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ずっとここで暮らしていたい・・・

ギターを弾きながら今年2月、韓国サンマウル高校生4人が、
8日間のアズワンコミュニティ体験にやってきました。
その一人、ソリちゃん。
今回は、日本語も少し話せるので通訳として、
そしてこの訪問団のリーダーとしてやってみたようです。

以下、ソリちゃんのレポート、日本語訳です。
初めて触れたアズワンコミュニティの体験記、どうぞご覧ください。
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7泊8日間の鈴鹿コミュニティ(期間 : 2013年 1月30日 ~ 2013年 2月6日)
                           サンマウル高校 3年 イ・ソリ

○鈴鹿コミュニティを知ろう
韓国の大学入試が終わる頃、高校卒業を控え、卒業後何をするのか真剣に考えている頃だった。いくつかの道を考えていたところ、先生から、
「日本に関心あるみたいだけど、はっきり何をするか決めていないのなら、日本に行ってゆっくり考えてみたらどうか」と言われた。
すぐ大学に行くのも嫌だったし、だからと言って韓国でつまらなく過ごすのも嫌だった。両親と話をしてみると、「君の人生だから君が決めなさい」と言った。

マップアズワンコミュニティについて・・・
どんなところか?
そこの人達はどんなことをしているのか?
以前行った人たちから話を聞いたり、
インターネットや本で見たりするくらいで、
よく分からなかった。
でも、『直接触れてみよう、どこに行っても
いろいろやってみなければ得るものもない』と思って、行ってみようと決心した。

○ 毎日が楽しい準備期間
鈴鹿へ向けて1月30日、鈴鹿に行く日まで毎日交流の準備で忙しい日々を送った。
私は今回の交流準備をしながら、卒業後1年位を鈴鹿コミュニティで過ごすため、
ワーキングホリデービザの準備も同時に進めた。
ビザの準備、交流の準備で忙しい1月だった。
今回の交流に一緒に行ったヒジン、ヒジュ、スミンとも
ソウルで何回か集まって、日程とお知らせ、両替、
日本語の勉強など準備した。
冬休み中で個人的なスケジュールがあっただろうけど、
出発準備集まる度、鈴鹿に早く行きたい、楽しみだ、
一所懸命日本語の勉強しようと勢いが凄かった。
みんなから熱い意気込みを感じ、参加者の中で日本語ができる私が一緒に勉強しようと思って、小さな日本語勉強本も作った。

○コミュニティ体験日記
[1月30日 1日目]
飛行機から雲いよいよ飛行機に乗って、日本へ・・・

津港で伊与田さんと節子さんが待ってくれていた。
鈴鹿に行く前、写真で見たからすぐ見つけた。

(飛行機の中から、雲)                    

鈴鹿へ向かう道中、景色を見ながら、『鈴鹿は田舎ではなかった』と思った。
「人の本性に適した社会」(韓国で出版された書籍)やホームページを見ると、
ファームで働く人の写真と何人かが集まっている写真しかなく、
「アズワンコミュニティ鈴鹿マップ」にも、住居は数個しか表示されてなくて、
コミュニティには家がいくつしかないんだと思っていた。
私の予想は大はずれ。
コミュニティには家がたくさんあり、大通りには生活に必要な店は全部あった。

古民家伊与田伊与田さんの家に到着。
初めて出会う人々と挨拶し、食事をしながら自己紹介。
そのとき一番印象に残ったのは、人々の笑顔。
初めて会った人達なのに、全く違和感がなかった。

(古民家伊与田)
「これから一週間、ここを自分の家のようにしてね」と言ってくれた伊与田さんの言葉が嬉しかった。安心し、これからの生活が楽しみだった。

[1月31日 2日目]
コミュニティ案内午前中、アズワンコミュニティの参観。
鈴鹿カルチャーステーション(SCS)から始まり、
街のはたけ公園、おふくろさん弁当などを
見て回った。


