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澄んだ空のような心を使う・・・韓国ミネサクラブの雑誌より①

8月末にアズワンコミュニティを訪れた韓国ミネサクラブの人達。熱心で真剣に本当のものを探っていこうという姿勢が、今でも心に残っています。
ミネサクラブでは「ヒア・ナウ(here now)」という雑誌を1996年から隔月で出版しています。
Here Now
その9・10月号に、早速アズワンコミュニティ訪問記が掲載されました。
それもトップの「動静」というコーナーに採り上げられていました。

チェさんが、その雑誌を送ってくれました。
チェさん

アズワンコミュニティとサイエンズ研究所の皆さん、元気にしていますか?
鈴鹿での余韻がまだ心の中に穏かに残っている感じがしています。

照子さんが作ってくれたサラダと、おふくろさん弁当で作ったという茄子の天ぷらが思い出されて、家で試しに作ってみましたが、無残にも失敗してしまいました。しょうがないので、早いうちに鈴鹿に行く以外になさそうです。

今度、私たちミネサが発行する「ヒア・ナウ」に、アズワン訪問記を掲載しました。早急に作業をしたため、見て感じたものなど全てを扱うことはできませんでしたが、うちの会員達に、感じたことをより生々しく伝えたい気持から、内容はちょっと少なくなりましたが早く掲載しました。

これから、頻繁に交流しながら親しくなっていきたいと思っています。
ありがとうございます。

チェ・スンピョ

P.S. サイエンズ研究所で発行した『やさしい社会』、『人を聴く』をもらうことができますか?

アズワン訪問記

去る8月21日から24日まで日本の鈴鹿市にあるアズワン(As One)コミュニティを訪問して来ました。

人の本性に適した社会を作ろうと、10余年以上尽力して来た人達、そこに集まって住む構成員達。
仕事のための事業ではなく、本性を見つけようとする場で成長する目的で事業をする人達。
たくさんのことを深く考えてみる時間でした。

独島(竹島)問題で日韓摩擦が最高潮である時期に、時を同じくして、摩擦があっても親しい関係は変わらないでいることもできるというアズワンコミュニティ訪問の旅路に私達は踏み出しました。
これはまるで、いくらひどい摩擦があっても家族は家族だという東洋伝統の血縁思想が地域社会で拡がった姿です。

ソウルから仁川に行く明け方の道は、夜のうちに降った120mmの豪雨で、空港リムジンバスのTVが伝えるニュースは事故と水害のことばかりでした。
そのがらんとしたバスに、苛立った顔をした乗客が一人乗ってきてもバスの中の雰囲気は大きく変わりませんでした。
しかし、空港に近くなるほどバスの中はいろんな顔のお客さんたちでぎっしりになりました。この時乗って来た一人のお客さんが不満で一杯な顔で乗ってくると、バス全体の雰囲気はピリピリムードで反応しあい、不満一色になりました。
心ががらんと空いている時は余裕があり、緩衝の役目をするけれど、何かで一杯になる時はその反応が激しくて、軽く受け流すことができないことのようです。
だからいつも心を空っぽにしていること、必要な時満たした後は直ちに又空にすること、それが心の力をうまく使う秘訣ですよね。そういう時に、親しい関係が可能になるのではないでしょうか?

そのように雲がいくら多くても、青い空は常にあるのだということを知れば、親しい関係は可能なのでしょう。
アズワンの人々は、心の中に、断定する固定的な意見を置かないことで、澄んだ空のような心を使うようにしたのです。
今後ともサイエンズ研究所とミネサクラブは持続的な交流を通じて、意識探求と平和で楽しいコミュニティづくりの経験を分かち合っていくこと事にしました。

立派に通訳してくれたユ・サンヨンさんと、丁寧に説明し案内してくれたアズワンの小野さんに厚く感謝いたします。

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(写真1) 名古屋空港に到着しました。
(写真2) 船を降り、鈴鹿の方に行く港で出迎えに来られた宮地さん達。
(写真3) 特定非営利法人であるサイエンズスクール研修所。
(写真4) 毎夜懇談会を通じてその日の経験を分かち合いました。
(写真5) 研修所裏手の大きな貯水池。シラサギが一杯に集まって住んでおり、すがすがしく、開けていて散歩に良かったです。
(写真6) コミュニティの鈴鹿カルチャーステーションで、坂井さんの説明を聞きながら、彼らがどんな風に地域社会とつながりを持っているのかが分かりました。
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(写真7)「おふくろさん弁当」店に立ち寄って、事業も本性探求の場として使っているということ、それでも事業のように熱心にしているなどの話を聞き、職務上の責任が別になくて平等であり、リンカ(Rinka)という地域通貨を使っている点等を説明してくれました。
(写真8) 中井さんから農場説明を聞いて、蓮華池を作った話を聞きました。この日夕方の懇談会で中井さんは自分がどんなに日常のレッスンをしているか話してくれました。
というのは、この日私達の中の一人が、「どうして蓮華が池の中心にはないのか」という質問をしたのに対し、彼は「まだ作ってから 2年にならないからそうなんだ」と答えたが、心に咎めるものがあって、注意してよく調べてみたと言いました。
すると自分の無意識で「この池は失敗した」という考えがこの間あったということが思い起こされたというのです。
それで彼は、「失敗」を隠すために「2年も経っていないからだ」という言葉が無意識のうちに出ていたことに気付いたと言いました。
彼らは日常の中でこういう風に自分を観察して、「私はそんな固定された考えの中にあったな」と眺め、それを通じてそこから自由になるようにしていました。
(写真9) 宮地さんの家で私達のために見事な昼食を準備してくれました。
(写真10)私達が泊まる間の食事を真心込めて準備してくれた照子さんが、リンカ(Rinka)という地域通貨で運営される、無人の野菜が置かれた店の説明しています。
誰でも来て、必要な分の野菜を計り、この店に置いてあるノートに重さと価格を書いて品物を持って行くと言うのです。
もちろんリンカはこのコミュニティの事業体で働いて受けとったり、自分のサービスをして受け取ったものを使います。
したがって一般で価値ないと思われることでも、リンカを稼ぐことができる利点があります。
彼らが大切に思うことは何でも価値あるようにできる可能性があるという感じがしました。
(写真11) サイエンズ研究所メンバーと懇談会を持った後一緒に写真を撮りました。
(写真12) 自分が好きな料理作りを周りの人と一緒にする中で、自分の家を開放して食堂を出すようになった場所で食事をしたのですが、彼女は、いつでも自分がしたくなければ店を閉めて休むことができると言います。
このコミュニティのモットーは何でも、「やりたい分だけやる」で、「私が無理にしていないか」をよく見ていると・・・
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(写真13) お茶会を終えて
深い愛情と真心でお茶をいれる姿を見て、それぞれの茶碗が作られた歴史を聞きながら、一杯一杯真心で茶碗を受け取る間、私達は茶道の深い雰囲気が心に染みこむようでした。
(写真14) 里山の森で
子供達のための「里山作り」をしているこの人は(最前列右側)、「作業中他人の森に入ってしまって、主人を怒らせたが、すまないと謝りに行って、その趣旨を聞いた森の主人が自分の森も使ってくれと言い、それからは大きな森の道が造られ、子供達が楽しく遊べる空間となった」と言います。
(写真15) 日本を出発する前サイエンズスクール研修所で

アズワンに関する記事はこれだけと思ったら、巻頭のコラムにもアズワンのことが採り上げられていました・・・・。
ミネサクラブのイ代表が書いているものです。(次回に続く)
続きは、こちら→アズワンコミュニティの「問題」・・・韓国ミネサクラブの雑誌より②
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