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ウリさんの日記 --- その6

「友人達へのレター」 ---マイライフセミナー後一週間目 その2

【ウリのアップルパイ】
マイライフセミナーの途中で、私はアップルパイを作ろうと思いつきました!
一つはセツコさんと、伊与田さんと、イツミさんと家で一緒に食べるために。
もう一つはコミュニティのストアへ、皆が食べられるように!
一度セツコさんが、そうするのを見たのです。

ウリさんのアップルパイ

金曜日の夜にアップルパイを作りました。
セツ子さんは、必要なものすべてを買ってくれました!

そして、私の “例外性”について考えました。
--- 私はここで買い物が出来ないのです。
パッケージに書かれているものを読むことができないのです!---

私はこの "例外性"によって、
生活の中で、何事も自分一人で出来ない、
すべて一緒にやっているという意識を体験できるのです。
この日につくったアップルパイは、
おそらく、私の人生の中で作った、一番おいしいケーキでした!

金曜日の夜に一つ作り、それを家で食べました。
そして、ノリ子さんが神戸に住む娘に一切れ持っていきました。
もう一つは日曜日の朝に作り、夕方、お袋さん弁当屋のBBQに持っていきました。
皆アップルパイを食べました、BBQを食べ、ビールも飲みました。
私も日本酒を飲んで、そのせいか、日本語がうまくなったと思いました。
BBQで
私のアップルパイの歴史は、長く、物語りもたくさんあります。
子供の頃の思い出は、一番下の「続き」をクリック下さい。)

【スペシャルな土曜日】
私はおふくろさん弁当の人に、午後は勉強したいことを伝え、
午前の作業にしてもらっています。
でも、「必要なら、伊与田さんの家に電話をかけて、
私を呼んでくれたらいいですよ!」とも伝えていました。
そうしたら、金曜日、夕食のテーブルを囲んでいた時、
イズミダさんから電話がありました。
そして、私は土曜日に初めて仕事に行きました。

以前、ブラジルのバイーア州の農場で仕事をしていた時、
土曜日や日曜日の仕事は、自分にとって何か特別でした。
Kiel市役所で働いていた時は、週末、長い散歩をしました。
お弁当屋さんで
でも、今、それよりももっとハッピーな、土曜と日曜日です。
私は、食べ物の森(パーマカルチャー)の世話をしているのです。
おふくろさん弁当で土曜日に働くのはとてもスペシャルでした。
なぜかは解らないけど。
ノリ子さん、ミドリさん、キミコさん、ミユキさん...
その日のチームはとてもスペシャルだった気がしました。
     私は本当にそれをしたいという理由だけで、
     それをやっていたということなのです!


これは、子供の頃、母にケーキ作りを学んだ時と同じような感じだなと思いました。
【子供の頃の思い出】
アップルパイと言うと、子供の頃を思い出します・・・。
私の家の農地には、たくさんのリンゴと梨の木がありました。
秋になると、木に生っているリンゴや、落ちたリンゴや梨を集めるようにと、
父から言われ、毎年、たくさんのバッグに集めました。
そして、そのリンゴや梨の木で遊びました。
一度、木に登り、落ちて、背に怪我をしたこともあります。

昨年、お母さんが、「私の大プロジェクトは梨の木の上に家を建てることだ」
と言っていたということを語ってくれました。
ウリさんの姉妹とお父さん

父はリンゴと梨の袋を車に積んで、リンゴジュース工場に行っていました。
地下室の倉庫には、木樽までありました。
そこでは、祖父の大好きなサイダーもつくっていました。

土曜日は、日曜日に食べるケーキやパイ等をつくる日でした。
土曜日は学校の授業が無く、私はいつも父の仕事を手伝っていました。
柵を作り、羊の世話をして、羊毛を取る、羊の爪を切る等。
薪を割ったり、家の修復をしたり、うちの農場の一部である森を散歩し、
観察していました。

私達は、男の子無しの姉妹だけで、
父にとって、息子を演じたのは私だったようです。
ある日、姉妹達が言いました。
「あなたはケーキの作り方を知らないので、女の子ではない」と。
それで、私の母はケーキの作り方を学ぶために、土曜日に私を呼んだのです。
その時でした! たぶんそれがアップルパイだったのでしょう!

木と子供

私は農学の大学を終えてすぐに Kiel市の市役所で5年間働きました。
仕事は、市内に植えられている100本のリンゴの木の世話をすることでした。
リンゴの木は60年か80年のとても古い老木でした。
近代市場ではもう受け入れられない、色々な品種のリンゴの木で、
すでに絶滅寸前な品種もありました。

私は、リンゴに詳しい専門学者が、
この宝物の世話をする方法を説明してくれたのを覚えています。
子供達をつれてきて、色々な生物学の実験をするのも、
私の仕事のうちの一つでした。
というか、実は子供達と遊んでいましたけれどね!!
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