「人にふれられた1泊2日でした」AsOneスタディツアー



8月8日、9日で愛媛県から6人がアズワンスタディツアーに来られました。

みなさんは、同じ地域に住み、それぞれが百姓、経営者、加工製造者、販売業に従事しているメンバーでした。

参加の動機や関心は――、
「どのような人達が、どのようなコミュニケーションを取り合ってるのか?
その運営方法は? どんな役割や担当が必要なのか?」
「意見や目指すところが違う場合、どのように折り合いをつけるのか?」
「ものやお金の行き交いが、どうなってるのか? お金だけでないやりとりの仕組みは?」……と、アンケートに答えていました。

コミュニティの作り方やそのシステムなどに関心があったようです。

そして、鈴鹿コミュニティの職場やコミュニティの運営の仕組み、暮らしている人たちの実際に触れていかれました。

出発する間際に、インタビューしてみました。



山に囲まれた集落で農業をしながら暮らしているというKさん夫婦とお子さんです。
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アメリカの高校生が体験したアズワン鈴鹿コミュニティ《後編》

NPO法人 ワールドユースジャパンさんの企画で「食と持続可能性」をテーマに、アメリカの高校生11人と引率者1名の12名のアメリカ人が7月19日から23日までアズワン鈴鹿コミュニティで過ごしました。彼らの学びと体験をインタビューしています。その《後編》です。

>>>《前編》はこちらです。


ミルカさん(カリフォルニア)
「誰の間にも上下がなく、誰もが人に敬意を持っていました」


A ミルカです。カリフォルニアから来ました。
Q ここの印象を教えてください。
A 素晴らしかったです。お互いに助け合っていて、誰の間にも上下がなく、誰もが人に敬意を持っていました。
Q それはどういうところから感じましたか?
A 今回接した人達がみな、暖かい思いやりを持って接してくれたように思います。
Q 特に印象に残ったエピソードはありますか?
A 川遊びです。本当に楽しかった。
Q ここでのミーティングや話し合いはどうでしたか?
A それもとても興味深かったです。たくさんのトピックについてみんなの意見を聴き合いながらできました。
Q ここでの取り組みはアメリカでも通用すると思いますか?
A 部分的に通用すると思います。
Q このようなコミュニティが世界中に広がったらどうなっていくと思いますか?
A たくさんの平和が実現すると思います。
Q ここでの体験が自分の将来に役立ちそうですか?
A 役立つと思います。どう自分を他の人に向けて表現出来るのかを体験出来ました。今は前より幸せな気分です。



アロンドラさん(コロラド)
「本当にしたい事は何かを知る事に焦点を合わせて生活している」


A コロラド州から来た、アロンドラです。

Q ここに来ての感想をお願いします。

A 鈴鹿コミュニティでは人と人とが調和の中で親しく過ごしているのが感じられました。ここではルールはなく、ここの人達は自分自身に向き合ったり本当にしたい事は何かを知る事に焦点を合わせて生活しているようでした。そして、それは素晴らしい事だと感じました。なぜなら、アメリカではみなお金に焦点を合わせたり、自分の欲望を満たす事に焦点を当てがちですが、ここではみなが深く自分を理解しようとしているのが感じられました。

Q どういうところからそれを感じましたか?

A 弁当屋さんにいた時、緊張を感じることなく作業が出来ました。普段、職場で働く時は常に何かにせかされるような緊張感を感じるのですが。弁当屋さんでは穏やかで、全員が無理なく出来る事をやっていました。上下がないのでやりたくないことをやらされたり、せきたてられることもないように感じました。

A ここでの社会作りの試みについてどう思いますか。

Q ここでの社会作りの試みは実現可能だと思います。ここでの試みはゆっくり、小さな部分からはじまっているように思います。また、話し合いによって、無理なく進めているようにも思います。



高校生の通訳と引率で同行したジェームス・アサリ―さん、通称アルさんの感想です。「アメリカ社会に広がったらいいですね」
日本語で答えています。
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アメリカの高校生が体験したアズワン鈴鹿コミュニティ《前編》



NPO法人 ワールドユースジャパンさんの企画で「食と持続可能性」をテーマに、アメリカの高校生11人と引率者を含めて12名のアメリカ人が7月19日から23日までアズワン鈴鹿コミュニティで過ごしました。彼らの学びと体験をインタビューしています。