                                  (SCSにてコミュニティ案内)
SCSで聞いた話で覚えているのがある。
仕事で失敗をすると、たいてい怒られたり、
「お前はダメ!」と言われてショックに思うことが多いけど、
自分をしらべていこうとやっている人達は、
失敗しても、「あ、間違えてしまった。次はよくしたらいい」
という感じで、気軽に明るく働くことができるというのだ。    

自分を振り返ってみると、私も何かをする時、責められると意欲が落ちるし、
私も自分のストレスから人を責めたりするなーとも思った。

でも見方を変えると、ここのように少し時間がかかっても、ちょっと立ち止まることが出来れば、お互いの気持ちも傷つけず、ゆったりとしたやさしい気持ちで仕事をすることができると思った。今になってそんなふうに思うけど、大きなことを学んだなー。

おふくろさん弁当へ参観おふくろさん弁当では、
いろんな事を聞いたり質問したりした。
なんだか、『ここで仕事すれば、
楽しく仕事ができるだろう』と思った。
「仕事が遅くても、ゆっくりしても大丈夫」と聞くと、
もっと頑張りたくなるにちがいない。
明日からの職場体験、おふくろさん弁当でやりたくなった。

カツ丼昼食は、中井さんの家でカツ丼を食べた。
ベジタリアンのヒジュには、
特別に魚丼を用意してくれた。
喜んで家に招待し、
一つ一つに配慮してくれる姿は印象的だった。
カツ丼は本当に美味しかった。また食べたい。

コミュニティの参観後は、「SCSタイム」。
今日は、日本の伝統、茶道体験だった。
カフェサンスーシの隣に小さなお茶室がある。
誰かが手作りした和菓子と苦い味の抹茶がよく似合った。
一つ一つ丁寧に行動する姿が美しかった。
また機会があれば、ゆっくりお茶を飲みながら談笑したい。
心が落ち着かされる時間だった。
お手前お抹茶お茶菓子


[2月1日 3日目]
今日から職場体験。じゃんけんに勝ち、行きたかったおふくろさん弁当へ。

職場体験初出勤から忙しかった。
昼食時間前に配達できるよう、弁当を作る。
みんな忙しそうなのに、初めての私のために、
親切にあれこれ教えてくれた。
漬物をお弁当に入れたり、野菜を切ったり、
一箱分の玉ねぎの皮をむいたりした。

仕事をしながら働いている人々を見たら、
みんな笑顔で幸せそう。
そんな姿を見て、私もそれに乗って楽しくなった。
ここで仕事をすれば体は疲れるかもしれないが、
心は幸せになるような気がした。
忙しい時間が過ぎて休み時間には、
椅子に座ってお茶を飲みながら色んな話をした。
初めて会う私に、色んなことを聞いてきてくれたり、答えたりした。
幸い、日本語ができて、沢山の話をすことができた。

syougoさんと2高3の5月に学校の職業体験で、日本と関連がある
旅行会社で一週間働いたことがあった。
その時も、色んな良い経験をしたが、
その時とは違うことを感じた。
旅行会社では事務的な仕事をして、
ずっと椅子に座って働いたけど、
家に帰る電車では、腰と頭が毎日痛かった。
ミスをしてはいけないという緊張感で、一つ一つのことを気にしながら、
周りの目を気にしながら仕事をしたからだ。
しかし、おふくろさん弁当では手が遅くても、
その人自体を認めてくれるという感じを受けた。
仕事を終えて家に帰る道が楽しかった。
もちろん一日中立って仕事をするから、足はちょっと痛かったけど、
それだけだった。幸せな気分。

製作中お弁当屋さんの作業後は、毎日SCSタイムがあった。
この日はアートの時間。
ひょうたんがどのように見えるのかを考えて、
その見えたものを描いてみる。
みんな自分が考えたことを描いた。
一時間では時間が足りなかったから、
明日また来て描くことにした。

