コミュニティ歳時記 4月号

コミュニティ歳時記4月号
image.png
迎えられる人

“18歳から成人に”
朝のニュースを見ていたら、そんな特集をやっていた。
明治時代から140年間、20歳からとされていた成人年齢が、民法の改正で2022年4月1日から18歳に引き下げられるという。
街角でインタビューに答える高校生たちは、戸惑いや不安を口にしていたが、その特集で扱っていたのは、どうやったら18歳の新成人が犯罪に巻き込まれないかということだった。
親の同意なしで、クレジットカードが作れたり、各種契約ができるようになるので、騙されたり、詐欺にあったりするケースが増えてくる。それに備えて、既に高校の授業では、悪質な手口に対しての対策とか、クーリングオフのやり方とかが組み込まれているという内容だった。
成人になる、大人になるというのは、どういうことだろうか?
そうなるために、周囲社会は何を用意していくことだろうか?

同じ日に、FBで“10年前の思い出”とかいう過去に自分が投稿した記事がアップされていた。時々、FBは勝手にそういうのを載せてくれていて、ほとんど見ることはないのだが、たまたまその日は覗いてしまった。
悠海ちゃんが短大を卒業する日の写真と、コメントが載っていた。

今日は悠海ちゃんの短大卒業式
彼女は、この2年間、コミュニティの中で学び暮らして来た。『おふくろさん弁当』でバイトして、大学の帰りには鈴鹿カルチャーステーションに寄って勉強したり居眠りしたり、弘子さん照子さん佳子さんなどいろんなお宅でご飯をご馳走になり、今日の髪結いも街の美容室の純奈ちゃんが、着付けは茶道教室の弘子さんが買って出てくれた。
四月からは就職し、栄養士として子ども達に、ご飯を作る。数キロ離れた所に住むけど、これからもコミュニティで見守っていきたい。

悠海messageImage_1647652470608.jpg  悠海messageImage_1647652447300.jpg

あれから、10年。
もうすぐ悠海ちゃんは4児の母になる。
今は、コミュニティの乳幼児たちが育ち学ぶ場・チェリッシュの一役をやっている。
それだけでなく、各種ミーティングを設けたり、青年たちのお姉さん役をしたり、その場に悠海ちゃんが居るだけで、なにやら和んでしまう、和気藹々(わきあいあい)の語らいが広がっていく。

鈴鹿コミュニティで、【サイエンズアカデミー】が始まったのは今から4年前、2018年4月のこと。18歳から40歳までの青年たちに、その門戸を開いた。
ただし、その準備期間というか、前段階として、“サイエンズ留学”という場を3年弱用意していた。2015年7月4日から韓国と日本の青年2人でスタート、延べ50人ほどが集って、コミュニティを体験した。
悠海ちゃんが、青年としてコミュニティに来たのは、その“サイエンズ留学”が始まる5年ほど前ということになる。

ブラジルの青年Diegoが、やって来たのは2017年2月。
1年2か月、留学生として学び、その後3年間アカデミー生として学んだ。
彼は、明後日3月31日に5年ぶりにブラジルに帰る。彼を送り出してくれたブラジルのコミュニティのもとへ。
「Scienz Academy」 次の社会を創る人が育つ
片言の日本語しか話せず、周りからバカに見られないようにと背伸びしたり、お弁当屋さんは流れ作業で、あれはチャップリンのモダンタイムスと一緒だ、人間のやる仕事じゃないと批判するところから始まった彼の5年間、昨晩送別の会食をしたが、とにかく近くなったな~、回りから愛されてるなあ、抵抗するものがない気楽な相棒にお互い成ってきたなあ、そんな印象を持った。
どんな一歩をブラジルで踏み出していけるだろうか。
academy0E24EC8D-28DF-46B5-8D41-ECEF9F0EF987-L0-001.jpg academyA71_4271.jpeg
昨年の秋から冬にかけて、アカデミーには、航平君、静香ちゃん、理恵ちゃん、梓ちゃんの4人が新たに加わり、渡航制限の解除で待望のジョンインも韓国から合流、そしてこの3月で直絵ちゃん、彩ちゃんの二人が出発する。