日本語翻訳ファイル>>>http://as-one.main.jp/suzuka/sb1/log/eid1523.html


ジェイムス・クーパー君(フロリダ)
「人間関係の問題に対する有効なアプローチを学びました。」




パオラ・ガルシアさん(ニューヨーク)
「コミュニティづくり・・面白いコンセプトだと感じた」



ジャヴェイリアさん(ニューヨーク)
「まだ帰りたくありません。」
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アメリカから2度目のスタディツアー



今年4月にアメリカからアズワン鈴鹿コミュニティを訪れスタディツアーに参加したOさん。米国とは真逆の社会を垣間見てとても驚いていました。「また来ますね」と帰国して、今回再び来日。日本の友人2人を誘って鈴鹿にやってきました。
また、韓国から来たジェウォンさんも参加して一泊二日を過ごしました。


「街のはたけ公園」でスズカファームの案内を聞いているところ

山形から参加した設楽さんが、スタディツアーの感想をフェイスブックにアップしていたので、ここに紹介させて頂きます。

【高齢社会を見据えた未来を構築する】

人のための会社、人のための社会という、普通とは真逆のコンセプトを持って、人間の本質を追求し続けている三重県鈴鹿市のアズワンコミュニティーさんを訪ねてきました。

おふくろさん弁当と鈴鹿ファームという二つの会社を運用しつつ、人の本質について参加者全員で追求している。

一言で言い表すなら、少々乱暴な表現かもしれませんが、自身から洗脳を外す取り組みを地道に行っている。

人を大切にする、人の想いを大切にすると、人が活性して思いもよらない能力が発揮されている事実を2日の間に見学してまいりました。

私どもの棲まう地域も限界集落となっていて、斬新な新しい地域の取り組みがどうしても必要です。

同コミュニティ内には、サイエンズ研究所という研究機関が設置されています。すでに国際的にも人的交流が行われており、ユネスコでもそのコンテンツに注目が集まっているそうです。

ここでは、知り得た全てを表現することは出来ませんが、これからの時代は、人間の能力を発揮させるための取り組みが必要になってくることだけは間違い無いでしょう。

ご案内くださった同コミュニティの岩田さん、他沢山の方々に大変お世話になりました。ありがとうございます。(設楽さんより)
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恵共同体・アズワン物語〈12〉「心のゼロ地点を求めて」


「心のゼロ地点を求めて」

ツアー2日目も、天候に恵まれた恵メンバーは、コミュニティの参観場所を歩いて回った。20人ほどが列になって移動する姿は、まるで観光名所のよう。近所の人たちからすれば珍しい光景だったろう。形では見えないものを見学するというちょっと変わった観光なのだ。

昼は子どもたちも合わせて、鈴鹿カルチャーステーション(SCS)前で記念撮影をすることになっていた。
僕はその準備に追われた。撮影はさとし君というコミュニティのカメラマンに頼んでいたので、そこは安心だったたが、撮影セットの準備をしたかった。花壇を並べたり、横断幕を用意したり。撮影直前になって慌てていた。

花壇を並べるのは自分だけではちょっと大変かな…。誰か助けが必要だなと思った。こういう時は、LINEでコミュニティメンバーの応援を頼むところだ。日常はこのソーシャル・ネットサービスであるLINEによって、コミュニティ内の情報伝達や連絡がとても円滑に行われている。もちろんツアー中の運営もLINEで行われた。
わりと気安く使っているが、しかし、花壇を移動するのに、わざわざ頼むかな・・

人は大勢いる。
昨晩の佳子さんの案内を思い出していた。「共に創っていきたい…」

言葉は通じなくても、頼んでみよう、と思った。

横断幕を作り、現場に直行。SCSのカフェに食事を終えて寛いでいる人たちがいた。身振り手振りでやってほしいことを伝えてみた。昨晩、語り合った牧師さんが事情を理解してくれたようで、直ぐにみんなに声をかけて動いてくれた。アッという間に撮影舞台が出来上がった。

そう言えば、この撮影のことをみんなにアナウンスしてたかな・・

と僕が思ったのは予定時刻の間際になってからだ。スタッフは承知していはずだが、参加者に伝わっていたかどうか…。昼食後近くのカフェに出かけて行った人もいたようだった。

そもそも、この記念撮影は、「しなければならないこと」なのか?

と振り返ってみた。

「撮影はやりたいこと」ではあるが、何のために?何故?何でしたいの?