作品数日後のことだけど、私と、ヒジュ、スミンは完成したが、ヒジンは手が遅くて完成できなかった。
「ソウルに帰って完成したい」という彼女に、
「いいよ」と言ってくれた。ヒジンを認めてくれた。
ゆっくり、ゆっくりと・・・。

SCSが終わり、家に帰って夕食。
この日は照子さん夫婦が来て一緒に食べた。
食事が終わった後は、持ってきたウクレレ、ギター、ハーモニカで歌を歌った。
時間を忘れ、歌を歌った。
韓国の歌、日本の歌、外国の歌など、お互いが知っている歌は全部歌った。
歌には国境がないという伊与田さんの言葉に共感した。
この日サンマウルの4人は、「サンマウルの楽団」というニックネームが付いた。
ギターでソング
サンマウルの楽団

[2月2日 4日目]
朝食を食べておふくろさん弁当に出勤。昨日より忙しくなかった。
今日の仕事はお昼までで、SCSでミーティングをした。
4日間の生活をしながら感じたことを話す時間だった。
通訳してくれる人が来て、私も久しぶりに楽に自分の話をすることができた。
ミーティングの中で、誰かこんな話をした。
他の所では「早くしろ」、「ミスするな」、「ちゃんとしろ」など、
心を不安にする言葉をたくさん聞く。
だから、やる前、『よしやろう!』という気持ちより、
心配が先にくるのではないかと思うようになった。


ソリ生け花SCSタイムは生花だった。
メインの花をチューリップで、
周りに他の花を使って、活けた。
美しく見えるようにして、
SCS玄関にあるピアノの上に置いた。
それを見た人たちは、写真も撮って、
「綺麗ね」と褒めてくれ、嬉しかった。

夕食を食べてからは、若者交流があった。
十人くらいの若者が集まって、お菓子を食べたり、カードゲームをしたりした。
特別な話はしなかった。若い人たちが集まって親睦を図る場であるようだった。
私は途中で抜けて最後まで参加出来なかったけど、友達の話を聞いてみると、
言葉が通じなくても楽しくコミュニケーションしたそうだ。
何か特別なことをするより、会って日常の話をするのも良いと思った。
最近ほとんどの人たちは、周りの人とコミュニケー ションをしなくて、
お互いに何をしているのか、どんな考えをしているのか分からない。
このような無味乾燥な社会で、こんな交流はとても楽しかったのではないかと思いました。

青年交流会


[2月3日 5日目]
5日目は、サンマウルの4人と博也くん、小百合ちゃん、のぞみちゃん、
本山さんと奈良観光に行った。
私は鈴鹿に来る前、何回か日本に来たけど、こんな日本風の所は初めてだった。
日本を精一杯感じることができた。
大仏親子シカ突進2
奈良観光
朝早くに出発。
行ったのは、法隆寺、東大寺、奈良公園。
東大寺では本当にびっくりするほど大きな大仏を見て、やはり日本の昔の首都だったとしみじみ感じた。
(中略)
また、シカとも戯れたり…
楽しい奈良旅行でした。


コミュニティに帰ってからは、サンデー屋台で夕食。
そこでは毎週日曜日に集まって、電気なしでご飯を作って食べる。
火もかまどを作って使用し、トイレも太陽熱で水を汲み上げて使っているそうだ。
「災害時にも暮らせる」という言葉が印象的だった。
そこに食事に来る人たちは、瓶にワンコイン(500円)を入れる。
そのコインを、材料費に使い、残りは他の必要な事に使われるそうだ。
サンデー屋台クリームシチュー
毎週日曜日の夜に集まって、
料理を作って持ってきたり、作って食べることが新鮮だった。
まるでピクニックに来た気分だった。
その時食べたクリームシチュー、また食べたい。