自分のやらなきゃ、やりたいを聴いて応えてくれる人
固くて重いものでも砕こうとしない、壊そうとしない
そのまま丸ごと受けてくれる柔らかさ
その人の中につるっと入って
いつの間にか自分が、人が、というのも溶けていく
その人を通して広く人の中に深く溶け込んでいくような感覚
大きなものにおさまっていく安心


出発の発表会で二人からは、ずっと大きな懐に抱かれて、安心のなかで暮らしてきた実感が伝わってきた。コミュニティペアレンツを始め、本当に彼女たちを、丸ごと聴いてくれる人、受け容れてくれる人が彼方此方(あちらこちら)に実在していたんだなと思う。
こうしなくちゃいけない、こうあらねばならない、そういった捉われやキメツケから、どんどん解放されていく。これだけは言えない、そんなことは知られたくないと自分の中で頑なに握りしめていたことも、いつの間にか緩んでオープンに、何でも軽く出せる人に成って自らを開放していく。そうしたら、むくむくっと本心が顔を覗かせてくる。
naoeayakotimeline_20220319_220408.jpg
naoeayakoF75F7A20-36A9-4497-9DE8-97D12EB4956D-L0-001.jpg

3月24日~28日には、ユネスコ認証教育プログラムGaia Youth が鈴鹿で開かれて、アカデミー生もそのスタッフに入った。20歳から27歳までの参加者に、スタッフに入ったアカデミー生・たっきーの心境。

どんな人とも、溶け合える。
誰とでも通じ合える。

そんな人になりたい。

そして、明るく照らせる人に。
その人といたら、本心が丸見えに。
気にしてたことが、バカみたいになったり。

そんな人になりたい。

みんなの話を聞きながら、そんな思いが出てきた。

一緒に過ごしてきた4日間。
素直さに、純粋さに何度も何度も心が温かくなる。
みんな、ポカポカ浸かってる。

ツアーでアカデミー生との交流。
みんなに紹介したかった、僕の兄弟たちだな。

明日で最終日。
ここから、みんなの新しい出発。
1人1人に、何かが湧いてくる。

こういうのって、種まきだなって思った。
その人の中に眠っているものが、にょきにょき出てくる。
いつ、芽が出るかはわからないけど。
種まきというよりは、水やりか?

暖かい、暖かいって言ってる参加者がいた。
何を感じてるんだろう。

鈴鹿での試み。
そうちゃんが言ってたみたいに、今までの人類史上、成し得なかったことを、今ここでやろうとしている。
ここの気風に触れて、今までにないものを感じて、それぞれの中が変化していく。
たった5日間だけど、ぐーっと進んでいくような。



これまで、コミュニティがアカデミーという場を用意してきた。
コミュニティのメンバーが、アカデミー生を包んできた。
それは、これからも変わらないだろうが、今、新しい流れが生まれつつある。
アカデミー生自身が、アカデミーという場を作り、
アカデミー生たちが、新しいアカデミー生を生み出し、包んでいく。

4月8日には、韓国から新たに4人の若者たち、ダジョン、スジョン、ミンジュ、スルギがアカデミーに入学してくる。
その後、日本からも世界からも続々と・・・

“溶け合える人” に、成っていく。
“迎えられる人”に、成り合っていく。
アカデミーの本領発揮。
5年目を迎えようとする今、その水口(みなくち)が切られた。
- | -

