「他者評価」から「自分の満足」へ

私の生活感覚。「仕事、働くこと」について、その原動力が変わってきているようです。先日のMさんのレポート、後編をどうぞ。
「公」と「私」、「仕事」と「遊び」の区別がほどけ、よりシンプルに、
「他者評価」から「自分の満足」へと原動力が変化し、よりオープンに、
私の生活感覚は、少しずつ変化してきているようです。
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【仕事、働くことについて 後編】

《「公」と「私」のけじめがほどけるとき・・・》
「公・私のけじめ」ということを言われてきた。仕事や職場(公)に生活(私)を持ち込まない、生活に仕事を持ち込まない。公・私のけじめ、切り替えがきちんとできるのが、りっぱな社会人ということだ。職場での公的なわたし、と、生活の場での私的なわたしに分け、「公」に干渉されないように「私」の生活の場は職場とは近づかないようにし、また、「公」の職場に「私」の生活臭を持ち込まないようにしていた。
「公私混同」は良くないのだ。
では、この「公・私」って何だろう、と考えてみると・・・ お金を稼ぐ生産の場(公)とお金を使う消費の場(私)ということ・・・ つまり、「公・私のけじめ」とは生産の場と消費の場をごっちゃにするな、ということのようだ。

ということは、お金を稼がない仕事では、公・私は限りなくグラデーション。仕事は生活の一部であり、生活は仕事の一部でもある。公的なわたしと私的なわたしに分けることもなく、公・私のけじめはほどけ解けあっていく。そして、「私」生活を守るために囲っていた囲いも解け、他との行き来や繋がりも容易になるように思う。



《仕事も遊び》
お金を稼ぐ仕事というのは、何事にも優先される大事なこととしてきた。それで生活をまかなっているわけだし、お金をもらうからには責任もある。「仕事だから・・・」というのは、最優先事項だった。それに反し、お金を得ない活動は、責任の無い「遊びみたいなもの」として軽んじられていた。同じようなことをしていても、お金を稼げれば仕事として優先され、稼がなければ遊びとして軽んじられる、というわけだ。

じゃあ、お金を稼がない仕事は、遊び? ・・・ それは、仕事でもあり、遊びでもあり、見方によってどちらにもなるんじゃないかな。仕事でも遊びでも、どちらが優先されるわけでもなく、どちらも大事な生活の一部なんだと思う。仕事も遊びも存分に楽しみたい。

「公」と「私」、「仕事」と「遊び」の区別がほどけ、よりシンプルに、
「他者評価」から「自分の満足」へと原動力が変化し、よりオープンに、
私の生活感覚は、少しずつ変化してきているようです。

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