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コミュニティ歳時記6月号 【日日是(にちにちこれ)…】

東京から、伸(のぶ)ちゃんが訪ねてきた。つい一昨日のこと。
京都旅行の帰り道に立ち寄ったので、コミュニティのカフェスペースで2時間程話しただけだったが。

エントランスに掛けられている岩田さんの日本画も鑑賞したかったようで、
「ねぇ隆、この線はどうやって描いたの?」
だの、次々と質問を岩田さんに浴びせかけては、
「あ~、作者に直接尋ねられるのってすっごいシアワセ!」
と悦に入っていた。
自らも絵を描くことをライフワークにしている伸ちゃんが、
「今、隆は毎日、毎日、絵を描いてるんでしょ?どんなモチベーションでやってるの?」
と尋ねる。
「以前は、こんな絵を描いてやろうとか、賞を取ってやろうとかあったけど、それって非日常的な動機だったよね。今は、絵を描くことが“日常”になってる。“日常”を描いているのかなあ~」
「へぇ~、そんなんだったら、どんな絵が描かれていくんだろう?」
二人の絵談義は終わることがない。その様子を僕は、ほくそ笑みながら見ている。
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コミュニティで絵を描き暮らす、画家の「岩田隆さん」

伸ちゃん、岩田さん、僕は学生時代に、“東京若人会”なんて云う、今から思えば、何ともダサいネーミングのサークルで活動をしていた仲間で、来る日も来る日もコロコロと兄弟姉妹のように戯れていた。話し出したら、直ぐさま、その頃の自分たちにワープする。
わずか2年にも満たない期間だったが、一生続く関係性が出来てしまうような日々だった。

「僕と岩田さんは今、コミュニティの中で一緒のファミリーなんだよ。」
と此処のことを殆ど知らない伸ちゃんに説明し始める。鈴鹿コミュニティは大きな家族のような暮らしをしているけど、その中に5つほどの“ファミリー”と呼ばれる集まりがあって、そのファミリーごとに、ミーティングしたり、食事したり、お互いのことを見合ったり、知り合ったりしている。僕らのファミリーでは岩田さんの絵の個展を開催したりもしたよ、この秋もやろうと思っている等々・・・
そして、話しながら、僕らはどんな“日常”を送っているんだろうと、改めて振り返って見ている自分がいる。

皐月の“さ”は、田圃の神様に捧げる稲とか、5月に植える早苗を意味するらしいが、この時期、田んぼは動き出す。
田植えはもちろんだが、それと共に蛙の大合唱が始まる。
コミュニティダイニングの窓から、道を挟んで2反ほどの小さな田んぼが見える。
夕食時、鈴鹿一帯の蛙がその田んぼに大集結しているんじゃないかと思われるほどの、オーケストラサウンドが響きわたる。
毎週木曜日の夕食は、僕らファミリーの出番で、ダイニングにやって来るコミュニティメンバーがゆったりと寛げ味わえるよう、その場を創っていく。老若男女が寄ってくる、最近入学したアカデミー生や、各地から体験や実習に来ている人たちの顔も見える、それだけでそこに行きたくなる。当番や担当感覚じゃなく、家族団欒カンカク~。
満足したみんなを送り出し、片付けが終わった後の、ファミリーメンバーでのお茶タイムも、また格別。他愛もないこと言い合って、聞き合って、時を忘れる。
「蛙って、田植えする前はどこにいたんだろう?」
「そりゃあ田んぼの中で、冬眠してたんじゃない?」
「でも、そうしたら、田植え前の耕運機のロータリーで死んじゃうよ~」
「ホントだ。じゃあ、どこかから田植えしたの見ていてやって来たのかな?」
「でも、田んぼにやって来る蛙の行列なんて見たことないぞ!」
取りあえず、ググってみる。
「え~、草むらとか山や森に居るって書いてある。」
「ここは、住宅街に“ポツンと田んぼ”だから、山や森なんて近くに無いし、草むらだって見当たらないじゃん」
話している内容は、どうでもいいようなことだけど、奈々ちゃんも、ルシオも、玲子ちゃんも、敏美ちゃんも不思議と子どもの頃のような好奇心が湧き出してくる。

後日、その田んぼの横を通った時のこと。斜め向かいの橘公園で三歳のあかりちゃんが、ちょうど遊んでいるのを見かけたので声をかけると、
「ほら、この木のこぶのなかに、カエルさんいるよ~」
と指さし教えてくれた。
「ここの草のなかには、もっとたくさんカエルさん、いるよ~」
「ええ~~~、どこどこ?」
こんな街なかでも、カエルさんの居場所はいくらでもあるんだとそりゃあ驚いて、次の木曜日、ファミリーメンバーに伝えるのが待ち遠しかった。
「どうやったら、あの蛙の大合唱が止まるか、僕は発見した」と岩田さんは語り出したり、我がファミリーでのカエル研究はまだまだ続く。