コミュニティ歳時記 3月号

【北帰行】

「ばぁば、ばぁば」と呼ぶ声が響く。

鈴鹿カルチャーステーションの玄関で、夕食前の5時頃のこと。
呼んでいるのは夏輝(なつき)。数か月前から一人で歩けるようになって、言葉もたくさん出てくるようになった。その名の通り、産まれたのは夏真っ盛りの2020年7月。韓国から留学生として来ていたジンちゃんと、博也君との間に誕生した日韓のハーフだ。韓国名はパク・ハフィ、ジンちゃんを見たら「オンマー」とスタスタ駆けていく。
91821.jpg
呼ばれているのは千恵さん。血の繋がりのある祖母ではないが、この1年半、ずっと夏輝に付きっきりの“ばぁば”だ。もう夏輝と云えば千恵さんなのだ。
この時間帯、コミュニティ・ダイニングでは小さな子ども達とシニアの人たちが夕食を共にすることが多い。すると、夏輝は通りかかったり、出会ったりするシニアの一人ひとりを指差しては、「ばぁば、ばぁば」「じぃじ、じぃじ」と呼ぶ。
呼ばれた方も満更ではない。「はーい、夏輝!」「おー、夏輝!」と一日一日、その成長を肌で感じながら、食卓も賑わい、自然と食も進む。
もしかしたら夏輝の発する言葉の中で、圧倒的に「じぃじ、ばぁあ」が多いのではなかろうか。
そして、いったい夏輝の瞳には、千恵さんやシニア達、その周辺が、どんな風に映っているのだろうか?
91834.jpg

「韓国からお母さんが荷物送ったと連絡来たケド、まだ届いてナイ?」
フンミが鈴鹿カルチャーステーションのインフォメーションに来て、訊いてきた。

「まだ来てないなあ、届いたら連絡するよ」
「ウン、早く来ないカナ、早く来ないカナ・・・」

と、まるで小さな子どものように呟きながら帰っていく。
フンミに限らず、ここインフォメーションに郵便や荷物を届けてもらうようにしている人が多い。朝から晩までここは開いているから、時間指定しなくていいし、その時だけ家に帰って待っていなくていいし、とても快適なシステムだ。
届けられる自分たちだけでなく、届ける側にとっても“やさしいシステム”で、再配達の手配やその手間も省ける。このエリア担当の宅急便のお兄ちゃんなんかは、だんだん事情が分かってきているので、
「家に届けたけど○○さん居なかったので、こっちに持って来ました~」
なんて、ちゃっかり荷物を置いていくこともある。

さて、フンミである。

2,3日後に大きな段ボールが送られてきたので、連絡を入れるとスッ飛んできた。
「ワ~、来た~。来た~」
満足げに段ボールを紐解きながら、
「みなさ~ん、中を見たいデスカ~?」
と、ちょうどインフォメーションの職場の打ち合わせをしていた美映さん、奈々ちゃん、僕の3人に向かって満面の笑顔で言う。どうも見せたくて仕方がないようだ。
「見たい、見たい~」
と、美映さん、奈々ちゃんが応える。
「それじゃあ、見せてあげまショ~」
と得意げなフンミ。
「これが乾燥させた荏胡麻(エゴマ)の葉っぱでショ~、こっちはやっぱり乾燥させた大根の葉っぱでショ~、これはタオルで~、おっとこれは下着~ハハッ・・・・」
と次々、一つ一つ袋を開けて中身を見せながら、丁寧に説明していく。
「そんな物まで送ってくるんだ。母の愛だね~、それも母の愛だね~・・・」
美映さんは、何度もそう言いながら嬉しそうに見入っている。
ひとしきり4人での鑑賞会を堪能して、荷物をまとめて帰路に就こうとするフンミ。
「フンミ、それ20㎏以上あるよ。僕が車まで運ぼうか」
「いえ、ジェンジェン大丈夫。ワタシが運びます。」
なんだか、その重みを喜ぶようにフンミは段ボールを抱えて出て行った。
106029.jpg
ダイニングの隣にはコミュニティスペースJoyがある。
その一角に、毎日SUZUKAファームからの野菜が届けられる。
白菜、キャベツ、大根、小松菜といった冬野菜が届くようになってから、そのスペースが整然として一段と映えるな~と感じるようになった。

