。

ここ、どうなんだろう?

じゃあ、ほんとうはしたくもないことを、
何でしなくてはならないのか。

ほんとうの、本心は、相手の人と、
国だったらその国と
どんなふうになりたいとおもっているのか。

争いたくないなら、争わないで、
その本当のことがそうなるように、
知恵を出し合えないのか。

人間って、そんなに考えられないものなのか。
・・・・・

全文は以下をご覧ください。
-----------------------------------------------------------
人はなぜ争うのだろう?
2015-06-22 | わがうちなるつれづれの記

人はなぜ争うのだろう?

おそらく争いたくて、争うというようなことはないのでは・・・。



少し知恵がついた子どもは、ケンカを注意されると、

「○○ちゃんがこんなことしてきたから」というときがある。

言外には、「ぼくはケンカなんかしたくなかった」があるのでは。

人と人の場合と、国と国とでは、違うかもしれないが、

国と国の争いでも、「相手がこんなことしてくるから」とか

場合によって争いが起きたときでも、

「相手が攻めてきたから、やっている」と主張するんだよね。

言外には、やはり、「本当は争いたくないんだけど」と

いうのがあると受け取らないわけにはいかない。

ここ、どうなんだろう?



じゃあ、ほんとうはしたくもないことを、何でしなくてはならないのか。

ほんとうの、本心は相手の人と、国だったらその国と

どんなふうになりたいとおもっているのか。

争いたくないなら、争わないで、その本当のことがそうなるように、

知恵を出し合えないのか。

人間って、そんなに考えられないものなのか。



人は両親から、この世に生まれてくる。

赤ちゃんのときは、親や周囲のすべてに任せきって、

安心して育ってきた。

いつから、争うような気持ちが身についたんだろう。

人類も、誕生のそのときから、争うお互いで暮らしてきたかどうか。

今を起点にそのことにおもいを馳せると、

紀元何千年前から争ってきた形跡がある。

その前はどうか?

争わなくても、暮らしていた形跡はないか?

人の誕生の経過のなかで、争うものがないなら、

人類が誕生から争いがあたりまえの暮らしをやってきたとはおもえない。

なにかのきっかけとか、なんらかの経過で争いとか、

お互い傷つけあうとか、果ては人と人が殺しあうような

習慣が出てきたとおもう。

しかも、それをはじめから望んでいるとは思えない。

望んでいないことをやらざるを得ない、と積み重ねているうちに、

それがどこかで、「そんなもの」となったきたんじゃないか。

そうだとしたら、望まないことは、何年続けてきたとしても、

人間、人間自身の知恵で争いのない、誰もが安心して

自分らしく暮らせる世界の実現はできるんじゃないか。

生き物の誕生からいまの人間世界を見たら、

人間の歴史はほんのちょっぴとの時間とも見える、

今が変えられないということはないよね。



そんなことおもいながら、ここ数年、

テレビのニュースなどで流れてくる音を聞いていると、

何か今にも隣国が日本に攻めてきて、

日本はそれに対処しなければ、国が、というのか、

国民が安全でない、みたいな危機感が湧いてくる。

とっても、違和感がある。

一歩一歩、戦争ができる、

つまり人が人を殺すことがあたりまえ、

もし嫌だといえば、「非国民」と指をさされるような

社会にむかっているように感じる。



今の日本の憲法は、「争わない、誰もが安心して自分らしく

暮らせる社会」を実現していくために、

最低、国と国の紛争で戦争はしないし、

それを保証するためにも、武力は持たないと宣言している。

その意味で、争わない世界への貴重な一歩だと理解している。

ぼく自身のことでいえば、どんな事態になっても

「人は殺したないし、殺されたくもない」、

憲法の非戦はぼくの誓いでもある。



この間、ネットで沖縄の翁長県知事が海外特派員協会の記者会見で、

「沖縄の大小の島々は日本とアジア諸国をつなぐ、

平和の緩衝地域にしていきたい」という構想を語っていた。

伝わってくるものがあった。

ただ、辺野古新基地反対ではない、と思った。

「品格のある日米同盟」と言うコトバも何回か聞いた。



争いがない世界というのは、国境のない世界だとおもっている。

柄でもないが、ジョン・レノンの「イマジン」の世界であり、

それはやがて足もとに現われてくるとおもっている。

もしかしたら、沖縄から先に現われてくるかな。

そのためなら、沖縄の米軍基地を日本本土で全て

受け入れたい。

日米の地位協定も、沖縄から外して、

その全てを日本本土で引き受けるのはどうか。

そこから、「争いのない世界」の実現を模索してみたい。



今朝は、梅雨の晴れ間。

そこで、一句。

   パリパリと非戦の誓いキューリ食む

*原文は、こちら
  ↓ ↓ ↓ 
「人はなぜ争うのだろう?」
- | -