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知性の発揮に向けて---日常化レッスンより

知性発揮に向けて、日常化レッスンの一コマ
          ---サイエンズスクールのフェイスブックページより抜粋
 
ふと、立ち止まる日々の暮らしでは、やることに関心がいっている。
ちょっと、立ちどまって静かに振り返ってみると、
「あら、自分は何をしたかったんだっけ?!、
それをどう考えていたんだっけ・・・?!」となることがある。

サイエンズスクールでは、
月に二回、「サイエンズ日常化レッスン」を開催している。
週のうち、4日連続で、一日のうち2時間半、検討し合うコースと、
2週間、火曜日と金曜日の2時間半、検討し合うコースがある。

先日、2週間のコースに参加した人の感想が印象に残ったので、紹介します。
日常化レッスンでは、往々にして、
『自分のテーマかな?!』
としていたところは見事外れて、
意外なところに、自分の姿が見えてきて、
新発見というときがあるようです。

以下、その人の感想です。
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発見2【発見、その一】

レッスンの前に課題をもらった。
面倒だけどレッスン参加にはやらなければと思い、
自分なりに考えレポートにしてみた。

最初のレッスンで発表かと思ったら
誰も書いていない、
「なあ~んだ!」と思いながらも、せっかく考え書いたものを
ボツにするのももったいないので、みんなの前で読んだ。
でもそれだけ、それに対する意見も反応もない。

ふ~~む・・・
どうやら私はみんなのプラスやマイナスの反応や評価を期待して、
考えたり、書いたりしていたようだ。
何を考え何を書いたかというより、どう考えどう書いたかが、よく見えてきた。

私の考えや行動に対して周囲の人がどう思いどう反応するかは、
本当のところはわからない。
でもそのわからない相手の気持ちを思いやって(勝手に想像して)、
自己規制したり自己装飾したりして考え行動している自分が見えてきた。


【発見、その二】

知恵-----「病院で待たされる」という例から、
「待たされる」と思っているときは、
「待つ」ということに縛られて、
他のことができない状態で、
相手(病院のシステム)が悪く、
そのせいで自分が身動きできなくなっていると
思い込んでいる。

しかし相手のせいと言うよりも、
自分自身で「待つ」ということだけに自分を縛り付けているのではないだろうか。
「待つ」という状態はあっても、
その待つ時間を工夫次第で自分の時間にすることはできる。
その「工夫できる」ということが知性を働かせるということなのだろう。

毎日の生活の中で何となくひっかかりながらも、きちんと見たり考えたりしにくいことが多いが、このレッスンはそこをしっかり見ていくとても良い機会。


親しいキョウコさん、クリヤさん、ヨシダさん、カヤちゃん、イツミちゃんの話を聞きながら、
「ああ、そうだ」と気づくことがあったり、
日常の生活の中で、レッスンでの言葉を、
「こういうことなのか」と納得できたことがあったり、
とてもおもしろい体験だった。
また、一緒にレッスンした人とも何だか近くなった
感じでとてもうれしかった。
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