クリアな空気が、ファームから流れ込んできているかのようでもある。そのせいかどうか、みんなの食べる野菜の量が増えてきているねという声も聞かれた。
そんなある日、たまたま野菜が届けられる瞬間に出くわした。
届けてくれているのは、ファームの月岡さん。

野菜を一つ一つ、コンテナに並べていく。なにか一つの作品でも創り上げていくかのような、静かだが凛とした佇まいに魅せられてしまう。
驚いたのは、白菜もキャベツも大根も、もうそのまんま齧れるんじゃないかというくらいに、土を落とし、外葉などを取り除いて綺麗に仕上げてきていること。届くまでに随分と手間がかかっているのが見て取れる。

言ってみれば、ここはコミュニティの自家用スペースだから、スーパーなどで販売するような見た目のクウォリティは求められていない。
なのに、月岡さんはなぜ、そこまでして届けてくれるのだろう?
106231.jpg
故郷の幼友達がSNSに、安曇野の犀川に越冬のために来ているコハクチョウの写真や記事を時々載せてくれている。そしてちょうど今時季、彼らの北帰行(ほっきこう)が始まっている。

向かうのはシベリア。

そこで繁殖し、また初冬に増えた家族と共に安曇野に帰ってくる。
誰もがどこかで目にしたことがあるであろう渡り鳥たちのⅤ字飛行。
何千キロという大いなる旅路を、安全に快適に仲間たちと成し遂げていくための究極のスタイルだという。ちょうど北京オリンピックのスケート・パシュートで、後方の選手の空気抵抗が少なくなるとか、先頭の選手は時々交代して負担を減らすとか解説があったが、鳥たちはずっと昔から、そうしているみたいだ。

規則や当番制も無いのに、否(いな)、そういうものが無いからこそ、見事なⅤ字を編成し、毎瞬毎瞬、気流や空気抵抗、前方の羽ばたきに応じた動きをし、適切な交代をしながら、みんなで遥か彼方の目的地へと飛んでいく。近年、科学者たちは最新のテクノロジーを駆使して、その謎を解明しようとしているが、彼らの想像をはるかに超えた鳥たちの機能や関係性が続々発見されているとのこと。
『鳥たちは互いに、仲間の鳥がどこにいて何をしているのか本当によく理解しています。
何よりそのことに深く感心しました。』
と、或る科学者は語っていた。

それにしても、安曇野・松本と云ったら、雪はそれほどでもないが、高地であるが故、冬の冷え込みは極めて厳しい。そこに越冬のために来るコハクチョウ、シベリアの冬の寒さは如何ほどであろうか。そして、暖かい春の訪れを喜ぶ人間をよそに、そこをサラリと飛び立ち、遠くシベリアへと繁殖のための帰路につく群れ。

messageImage_1646033118768.jpg
極寒だからと言って、力尽くで領土を広げたり、戦闘に打って出なくても、行きたいところに出かけて行って、温かくその地でも受け入れられ、また時季が来たら惜しまれ見送られるなか、悠々と帰って行ったり、鳥みたいに人間も自由自在にやれないものだろうか。

私たちが、回帰したい場所はどこだろう?
鳥たちは本能でそこを知り、自らに備わる能力と仲間との結束で、帰るべき場所に帰って行く。
私たちが、回帰したい“心の住処(すみか)”はどこだろう?
どうやって、そこに帰って行くのだろうか?

