社会への信頼

アズワンコミュニティでは、どうして警戒なく安心して暮らしていけるのかな~!?
一昨日は、JOYの近況を簡単に紹介しましたが、今日は、Mさんの日常のひとコマから「社会への信頼」について紹介しようと思います。
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共に生きるベース(社会)に安心して委ねられれば、ことさら「信頼」などと言わなくても、互いに警戒心なく接することができるようになる。
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信頼関係・・・社会への信頼?
数か月前、隣にOさん夫妻が転居してきたときのこと。
「洗濯機を注文したが1週間くらいかかるそうなので、洗濯機を借りれないか」とたずねられ、留守中に使ってもらえるようにと合鍵を渡した。
先日、Oさんが「あの時、数回しか会っていないのにいきなり合鍵を渡されてびっくりした!」と言うのを聞き、あの時の自分の気持ちについてあらためて考えてみた。



Oさんが来る前、隣には若い女性が住んでいた。彼女とは出会うと挨拶する程度の間柄だったが、彼女から同様のことを言われたらどう反応しただろう? 何か深い理由があるのかと詮索したかもしれない、近くのコインランドリーを勧めたかもしれない、気軽に「どうぞ、どうぞ」とはいかなかっただろう。

よく知らない人に対しては、まず自分を害さないか侵さないかという警戒心の上で対応しようとしてしまう。そして、接して知り合っていくうちに、徐々にその警戒心が薄れ、相手の気持ちを受け入れられるようになる。

ところが、Oさん夫妻に対しては、よく知らないのに、はじめから警戒心なく接することができていた。それは、なぜか・・・? そこには、ここのコミュニティという存在が大きいように思う。

子どものころは、家族や近所の人々に囲まれみんな同じように接しているが、しだいに「他人」を知り「知らない人には警戒する」ことを教えられる。それでも、学生時代までは、友達同士、仲間同士、警戒することなく親しく自由に接していられた。しかし、社会に出て、自分で稼ぎ、家計を持ち、家庭を持つようになると、徐々に、自分を囲い、自分の生活を害されはしないか、侵されはしないか、と警戒心を持って人と接する場面が多くなったように思う。

「社会へ出る」とは、「他人」の中で生き、関係を作り上げること。利害関係や上下関係で人と接することも多くなる。ひとりひとりと知り合っていくなかで、警戒心が薄れ親しくなり信頼関係ができるようになることもあるが、それはその人と私の間のことで、他へは広がらない。個と個の間だけの信頼関係で、社会がそこに入ってくることはない。



あの頃、私とOさん夫妻はまだよく知らない間柄、信頼関係で結ばれているとは思えない。でも、Oさんも私に警戒心なく気軽に声をかけてくれ、私も警戒心なく気軽にそれに応えている。そこにあったのは何・・・?

それは、個々の信頼というより、そのベースにあるこのコミュニティという社会への信頼じゃないかな。

個々の信頼関係では、「あなたを信頼しているよ」なんて言われると、「信頼に応えなきゃ」とか「信頼を裏切ってはいけない」とか、責任を感じて安心できない。「信頼」が互いを縛り合うことにもなりかねない。
それよりも、共に生きるベース(社会)に安心して委ねられれば、ことさら「信頼」などと言わなくても、互いに警戒心なく接することができるようになる。

Oさん夫妻と私の間にも、お金という利害や上下の無いベース(社会)を共有しているということが、親近感や安心感をもたらし、気持ちのやり取りが自然にストレートにできていたんだなあ、と思う。

「人に対する疑いや警戒心なく安心して暮らしたい」という思いに、知らず知らずのうちに近づいているようだ。

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