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三重の子ども情報誌「きらきら」で紹介されました。

今年の初め、毎日新聞朝刊くらしナビ面で、「家族2016:孤をいきる」の第六回に、アズワンコミュニティが採り上げられました。(詳しくはこちら→「毎日新聞「家族2016:孤をいきる」」)。そして今回、その担当記者(鈴木敦子さん)が、三重の子育てフリーペーパー「きらきら」北勢版1月号、「ママのためのあれこれコラム」にも取り上げてくれました。ママの視点から、社会に子育てを問う…。どうぞご覧ください。

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共有して子育てにゆとりを
昨年11月、鈴鹿市を訪れました。「三重県に、住民同士で助け合う仕組みがあるらしいよ」。そんなうわさを聞きつけたからです。当時、「家族」を補うものや「家族」に代わるものを探していました。
名古屋駅から近鉄電車に揺られること約1時間。ありました!思い描いていたイメージとは少し違いましたが「アズワンコミュニティ鈴鹿」という、住民有志による地域コミュニティー。東京などから集まった仲間が中心になり、2000年に設立したそうです。現在、主なメンバーは約80人。2日間にわたって取材させていただき、今年1月8日付の毎日新聞朝刊「家族2016」という連載で紹介しました。

他人同士で「大家族」
体の具合が悪ければ仲間に電話し、病院に付き添ってもらう。なかなか使い切れない調味料や小麦粉は共有し、必要な量だけ持ち帰る――。アズワンの活動の1場面です。物や手間を共有(シェア)し、困った時はお互いさま。発起人の1人は「大きな家族のようなもの」と説明してくれました。1人で暮らすお年寄も学生も、シングルマザーも、夫婦と子どもの世帯も、みんな含めて「大家族」。血縁だけに頼らない、新たな人間関係を大切にする仕組みでした。
はたけ企画チラシそして私が特に心ひかれたのが、アズワンの畑や公園でほぼ毎月開かれる自然体験イベントの存在。野菜の種まきや収穫を楽しむものですが、何が良いって、「子育て放棄」ができるらしいことです。メンバーであるおじいさんやおばあさんが参加した子どもたちを見守り、面白い遊びに導いてくれるため、親は自分の子どもから目を離せる余裕ができるそうです。
参加したことがある地元のパパとママにもお話しをうかがいました。「いろんな人が見てくれている安心感がある。普段、子どもを連れて出掛ける場所では『親が子どもの全責任を負わなければならない』みたいな空気があるが、ここでは地域で助け合って子育てしている感覚になれる」



子育てこそシェアしたい
あぁ、よく分かります。せっかく遊びに行っても、自分の子どもが「きちんと」振る舞えるか、電車の中では「おとなしく」座っていられるかに気を取られ、楽しむどころか疲れただけという経験はありませんか。逆に、ぐずる子どもを通りすがりの人があやしてくれただけで、肩の荷がふっと下りた、ということも・・・・・・。「他人に迷惑を掛けてはいけない」という意識が、子育ての現場で必要以上に親を萎縮させているように感じることがあります。でも、ごく自然に周りの人たちと子育てをシェアできれば、親も子ももっとのびのびと過ごせるのではないでしょうか。そしてこの感覚は子育て以外のこと、例えば認知症のお年寄りを地域で見守るという意識にもつながっていくように思います。鈴鹿市での出会いを通して、改めて気付かせてもらいました。




『子どもは社会の宝』の2つの意味
私の手元に「追いつめる親『あなたのため』は呪いの言葉」(おおたとしまさ著、毎日新聞出版)という本があります。親が子どもの勉強や習い事に期待し過ぎた結果、子どもが重圧を感じ、時に子どもの人生を狂わしかねない、という問題を取り上げた本です。いくつかの事例を紹介し、親はどうあるべきかを説明すると共に、「子どもの出来は親次第」という幻想が親を駆り立てているとして、現代の子育て環境にも警鐘を鳴らしています。
この本の中に印象的な一節があります。よく言われる「子どもは社会の宝」には、2つの意味があるとしています。「1つは社会全体で子どもを守ろうという意味。もう1つは、親とて子どもを私物化してはいけないということ。社会の宝をお預かりしているつもりで大切に育てなければならないということ。そしてどんなに大切に育てても、いつかは社会に出さねばならない」
親が子どもを「私物化」してしまう背景には、社会の側にも問題があるように感じています。
例えば、難関大学に入った子どもの母親が「成功体験」として育児本を出したり、胎教や早期教育をもてはやすテレビ番組が人気を集めたり・・・・・・。親の努力が子どもの一生を決めてしまうかのような言説に、ちょっとした不安を覚えることがあります。もちろん「わが子の可能性」に掛ける親の思いを否定するつもりはありません。でも、子ども1人1人の個性を無視し、すべての子どもがノウハウに従えば同じような学力や能力を手に入れられる、と錯覚した結果、子どもを追いつめてしまう親が現れたとしても不思議ではないでしょう。
「大きな家族」に見守られ、「社会の宝」として育てられる子ども。なんだか幸せそうじゃありませんか。
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