2009年11月、今ダイニングやJoy、インフォメーションのある鈴鹿カルチャーステーションの構想を学者研究者の方々と描いたときに、初めて鈴鹿を訪れた京都大学名誉教授の内藤正明さんやドイツのハーン博士から、
「この辺りはホントに何の変哲もない街ですね。目立った文化遺産もないし、風光明媚というわけでもないし、洗練された街並みでもないしね。新しい魅力あるコミュニティ造るなら、もっといい場所があるでしょうに。」
という意見をもらったことを思い出す。

確かにな~、ここには人を惹きつけられるような物理的な魅力は殆ど無いし、なかなか造ることも出来ないなあとずっと思ってきた。
でも、誰もが帰って行きたくなる“心の住処”を、ここで創っていこうとしている今なのかなとも思う。

鳥たちがその本能で、当たり前のように飛び・輝き・奏でる美しい世界。
本能プラス知能まで備わっている人間だったら、もっともっと華麗に飛んで、
もっともっと優美な世界が奏でられるはず。
きっとそれが当たり前。
それも普通の人たちの結集で。

「なっ、夏輝!ハフィ!」
106024.jpg
- | -

コミュニティ歳時記 2月号

セントラルグリーン

“もち菜”は正月の野菜売り場の主役になる。
雑煮にはもち菜というのが、この辺りの定番のようで、面白いのは、“小松菜”と貼られていたラベルが、この数日だけ“もち菜”に替わることだ。
もともとは尾張地方で江戸時代から始まった食べ方のようだが、三英傑に所縁(ゆかり)の地らしく、<名(菜)を持ち(餅)上げる>というのが起源だとか。
ともあれ正月三が日、SUZUKAFARMの仕上げ(出荷)場は、お弁当屋さんのお節からバトンタッチして次なる踊り場となる。ここからは佳世ちゃんの元旦のブログ
S__66437153.jpg
仕上げ場に着くと敏美ちゃんが錠前を開けていた。
中に入って、なにしようかー、亜子さんも来た。
葉っぱからやる?
マックスバリューのが出来次第、持っていくよ。
じゃあー、ニンジンもやろう。
山ちゃんが来る。
7時からカラオケに行くまで小松菜そうじなんだって。
亜子さんと一緒にニンジンの壁を作る。
ほうれん草を雪の中、としゆきと、たけみちが洗い始める。
井戸水は暖かいとか言いながら。
はるかも、照子さんも、みっちゃんも、あやちゃんも、深草さんも、たくやも、次々来る。
・・・
93554.jpg

正月2日は、餅つきも。
代わる代わる7臼ついて、その場で出来立てを味わう、なんとも贅沢。

そして、三が日明けた4日には5軒の引っ越しを一気にやった。
やってみては“引っ越し”より、寧ろ“家替え”の方がピタッと来るのだが・・・
先ず年末年始の直前に、
・俊幸君が新しいところに居を構え、
・その空いた家に、よっしー一家が移動した。
4日の朝から、
・絵里ちゃんが、よっしー達の居た部屋に越して、
・その空いたところに、剛道君が移り、
その昼からは、
・宏冶&フンミが、剛道君の居た家に、
・続いて僕が彼らの居た部屋に、
・そして拓也が僕の居た家に
と、まるで一筆書きのようにスムースに進んだのだけど、合わせて7軒もの家替えなので、何度聞いても分からない~という声が周りから続出したほど。
それぞれ歩いて5,6分のところに位置しているから移動距離は短いとはいえ、5軒もの移動がたった一日で、実際には数時間でやれてしまうというのはどういうことなんだろう?と改めて思ったりした。

「この家具使う? 置いとくわ~」
「冷蔵庫と洗濯機は、そのままにしとくね~」
「トースターと湯沸かしポットと扇風機、引っ越し先にあったから戻しとくわ」
そんなやり取りが行き来して、運ぶものがどんどん減っていったのもあるし、
物の移動は、俊幸君がファームの2tトラックを出してくれて、剛道君、Diego、伴君という若者たちが担ってくれたのも大きいかな。
僕も含めて引っ越す本人たちは、ただ「ああして~、こうして~」という気楽さで、拓也なんかはその日居なかったこともあって、予め纏めてあった荷物を本人不在のなか運んでもらっていた。
新居に移るとか、引っ越しするとかいうと、人生の中での一大事のように映ったりもするが、こうも軽々とやれてしまうと、どうも異った趣(おもむき)が出てくる。
<大きな家族の中での、超楽々家替え>
その時々の、各自の暮らしへの欲求とか家族構成の変化とかで、住む場所や家が替わっていくというのは至極当然のことで無理がないことだと思うが、例えば半生かけて建てた家だから最期まで住み続けなければならないとなったら、何とも窮屈な感じがする。