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耕一君から送られてきたLINEのメッセージに応えて、次々と足場屋さんが組んでくれた階段を上っていく、アカデミー生も、子どもたちも。錆び落としから、錆び止め、そして終盤は各ファミリーで屋根に上り、一家総出でペンキに塗(まみ)れた。
ゴールデンウィークの1週間、晴天にも恵まれて、畳にしたら500畳以上の広さの屋根をシルバーのペンキ一色に塗り替えた。まさにシルバーウィーク?!
よく八木さんが言うけど、
「僕らはとっても大きな家に住んでいる。部屋はあちこちにあって、なが~いドライブウェイを歩いて、みんなのダイニングやリビングのあるSCS(鈴鹿カルチャーステーション)にやって来る。大邸宅なんやで~。」
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“自分たちの家の大きな屋根を、自分たちで葺きなおす”。
“自分たちで葺きなおすから、もっと自分の家になる”
合掌造りで有名な白川郷での、茅葺屋根の葺き替え。『組』とか『結』とか呼ばれる集まりがあって、村中みんなで、一軒の葺き替えを一日でやってしまうとか。
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そう云えば、母の生家は山間の村にあって、茅葺屋根だった。
祖父に、「おじいちゃん、雨や雪は沁みて家の中に入ってこないの?」と訊くと、「ほら、ここで囲炉裏の火を焚いているだろ。この煙が、屋根に上っていって、茅を乾かしたり、燻(いぶ)してくれる。そうすることで、丈夫な茅葺屋根になるんだ。だから、人だけじゃなく、牛や蚕さんのお家にもなる、心配しなくていい。」と言っていた。
そんな家の中で、安心して一緒に暮らすから、近くなる、親しくなる。

家族って面白いと思う。子どもからしたら、親や祖父母や兄弟姉妹を選んだりは出来ない。
たまたま、そこに生まれて、そこの家の子になり、一緒に暮らす。
近しいから、親しいから一緒に暮らすというのでもない、始まりは。
特別な日を送っているわけでもない、一日一日何の変哲もない日常を過ごす。
でも暮らしているうちに、家族になる。いつの間にか親しく近しくなって、一生揺るがない絆が出来る。
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今の“ファミリー”も、どこか似ている。
それぞれがそのファミリーを選んだわけでもなく、たまたまファミリーになっている。

そして一緒に暮らす、特別でない当たり前の一日一日を。

もともと、近しかったり、親しいのもあるけど、一緒に暮らすから、もっともっと近くなる、溶け合っていく。
そうしたら、もっともっと一緒に暮らしたくなる。揺るぎようのない“一つ”になる。
そのファミリーだけに留まらす、コミュニティ全体にそんな気風が充満していく。
そして、コミュニティだけに留まらず・・・
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僕は、“東京若人会”の活動後、両親が願っていたのとは全く違う進路を選択した。
大反対して、悲しんだり、泣いたりした母が暫くして送ってきた手紙が、今でも机の中にある。
「お前がその道と決めたのなら、最後までやり遂げたらいい」
親の凄さを知った。文末に書かれてあった、その一言は、ずっと自分の原動力の一つになっている。
どうなっても、何をしても、家族はいつまでも家族。母や父は絶対変わらずに、自分を見てくれる、愛情を注いでくれる、そうに決まっている、嫌われたり、見放されたりする筈がない、何をやらかしても大丈夫、意識とは違う心の底辺に漂う空気みたいなものが、いつも自分をふわっと動かす追い風になってくれた。

家族として、父や母、兄や祖父母と毎日一緒に暮らす中で、形成されてきた崩れようのない透き通った気流。
そこにポワ~ンと乗っかって人を見て、人と接し、人と暮らしてきた。
たくさんの友人・仲間ができ、兄弟姉妹・家族へと間柄が深まっていった。
親になり、自分の内からも溢れ、子ども達に注ぎ続ける、汲めども尽きぬ源泉があることを知った。それが“自分の子ども限定”ではないことも程なく分かってくる。

そして、今のコミュニティでの日常。
岩田さんの絵に描かれる日常、一人ひとりの持ち場に現れる日常、暮らしの中に浮かび上がってくる日常・・・
人知れずその一隅で、それぞれの舞台(ステージ)で、工夫を凝らし愛情を込めて舞い踊る“戯れの日常”から、滲み出てくるもの・・・
この一日、一日の暮らしは、どこに繋がっていくだろう。
溢れ出てくるものを、どこに向けて行こうか。
たとえ、どんなことがあろうとも、何かやらかしても、僕の“家族”は放っておかない、誰も放っておかれない。
一蓮托生、蓮(ハス)じゃないな大船か、日々是・・・

昨夜遅くに、“ファミリー”のグループLINEに稲ちゃんが写真を送ってきた。
「うちの田んぼの上、蛍がとんでる」
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光る蛍に、目を輝かせる、あかり、こころ、はな、なつき、うみ、たつみ、さくと・・・コミュニティの子ども達の顔が次から次へと浮かんでくる。
そろそろ、田んぼは初夏の賑わいだ。
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