と問うてみた… そこに意外なものを見つける。つづく(文・いわた)
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恵共同体・アズワン物語〈11〉「おふくろさん弁当は今」


「おふくろさん弁当は今」

ツアー2日目。この日は、各職場やコミュニティの運営パートを3つのグループに分かれて見学した。

その一つに「おふくろさん弁当」がある。

鈴鹿市内では、ピンクの配達車でわりと知られているお弁当屋だ。昨年はNHKニュースでも、「働き方改革」の一モデル職場として2回放送された。『規則も命令も上下も責任もない会社・おふくろさん弁当』という本も出版されている。

そして、今、話題の本、『ティール組織』(マネジメントの分野でダントツ売上1位を記録中)の本文ではないが、解説の中に「おふくろさん弁当」が日本の一例として名前が挙げられている。ティール組織とは、マネジメントの常識を覆す次世代型組織のことで、これまでの「達成型組織」の問題点(社員が疲弊し、本人のパワーが発揮されない)を克服する組織として注目を集めている。
世の中がこんな方向に進むのであれば、「おふくろさん弁当」の取り組みは大いに参考になるはず。

前置きが長くなったが、その弁当屋さんの話しを聞いた。

弁当屋が出来て約10年が経つ。小さな店舗でスタートし、年々売上を伸ばし、今では一日1500食ほどを鈴鹿市と隣接する街に配達している。支店も出したこともあるが、その都度ゼロ地点に戻って、自分たちは何をしたいのか、目的は何か、そこに立ち返っているという話しだった。売上が好調なら、それでOKとなりがちだが…。そして、現在もまた、見直しを進めているそうだ。

この弁当屋の目的とは何?

会社だったら利益を挙げることだろうか、ここではそれが目的ではないようだ。

案内をしてくれたのは、剛道君(20代後半で、恵の女性たちにも人気だった(*^^*))

その彼が、案内の最後に「ここでは、本当に美味しいお弁当を届けたい、そこをやろうとしています。本当に美味しいお弁当とはどんなお弁当だと思いますか?」と
逆に質問していた。

材料がいいとか、味がいいとか、調理が上手だとか、見た目が美味しそうとか、そういうことでは無さそうだった。

恵の人たちも、「手作りで真心があるお弁当かな?」「作っている人が楽しんで作っているお弁当かな?」と発言していた。

さて読者の皆さんはどう思いますか? 答えはスタディツアーに来た時のお楽しみにしておきましょう。

弁当屋が常に「目的は何だろう?」と問い、ゼロから見直そうという姿勢は、多くのヒントになる。経営が順調だから今のまま行こうとか、みんなが喜んでいたら目的が実現している、と思ったりするが、私達はそんな眼の前の現象にとらわれがちだ。
剛道君の話しでも、「規則や命令、上下、責任がない会社」にすることが目的ではないと言う。それはあくまでも現象に過ぎず、そうなる元があり、そこに目的があるそうだ。

おふくろさん弁当は、今も、その目的を探りながら、本当に美味しいお弁当を作り、届けようとしている。「本当」と言うからには「フィクション」で、美味しいのではないのだろう。

そして、僕自身も、このツアーが順調に進むことが、ツアーの目的を実現しているものと思っていたが、そうではないことを閉会式で気付かされた。その話しはまだ先になるかな。つづく。(文・いわた)

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写真は、おふくろさん弁当の前で、恵の子どもスタッフと。というのは、ツアー中、幼児、小学生の子どもたちをみるスタッフが恵参加者から交代で担当していた。なので、そのメンバーは、職場や部門を参観できないため、昼の時間帯を利用した。剛道くんは写真右端。
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恵共同体・アズワン物語〈10〉「利己心」



「利己心」

スタッフの佳子さんの案内が終わり、「次は食事です」と伝えると、会場は大いに湧いた! ただでさえノリがいいのだが、この時の歓声はこの日マックス。素直というか、感情表現がストレートというか。しかし、もしも冗談でも、「今日は食事の用意がありません」なんてことを言ってたら、どうなっただろう? 大ブーイングが起きただろうか? (*^^*)

「冗談でも言っていい事と悪い事がある」なんてことも言うが、ちょっとした言葉遣いで傷ついたり心証を悪くすることがある。こんな場合は一体何に反応しているのだろう?

