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藤野電力の若者たちとの交流

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福島の原発事故をキッカケに電力も自分たちの手で作り出そうと動き出しているのが相模原市にある藤野電力です。
エネルギーも中央集権型から住民参加による自立分散型へ。
自然エネルギーへの移行を取り組みながら、生活を見直し、
より楽しく豊かに生きていける暮らしを目指しています。
今、マスコミにも注目されているスポットです。
その藤野電力の小田嶋さんと袴田さんの二人が、
6月3日、4日とアズワンコミュニティ鈴鹿を探訪しました。

人と人がどのように繋がっているか?
(コミュニティを案内した宮地さんのfacebookより紹介)

6月3日相模原の藤野電力さんによる太陽光発電のワークショップが
鈴鹿カルチャ-ステーションであった(詳しくは、こちら)。
スタッフで来訪した小田嶋さん、袴田さんがワークショップ終了後、アズワンコミュニティふだん着で探訪DAYの企画に参加した。
藤野電力さんといっても、その背景は神奈川県相模原の里山にたまたま寄ってきたアーテイストや暮らしの見直しをしたい人など、個性的な人達で、
気がついたら村のようになっていたという、
そういう地域(一般社団法人 藤野観光協会のHP)だと知った。
 
はたけ公園にて   FARMにて
4日は、はたけ公園やお弁当屋さん、コミュニテイオフィス、ライフストア、
サイエンズスクールで、そこでやっている人に出会った。まわってみて。

  「アズワンでは、人に焦点が当たっていると感じた。
  自分たちも現象面でそのことを一緒にやっている感じがあるけど、
  お互いの間に垣根があるようにも見えてきた。
  そこに関心がいっていなかったかなあ。
  お互いの垣根を低くする、無くしていったら、どんなことになるか・・・」

  「何がやれるとか、これが秀でているとかで個性的というのは、
  今ままでも見てきたけど、
  ここでは一人ひとりが自分の中の思い(気持ち)のままに、
  やっている感じがして、ふつうが個性的というか、
  その人らしさがにじみ出ていると思った。」

  「贈り合いの経済が規模が小さくても実現している、奇跡的・・・」

  「自分の中で我慢とか抑えているもの、
  自分の中の願いを見えなくしているかな」

社会といっても、人と人がどのようにつながっているか、
そこが実質どうなっていくか、
これからも付き合いながら見合っていきたいですね、
よろしく(宮地昌幸)

藤野電力さんとの交流を通して
(懇談会に参加した岩田さんの感想)
ワークショップを終えて、その夜彼らと懇談する機会があり、翌日はコミュニティの中を案内し、昼食後、再び彼らと懇談した。ワークショップで大変お疲れだったと思うが、その後のコミュニティ探訪は、一層濃密だったかもしれない。
彼らに触れた僕自身の感想を書いておきたい。

江口宅にて
小田嶋さんが、なぜ今の仕事をするようになったか、その動機や経緯を知った。
一人の人間の決意は、周囲がほっておけない、周りが動き出すんだ。
彼が今の活動に賭けているものに触れた感じがした。
袴田さんは、プロのカメラマンで関わっていたのが、いつの間にか
ワークショップのスタッフも兼務するようになったとか。
お二人の藤野の話は、とても魅力的だった。
様々な活動家やアーティストが集い、藤野という自然環境の中で、
いろんな活動が展開され花開いている様子だ。
二人が発するそのバイブレーションに僕自身も共振していた。

彼らは、鈴鹿での活動やそのポリシーを肌で感じ取っているようだった。
決して、否定的な見方はなく、率直に共感し、自分自身を省みていた。

たとえば、鈴鹿コミュニティでは、人と人との垣根が自然と低くなっている。
物の貸し借りもそうだが、今では、タダの贈り合いが始まっている。

自分の方にある、敷居が低くなればなっただけ、視界が開け、
人との距離が近くなり親しさも増してくるものだ。
それによって、自分の生活は自分で守るという
重荷から少しずつ解放され、解放された分、
周囲社会へ無償の活動が広がっていくようになる。

そんな考えも、バッサリと切り捨ててしまう大人もいる。
「甘すぎるよ」「自立した大人ではない」とか、「そこまで仲良くならなくてもいいよ」とか…、それは以前の自分の考えでもある。

懇談会

だが、彼らからは、僕らの話を聞いて、自分に目を向けていた。
「何がどう気づいたというわけではないが、自分が心の奥で感じていたことが、
やっぱりそれでよかったんだ、と思いました」
「ここでの日常会話を耳にした。“本当にやりたいことって何?”みたいなことが、立ち話で交わされていた。そんなところがベースになってるんだ、と感じました」
「ぼくらは現象の方に焦点が当たっているけど、その中にある思いや気持ちが大事なんだと思いました」

鈴鹿での活動は、それほど目立ったところはない。
ただ、人と人との障壁を無くし、お互いが親しく安心して暮らせるコミュニティをつくろうとしている。そんな社会の実現を願っての日々の活動だ。

藤野が地上に大きく幹を伸ばし葉を茂らせている活動とすれば、
鈴鹿は、地下深くに根を下ろし、根を張っているようなものかもしれない。
両者を比較しながらそんな例えも、勝手に浮かんだ。
様々な活動家たちに、このコミュニティの活動がもたらせるものが
何かあると思うし、また、協力したいと思っている。

日本の各地で、また世界のあちこちで、共鳴し、共振し始めたら
きっと大きな力になるんじゃないか。
そのためにもお互いの垣根は、障壁にしかならない。(いわた)
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