『人のための会社』という表現を、自分たちがやろうとしている関係性の姿として用いたりすることがある。
“会社のための人”では本末転倒と頭では分かっているつもりでも、案外気付かないうちに手段を目的に穿き違えてしまうことがある。
それと同じように、もし“家のための人”になってしまったら、どうなることか・・・
『家替え』というのは、今のその人や、その家族に相合う家に替わっていくという感じだろうか。
『人のための家』なんだろうと思う、もともと家というのは。

この辺りは家やマンション・アパートだけでなく、商店・商業施設が密集する典型的な市街地なのだが、5分も歩けば見渡すばかりの田園地帯が目前に広がるという稀有な土地でもある。
住む僕らにとっては、格好の散歩・ジョギングコースでもあり、四季折々に足を運んでは稲の成長に驚かされたり、水辺からそよいでくる涼風に癒されたりもする。
10年以上も前のことだが、当時市会議員をしていた杉本さんから、
「鈴鹿の街づくりをするときに、市街地の真ん中に“緑の中心核(セントラルグリーン)”を残そうというのが最初から計画にあったんだ。」
と聞いたことがある。『人のための街』そんな発想が元にあったのだろうか?

今の時季、中には“もち菜”などの野菜が育てられている所もあるが、多くは土とわずかな草が散見されるだけの眠っているかのような田圃。
暫く見入っていると、空の雲や山々を映す水面に整然と植えられた何百万本もの苗、無数の虫や鳥たちの棲み家となる緑草の海、香しい匂いさえ運んでくる揺れる穂波と、いくつもの情景が浮かんでは消える。また同時に、
「様々な表情を見せる、この田圃の“実質”は一体なんだろう?」
そんな不思議な感触が湧いてもくる。
今は何も無くて、眠っているように見えるけれども、やがて月日と共にいろいろな現れを見せる。どんどんと移ろい、変化していく。
無から有へ 有から無へ その果てしない繰り返し・・・
ただ、それも自分にはそう見えているというだけのことかも知れない。
93557.jpg
何も無いように見えても、実際は絶えず何かが流れているんじゃないだろうか
たとえどんな現れをしようとも変わることのない“田圃そのもの”が。
振り返って、それと同じなのかもしれない“人間”を、目の前のその人を、日頃どう見ているだろうと自問してみる。
もっと多様で、複雑だったり豊かだったり可憐だったりする一人ひとりの姿を。
そして、その現れの元にある、目には見えないその人の実質を。
現れを見ては右往左往してばかりだなあと反省もしつつ・・・

『人と人で』生きていくとか、暮らしていくとかいうとき、
表層・表面のやり取りだけだったら味気ないだろうなと思う。そんなことも沢山してきた。
でも本当に仲の良い家族だったら、『実質と実質』だけが行き交っているような気がする。
分かり合えている、委ね合っている、愛し愛されているお互いの間で、守ったり、飾ったり、大きく見せたり、萎縮したり等々、そんなのまったく意味がない、要らない。
そこにあるのは、実質と実質だけ。安心し切っているから心地よい。
それは理屈でなく感得してきているような、芯部から懐かしさが滲み出てくるような・・・・<名(菜)を持ち(餅)上げる>なんてこととは無縁の世界。

三英傑のせいだけでは無かろうが、僕らも小さい頃から随分と<名を持ち上げる>為の教育を受けてきて、今となっては余計なものを付けてきてしまったと染みついたモノの頑固さに辟易(へきえき)とすることもある。
ただ、最近、
「あ~、誰とも張り合わなくていいんだ。誰とも張り合いたくもないんだ。みんなの中の自分で居たいんだ。」
という自分の中心核に出逢えた感じもあって、どこかホッとしている。

