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コミュニティ歳時記 5月号 【積み木遊び】

【積み木遊び】

小学校3年生の夏のことだったと思う。
当時所属していた少年合唱団の合宿があった。
毎年夏休みに、北アルプス燕岳の玄関口・中房温泉で開かれていた小学生50人くらいの恒例行事。ガードレールもない狭い砂利道を、何十分もバスに揺られて登っていく。
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そこは標高1,462メートルの高地。雄壮な渓流の脇にある山小屋風の大きな建物で寝泊まりし、さらにそこから長い階段を昇っていくと、立派な屋内温泉プールがあった。
様々な思い出が蘇ってくるが、肝心の合唱練習をした記憶が全く出てこないのに、笑ってしまう。

その夏、合宿最終日の前夜、山の天気は荒れに荒れた。
翌朝、外に出てみると、あれほど澄んでいた渓流が茶色の濁流と化し水飛沫(みずしぶき)に覆われ、大きな岩がゴロゴロ音を立てて流されていた。
僕らは、その凄まじさに歓声を上げた。
程なく、合唱団の先生たちから、伝えられた。
「山道で数か所、崖崩れがあった。今日は山を下りられない。」
僕らは、またまた歓声を上げた。
「もっと、ここにみんなと居られる。」
「やったー、何して遊ぼう。」
「先生、もう合唱練習しないよね!」
「・・・・・」
崖崩れが嬉しかった。
もう、そこからは愉しいばかり、パラダイス。
濁流見学に駆け回ったり、トランプや卓球をしたり、茶色で底が見えない温泉プールに潜って忍者ごっこしたり、テレビで高校野球を観戦したり、遊びたい放題。
何日居たのかは分からないが、途中食糧が底を突き、リュックを背負って山道を登ってきてくれた救助隊から、お握りをもらって頬張り、また歓声を上げた。

今の御時世なら、
『崖崩れで、中房温泉に取り残された児童たち、孤立無援状態に』
と全国ニュースになっていたような事態だったのかもしれない。
きっと、大人たちも大らかだったのだろうし、僕たち子どもは、ただただ喜んで遊び呆けていた。不安とか心配とか、皆無だった気がする。
何かあったみたいだけど、まあそれも大人たちが何とかしてくれるんだろう~、そんな意識があったかどうかは分からないが、丸ごと委ねて安心の胎水(うみ)にぷかぷか浮かんでた。
おそらく、誰もがそれと似たような経験をしてきているんじゃないだろうか。

「よく、こんな状況で、子どもたちは笑ったり遊んだりしていられるなぁ。」
そんな光景を目にすることがある。最近はとみに。その姿に驚いたり、と同時にどこかホッと安堵したりもするけど、僕たち人間の元々の本性って、その辺にあるのかなとも思う。
電車やバスに乗って、すぐ居眠りしてしまうのも、
水でも食べ物でも、すぐに口に入れてしまうのも、
どこで誰と居ても、そこの空気を吸って吐いて平気でいられるのも、
そんな本性の成せる業。
一日のほとんどは、そうやって油断して過ごしている。
自然や、社会や、ヒトのこといちいち疑っていない。
誰が運転しているかとか、誰がこれを作ったのかとか、
いちいち確かめたりしないで、力抜いて無防備に生きている。