[2月4日 6日目]
サンスーシーカフェサンド午前中おふくろさん弁当で仕事をし、
昼食はSCSのサンスーシカフェで
サンドイッチを食べた。
予定では、昼食を職場で食べて、
3時まで仕事をするのだったけど、
「疲れたら今日一日、休んでも良いよ」
と言ってくれて、休むことにした。
実はそんなに疲れてはなかったけど、4人とものんびりする時間が欲しかった。
おかげで私たちは、のびのびとコミュニティの周りを散歩して買い物もした。ゆっくりと散策散歩へ散策

もしワーキングホリデービザが取れて、また鈴鹿コミュニティに行くようになったら、私に韓国語を学びたい人がいっぱいいるそうだ。
もし行くようになったら、1年という長い時間を鈴鹿コミュニティで過ごすつもりだから、沢山のことをすることができるんじゃないかと思った。
鈴鹿コミュニティに来る前は、ここで1年間生活することができるだろうか?
と思ったけど、これまでやってみて、私の決断はさらに固まった。
ここなら1年ではなく、数年でも楽しく生活することができそうだ。
ビザ、ぜひ取れたらいいな!

太鼓体験のんびりした時間を過ごして、SCSタイム。
今日は太鼓をした。
4人とも自由の森学園に行ったとき太鼓をした。
そのためなのか、すぐ学んだ。
私は自由の森で一ヶ月間居たので、
他の友達よりも沢山太鼓をしたことがある。
何回やっても楽しすぎて、
腕がブルブルするまで打ってしまう。
今回も先の心配なんてしないで、
腕がぶるぶるするまで打った。

太鼓体験鏡の間にてオーケストラで活動したこともあり、
多くの人達とリズムを合わせて和音を奏でる
というのは難しいと思っている。
管弦楽器も、打楽器も、人が暮すのも、
和音を奏でるのは簡単なことではない。
でも、お互いの音を聞き澄まして合わせて行けば、すぐ美しい音が出る。
太鼓を打ちながら、ミスをしたら、隣の人の太鼓を見てまた和音を合わせた。
お互いの声をよく聞き合うことが重要だと言うことを感じる大事な時間だった。

この日は、ホームステイをした。
私は照子さんのお家に、ヒジンは中井さんのお家に、ヒジュは宮地さんのお家に、
スミンは 同じ年の男の子がいる坂井さんのお家に行った。
みんな行く前に言葉が通じなくて心配した。
しかし、結局みんな楽しくホームステイをして帰ってきたようだった。

私は照子さんの家に行って、夕食にそばを食べた。
照子さんと一緒に夕食を準備しながら日本料理も学んだ。
夕食を食べる時、ヒジュの職場(SUZUKA FARM)で働いている若い夫婦(小林耕一夫婦)も来て、一緒に食事をした。

色々な話をしながら思ったのは、ここも人が暮しているところということです。
交流で鈴鹿コミュニティーに来たお客さんとして、無条件におもてなししてくれるのではなく、コミュニティの一員として一緒に活動したことがよかった。
ホームステイに来ても、一緒に夕食の準備をしたり、日常の話をしながら過ごす時間が良かった。
その日の夜は、ホームステイの家にもかかわらず、楽に(ぐっすり)寝た。

[2月5日 7日目]
里山にて2ブランコ
朝、ご飯を食べてすぐ里山に行った。
山だと聞いて登りにくい山だと思ったけど、行ってみるとコミュニティに程近い、
低い山を里山と言った。

植菌私たちが植えたキノコは、
秋になったら採ることができるそうだ。
木に穴を開けて、
種を穴に入れてハンマーで叩くと、
種が穴の中に入った。
それを里山の中に立てて、
寒くないようにビニールで覆った。

里山の中にはキノコだけでなく、
木のブランコ、木のジャングルジム、様々な植物など、
いろいろ面白いものが沢山あった。
帰る時間になったけど、ブランコにまだ乗りたくて帰りたくなかった。
夏には里山の中でテントを持ってきて寝てもいいだろうと思った。
自然がくれる楽しさをもっと感じたかった。