恵の人たちは、クリスチャンで自己の内面に向き合うことが日常化しているそうだ。そして、「力動」(りきどう)と言って、人と人との間に起こる「葛藤」をそう呼んで、この「力動」をどう解決するか、その方法にも強い関心を持っていた。

その夜のミーティングでこんな質問があった。

「私達には、利己心がある。他人のことよりも自分の利益を優先する気持ち。自分さえよければ良いという心。そういう心をどう克服していますか?」

という内容だった――。

彼らは、自分の利己心を訓練によって克服し、自分自身を成長させようとしていた。そこには、人は利己的で、そのまま育つと他人のことを考えられなくなってしまう。だから子どもの時から、人を思いやる心を訓練によって養っていかなければならない、そう考えているようだった。

内面に「葛藤」が生じる一つには、自己の「価値観」が影響していると思う。善悪の判断が自分の気持ちや行動を裁くように。人の言動に対してもその価値観を振るう時がある。

善悪、正義、公正さ…も人間が作り出したフィクションだろうが、振りかざせばナイフにもなり、自分も人へも向けられて、傷つける。銃は取り締まるが、こうした武器はほとんどの大人が持ち合わせているのでは? 果たして、本当に必要なものなのかどうか…。

自分の身を自分で守らなければならない関係――私は私、あなたはあなた、という個々別々の間柄、つながりを排除する世の中では、自分の利益を優先せざるを得ない。そんな環境で利他的になりなさいと言っても無理だろう。

ところがその一方で、人は環境の生き物だ。周囲社会と自分の間が安心出来る関係にあるとき、自分が自分を守ろうとしなくてもいい。いちいち「人を大切にしましょう!」と言う必要もない。自分だけよくなろう、という発想が出てこない。それは自己と他者の区別がない状態かもしれない。人のことが他人事に思えない時、たぶん、そんな行動をしているのではないか。(こういう方向で社会を創ろうという試みがアズワンの社会か?)

自分さえよければ良いとして行動した時、“後ろめたさ”や“心が痛む”ことがあるとすれば、それは善悪のナイフが向けられている状態なのか、それとも心の底にある願いとのギャップから来るものなのか・・?

私たちが今住むこの社会は、それがフィクションなのか、元々あるものなのか、それすらもマインドセットの中で見分けられないでいる。気持ちや感情は、フィクションであるドラマや映画にも大きく揺れ動くし、冒頭の発言一つでも一喜一憂するだろう。人は世界を感覚で受け取っている。その揺れ動く感覚を軸に世界を語っても・・・

と、こんな話しを、その夜は0時を回るまで語り合った。彼らと。つづく。(文・いわた)

(写真は、夜のミーティングを終えて、飲みながら語り合う)
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恵共同体・アズワン物語〈9〉「フィクションの向こうにあるもの」


「フィクションの向こうにあるもの」


「フィクション」について触れたので、その観点でもう少し話してみたい。

坂井氏の「フィクションからの解放、次の社会へ」の話はかなりインパクトがあったようだ。3日間を通じて、彼らの中に深く入っていった。

フィクションが悪いわけではない。私達はフィクションを共有することで社会を営んでいる。ただ、自分たちが作り出したものに縛られてしまい、本来あるものに気づかなくなっていないかを問いたい。

坂井氏の次に話しをしたのが生活スタッフの中井佳子さんだった。ここでの暮らし方を案内した。佳子さんはみんなのお母さん役といったところ。
「今まで、ツアーに参加する人たちを“お客さん”として迎えてきたが、今回は、“お客さん”とスタッフという関係でなく、共に暮らしをつくっていけたら…」そんな主旨のことを伝えた。

「お客」と「スタッフ」という関係も一つのフィクションだろう。
そのフィクションの中で互いの関係を成り立たす。お客はサービスを受ける側で、店は提供する側になる。ここに「お金」というフィクションが絡んでくる。

例えば、「お金を払ったからしてもらえた」とか、「お金のために仕事をする」と言う時がある。その場合「お金」は意識に上るが、そこにいる相手の人が、どう見えているだろう? 「フィクション」が潜在的に刷り込まれているために実際の人の行為や相手の人に目が向いていかない。

お金や仕事とは関係なく、人と人の間には、してもらったり、して上げたりという行為はごく普通にある。その自然なやりとりの方が、本来は当たり前ではないかと思う。また、自分が人にして上げた行為よりも、人からしてもらっている行為の方がはるかに膨大であるのだが、そのことを知らない。

今の社会では、「お金」というフィクションが大きくなり、そこに支配されているという錯覚すらある。実際の人と人の関係や行為が見え難い状況だ。

フィクションがフィクションだと気づくことは、その実際に関心が向いていくことでもある。

佳子さんが言った「お客さんという関係ではなく…」という言葉の真意は何だったのか? フィクションではない、実際の人と人という間柄で、共に暮らしたい、そんな願いからだと思う。その元には、母親が子どもの世話をするような「無償の愛」があったのかもしれない。この元々あるもの。本来誰の中にもあるものが発露し発揮される社会、そんな社会が出来ないだろうか……フィクションから解放されることで発揮されるのでは……つづく(文・いわた)