“脱力” といえば
鈴鹿カルチャーステーションの真向かいに、子どもたちの体操教室がある。
大きなガラス窓があって、連日外から子どもの勇姿を見ようと親たちの人だかりができる。
ちょうど、正面が鉄棒で、気持ちよさそうに大車輪をしている男の子の姿が道を挟んで、目に飛び込んできた。
逆上がりするのだって、とっても力使うのに、なんと悠々と回っていることかと不思議な感じがした。
ずっと、“脱力”しているように見えて、観察してみる。
身体が鞭のように柔軟にしなっている。手もギュッと鉄棒を握り締めずに、何本かの指は浮いている。きっと体幹とか必要なところだけは効率的に働いていて、余分なところに力が入っていないのだろう。
我が身を振り返って、いちいち周りを警戒して防御して、全筋肉・心までカッチコチにしていたら、人生の大車輪は出来ないだろうなと思う。気持ちよく回り続けるのには、そしていつまでも遊び呆けるには、余計な力抜いて、油断して、本性のままにかな。
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さて、コミュニティのセンター的な位置にある鈴鹿カルチャーステーションでは“恒例”の改装工事が始まっている。2010年の開館以来、何度となく行われている改装工事。
何度か来訪される人たちからは、「また、どこそこ変わりました?」とよく訊かれることがあるが、その通りなのだ。
傍から見れば、なんと無計画な、なんと非効率な、と映るかもしれない。
確かに、もっと先が描けていたらこうしていたのにと反省することも多々あるので、それはこれからの課題にするとして、今回はこの春アカデミーに入学した韓国の5人や、それに続く青年たちの動きに向けての拡張工事が進められている。
手掛けているのは、コミュニティの大工、本山さん。
ここだけでなく、コミュニティの会社や施設、それぞれが暮らす家など、何かあったら、
「本山さ~ん」
と声がかかる。
「トイレが詰まっちゃった~」
「壁紙が剥がれてきた」
「エアコン取り替えてほしい」
「床にワックスかけたい」
「屋根の錆び落とししたい」
「・・・」
いつでも何度でもどんなことでも、そうやって声をかけられる、その安心感というか親しさと云ったら表現のしようがない。もう空気を吸うように当たり前になってしまっているけど、コミュニティの一人ひとりの心の中に、それは染み渡っている。
そして、そこに応えてくれる本山さんが居る。
これも当たり前だけど、「なんで、そんなことしたの」って咎められたことないなあ。
「どんな風にしたい?」
こうしようか、ああしようかと、打ち合わせしているだけでも心地よくて、愉しくなってくる。途中のいろんな変更にも、「はいよ~」と対応してくれるから全然難しくない。だから、気兼ねなく何度でも言えるし、訊ける。そして、最終的に直してもらったり、作ってもらったりして、満々満足~。
僕にとっては、頼りになる兄貴が、よしっ任せとけって、いつも大工道具担いで大家族の中に控えて居てくれている感じ。全面的にお任せ、お任せ~
HUB職場で一緒に仕事をしている八木さんは、
「いっぱい直してもらったけど、本山さんにお礼の一つも言ったことないわ~」
と笑っていた。そういう関係、そういうお互い。
こういう一人の人の存在って、ホントに大きいと思う。
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(コミュニティの大工、本山さん。1番左)
今の改装も、大の大人が寄って集って『積み木遊び』をしているようなもの。
「ダイニング広げたいから、隣の食品保管庫を空にしたい。」
「じゃあ、こっちの面談室を保管庫にして・・・」
「衣類置き場を移動して、あそこを面談室にリニュアルしよう。」
「衣類置き場の開き戸は、そのまま保管庫に取り付けられるなあ。」
「もっと広げたいから、廊下もダイニングにできないかな?」
「それなら、廊下にあった一時荷物置き場を、ここの倉庫の部屋ぶち抜いて移そう。」
「・・・・・・・・」
出るわ出るわ、名案、凡案、珍案、そして徐々に皆の中で浮かび上がってくるブレークスルーなアイディア。
5月の終わり頃、ひとまず完成予定だけど、どうなっているだろう。
その頃、訪れる人の眼にはどう映るかな。
積んでは崩し、また積んで・・・
積み木組むのも愉し、積み木崩しもまた愉し。

ちょっと機密情報になるけど、八木さんの【好きな動物は?】の答えは、【ヒト】。
積み木遊びも、ヒトとやるから面白い。
ヒトが寄るから、どんどん面白い積み木が出来ていく。
(周りに人が居るから緊張するとか、誰それの言動に不安になるとか)、
いつの間にか身に付いちゃった“有りもしない迷路”に嵌まるクセはあったとしても、
そこからスルリと抜け出てみれば、目の前に居るのは所詮ヒト、そのヒトが見えてくる。
あなたもヒト、わたしもヒト、ヒトとヒトが出会って、さあ何して遊ぼうか・・・
ヒトの中に居て、安心だから、積み木に遊び呆けていられる。
いつも周りにヒトが居るから、積み木が崩れることへの恐れがない、崩れても心配がない。
ヒトと一緒に流されて行くなら、清流でも濁流でもその愉しさに変わりはない。

僕の【好きな動物?】も、やっぱり【ヒト】です。
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