餃子昼ごはんは江口さんの家で食べた。
メニューは餃子とおにぎり。
メインメニューは餃子だったけど、
みんな里山で楽しく遊んで来たからか
餃子よりおにぎりをたくさん食べた。

江口宅で食事私たちが餃子をたくさん食べるんだろうと思ってたくさん作ってくれたのだけど、
結局全部食べられなかった。

江口さんの家の玄関には、
「韓国サンマウル高校学生4名ランチ」
玄関前にてと書いてあった。
私たちを歓迎するということを感じて嬉しかった。
江口さんの家も伊与田さんの家のように、
話し合いの場所、滞在する場所などを
提供してくれていた。

でも、実際自分の家を他の人に提供することは
容易なことではないのでは。
しかし、ここの人たちは他の人のために家を貸してくれる。
我が家を他の人に貸してくれることができない理由は、
欲のためではないかと思う。
少し欲を捨てれば、
誰でも幸せになるはずなのに、それは容易ではない。
私も欲を捨てたい。


みかんとみんな
昼ごはんが終わって、私たちはベルシティというショッピングモールに行った。
本当に大きくて、3時間のショッピングだったけど、
結局すべて見ることはできなかった。
ショッピングの後は、近くにある鈴鹿で最も大きな温泉に行っ た。
時間があまりなくて1時間くらいしか楽しまなかったが、
これまでの疲れが飛んでいってしまった。

家に帰って夕食を食べ、送り出し会をした。いよいよ来てしまったのだ。
大勢の人たちが来てくれた。
プレゼントを持って来たり、手作りで何かを持ってきた人もいた。

伊与田さんとソング
感じたことを発表し、私達が毎晩練習した「ゆっくり行こう」という歌を歌った。
この歌を選んだ理由は、
単純に日本語と韓国語が適当混ざっている歌だったからだった。
しかし別れが近づくと、この歌の歌詞が心に届いた。
みんなと歌を歌って心が温かくなった。
一週間の生活をしながら感じたことを言った。
通訳をしながら、涙が出そうだったけどぐっと我慢した。
本当に感謝する心しか思わなかった。
一つ一つ配慮してくれて、一週間楽しく生活することができた。
みんな鈴鹿に必ずまた来ますと約束をした。

ひろや、のぞみ、さゆり準備は私たちだけではなかった。
博也くん、小百合ちゃん、のぞみちゃんが
「乾杯」という歌を用意してみんなと歌った。
「乾杯、今君は人生の、大きな大きな舞台に立ち、遥か長い道のりを歩き始めた、君に幸せあれ!」という歌詞を聞いた瞬間、涙が出そうだった。
博也くんはサングラスをかけてギターを持って出てきた。
みんな、博也くんの新しい姿だと言いながら楽しんでいた。
私たちのために色んな事をことを準備してくれた人々に感動した。

帰国前伊与田宅にて

帰国前の津港にて本当に韓国に帰りたくなかった。
でも、別れがあるから出会いもある
韓国に帰ってきた。
ワーキングホリデービザが
取れたらいいなー。
鈴鹿コミュニティで出会った大切な人々と、もっと深い話をしたい。

また来るねー2一週間、
温かい朝ご飯と夕飯を作ってくれ、
ゲストハウスを借りてくださった
伊与田さん夫婦とは、情が湧き、
高速船に乗った時は
本当に寂しかった。


7泊8日間、
本当に沢山のことを学んだ。
これから生きていきながら、ここで学んだことは、
私の人生において大きな影響を与えるだろう。
鈴鹿コミュニティで出会った人々に心を込めて、
「ありがとうございます」と伝えたい。

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そして、ビザも取れ、3月15日に再びアズワンコミュニティにやってきたソリちゃん。
早速、20日~25日に開催された「マイライフセミナー」に参加しました。
これから一年、ゆっくりたっぷりアズワンコミュニティの空気を吸って、
彼女の人生はどんなふうに展開していくのでしょうか?!
やさしい社会が、人を幸福にするのかもしれません。
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