(写真は、講義の後のヨガで一呼吸)
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恵共同体、アズワン物語〈8〉「フィクションからの解放」


「フィクションからの解放―次の社会は?」

昨年話題になった本で、イスラエルの歴史学者ハラリ氏が書いた『サピエンス全史』がある。人類がなぜ今のように繁栄したのか。人間一人の生存能力は他の動物よりも低いだろうが、今やこの地球上で他を凌駕し繁栄している。その人類史を紐解き、人間の幸せとは何かを問いかける。

人類の最初のステップは、フィクションを作り出し、それによって協働出来たことだという。実在しないものを「物語」(フィクション)として仲間と共有することで、一人では出来ないことを力を集めて実現してきた。

そして、国家も貨幣も宗教も法律も、みな人間が作り出したフィクションで、物語であり虚構であると進言する。確かにそうだろう。そうして現代人は自ら作り出したフィクションに縛られ、不自由になっている。

アインシュタインの言葉の中にもよく似た表現がある。私たちは、意識にあるある種の錯覚という牢獄に縛られていて、自らを解放しなければ人類は生き延びれないだろう、とも言う。

こうした提言や警告は多くの学者や研究者、あるいは賢者が発しているが、はたして人類は、新たな道を進むことが出来るのだろうか。

その一つの試みとして鈴鹿で始まっている「アズワンネットワークプロジェクト」は、新しい社会モデルをコミュニティという形で創り、人間の可能性にチャレンジしている。既存のフィクションが行き詰っているから、新たなフィクションをどう作るか、という方向ではなく、まず、そのフィクションがフィクションである、ことに気づくことが出発点になる。

フィクションという虚構に縛られてしまうのは、フィクションを「現実」や「実在」のものとして認識しているためで、そのことに気づければ……。解放される…。固定観念に気づくと世界が広がるように…。実は、ここで立ち止まってしまうケースがよくある。解放されてどこに行きたいのか…。その先に何があるのかを知らない。
その次は、何が実際なのか、何が本質なのか、そこを知りたいのでは?。そこを知ることで……
本来の自由で調和した世界が実在し、その世界が現出してくるはず…?
たぶん、これが「as one(アズワン)一つ」と呼んでいる世界。

牢獄から解放されたら自由になれる、と思いがちだが、実存する世界へ心が向かわなければ、心は自由になれないのだろう。

……という話は、僕の解釈だが、上記は、スタディツアーの開口一番で行われる「アズワンネットワークの目的と概要」という講義の一部である。講師はサイエンズ研究所の坂井和貴氏。フィクションをフィクションと認識した先に何があるのか、その世界を垣間見せてくれる。誰でも一度は聞いて頂きたいお話しです。つづく。(文・いわた)
(写真は、坂井氏が恵のみなさんにパワーポイントでプレゼンしている様子)
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恵共同体、アズワン物語〈7〉「人と人が出会うとき」



「お互いを引き寄せ合うものとは」

初日の「歓迎式」では、恵の人たちがジョンレノンの『イマジン』をアカペラで、そして全員による合唱を披露してくれた。それを聴いた時、その歌で表現したい何かに触れた気がして、僕の方は何だか胸が熱くなった。

昨年10月にアズワンの小野さんが恵共同体の暮らすシェアハウスに行き、その時、合唱で歓迎してくれたという。そのたまたまの出会いが今回のツアーへと発展し、鈴鹿でも、彼らの歌を聞かせてもらえたのだ。彼らが、ここで何をしたいのか、そんな気持ちに思いを馳せたからかもしれない。

前日の子どもたちを迎えた時も感じたが、人と人が出会うとは、どういうことだろう? まだ見ず知らずのお互いでありながら、どこか懐かしい友と再開したような感覚になる。何と表現していいか、互いに引き合うものがあるというか。心が相手の方に引き寄せられていくというか…。

こうした心の働きが親しさを生んでいくのだろうか。

この日の歓迎式でも予定外のことがあった。司会をするはずだったメンバーが来れずに、僕が急遽司会に立ったのだ。そんな内輪話しも公表しながら、和やかな式になった。彼らが、やたらと盛り上がってくれるノリのよさに、僕の方が面食らってしまった。

なんだか、いろいろ失敗しても許されるお互いになれたような気がした。

「どんなハプニングがあっても、その場を共に創っていこう!」

こうして、ようやく、2泊3日の「恵アズワンスタディツアー」がスタートしたのでした。(*^^*) つづく(文・いわた)
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