セントラルグリーン

『人のための街、会社、家・・・』もイイけど、その前に、自分は
『人のための人』に成っていきたいんだな~。

そんなことを、やさしく気付かせてくれる社会に住んでいます。
- | -

コミュニティ歳時記 1月号

呟きの、その先に

夕暮れ時、鈴鹿の空にカラスの道ができる。
白子の海の方から亀山の方に向かって、決まって同じ辺りを、数えきれないカラスが次々と渡っていく。

空のどこにも線はないし、交通整理係の一羽もいないのに、まるでGPSでも搭載しているかのような、その正確さに感心してしまう。
数年に一度クラスとかいう寒波の影響で、白く覆われた鈴鹿の峰々を背景に、ひと際映える空中の<カラスロード>・・・
LINE_ALBUM_イラスト_211231_0.jpg
年の瀬といえば、決まってお節作りである。
今年は360セットもの注文が各地から届いた。
コミュニティの家業とも言える<おふくろさん弁当>、
28日からは老いも若きも駆けつけ、所狭しと活況を呈する。

蝉の鳴き声が消え入る頃から始まった担当メンバーの構想、企画、試作、試食の末に産み出された、今年の一品一品。そこに心を込めていく・・・

お節の話題で賑わい始めた師走に入った頃だろうか、コミュニティの食部門を見ている三由紀さんが呟いた一言。
「年末の忙しい時こそ、毎日のお弁当を届けられたらなあ」

例年12月26日か27日でお弁当の販売は終了し、弁当屋さんを挙げてコミュニティを挙げて全面的にお節作りに入る。厨房や盛り付け室なども<お節仕様>に一気に様変わりする。

ずっとお弁当を取り続けている常連さんがお店にやって来て、
「そうかあ、お弁当お休みだったんだ。」
と落胆するのを見て、年末大掃除やお正月の準備とこんな時こそお弁当欲しいんだろうなと思いつつも、
「31日にお節用意してますからね。お楽しみに」
と言う他なかった。
LINE_ALBUM_イラスト_211231_1.jpg
20日過ぎだったか、
「三由紀さんの言ってた年末の弁当、何とかできたらええなあ」
どこからともなく、中井さんだったか、泉田さんだったかが言い始めて、
「来年からそう出来るようにしようよ」、がいつの間にか、
「今からなんとか出来ないやろうか~」になって、
「だったら、あ~も出来る、こ~も出来る」と、あっちでもこっちでも知恵が寄ってきて、
あれよあれよという間に実現してしまった。
今日31日には、日替わり弁当だけでなく年越し蕎麦まで用意しちゃおうとなった。

『年末はお節作りのみ。お弁当までは無理』
そう決まっていたのは、<頭の中>だけだった。
LINE_ALBUM_イラスト_211231_3.jpg
“呟き”と言えば・・・
コミュニティスペースJOYのマミー・芳子さんが20日に、
「JOYの冷蔵庫、ずっと働き続けてくれてるけど、<この子>そろそろ限界みたいでね。<新しい子>が来てくれたらいいけどなあ」
とボソッと。

アイランドショーケースという360度どこからでも、食材を出し入れできる<この子>は、もう何年もコミュニティの真ん中に居て、故障する度に電気担当の市川さんに直してもらい、最近では霜取り機能が効かなくなったと、毎日芳子さんがショーケースを空にしてはドライヤーで内部の霜を溶かしたりしていた。
「毎日霜取りしてても、だんだん冷えにくくなって来ててね。<新しい子>来て欲しいけど、ウン十万円もするって聞いたら、<この子>にもう少し頑張ってもらおうかね。」
と、続ける芳子さん。

「でも、ショーケースのお陰で家の冷蔵庫って殆ど使わなくなってる。」
「卵だって、翌日食べる分だけ、そこから持って行けばいいし」
「一人で、ウン十万円の冷蔵庫買うと思ったら躊躇うけど、“100人の冷蔵庫”だからなあ」
「そうそう100人で割ったら、一人数千円で済むじゃん」
「・・・・」
「・・・」
とか何とかいう展開になって、27日には<新しい子>が東北は仙台の方からやって来た。

からす なぜ鳴くの
からすは山に
可愛い七つの
子があるからよ
可愛い 可愛いと
からすは鳴くの
可愛い 可愛いと
鳴くんだよ
山の古巣(ふるす)に
行って見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ


野口雨情が作ったとされる「七つの子」の詞。
どんな風にカラスを見ていたのかなと思う。
そして本当に“山の古巣”まで訪ねて行ったんじゃないだろうか・・・
パッパッと流れてくる画像・映像・情報を追いかけて処理しているのとは随分違う、得も言われぬ<ゆったり観>。

『それってどうなんだろう?』と、
手を止めて、耳を傾けたくなっているような、その見ている時の心持ちというか、
そのものに、その人に入っていくような親しさ近しさというか・・・

私たちの会心のお節は昨日から箱詰めされ、
宅配業者の力も借り<お節ロード>に載って、全国に発送された。
そして今朝は、お弁当屋さんの店頭で引き取りに来る人たちのために並べられている。
LINE_ALBUM_イラスト_211231_5.jpg
日替わり弁当と年越しぶっかけ蕎麦と共に。
「早く来ないとお節の箱の風呂敷包み終わっちゃうよ~」
という泉田さんからの呼びかけLINEを見て、奈々ちゃんが今、弁当屋に向かって走っていった。

2021年が暮れていく。
- | -

【新連載】コミュニティ歳時記 12月号

【家族の風景・・・そして家族以上の】

まだ現役で働いている父が90歳になった。
創業145年の零細企業を経営している三代目だが、さすがに来春いったん会社を閉じるというので家族会議の招集がかかった。

平日だが、思いのほか車内は混んでいた。
晩秋の行楽に出かけるグループだろうか、賑やかな会話が飛び交う。
「・・大きな声での会話は、他のお客様の迷惑となりますので、ご遠慮ください・・」
というタイムリー?な車内放送に思わず失笑する。
後部座席の老夫婦は、想い出を辿る旅の最中らしい。奥さんの声ばかり聞こえてきて、時折交わされる二人のやり取りもどこか噛み合わない。
「お父さん、ほら見て!御岳山よ。」
「おぉ~」
ほんの数秒だけ見える、その一瞬を二人は愉しみに待っていたようだ。
「わぁ~何十年ぶりかしら。懐かしい~。この景色が見られただけで、もう満足!」
「そうそう・・・」
相変わらず旦那さんは口数少ないが、この時ばかりは、二人の呼吸が合っているように聞こえた。
71248.jpg
2年ぶりに仰ぎ見る常念岳。
なにか物足りなさを感じながら家路を歩く。
そうか、この時季なら頂に雪を冠している筈と、脳裏には子どもの頃の景色が浮かんでいたのだった。地球温暖化とやらの影響もあるのだろうかと思いは巡る。
家の勝手口を開けると、一足先に着いた兄が真っ先に迎えてくれた。
東北で医師をしている2歳年上の兄は、パンデミック以降ずっと働き詰めだったが、社会もやや小康状態となった今がチャンスと、思い切って1週間の休暇を取ってきたと言う。

仏壇に線香をあげ、お土産を供えていると、
「さあ、先ずはお昼ご飯にするだ。」
と台所から母の呼ぶ声がした。
途中、父も出先から帰ってきて、家族4人で食卓を囲む。
「なんだ、あのコーヒーカップ。色褪せてるじゃん。僕らが中学生の時から使ってた年代モノだよ。もう捨てた方がいい。」
と、古い食器棚の中を指さしながら、兄が言う。
「どれ?あれか~。あれは良いモノだから、捨てるわけにはいかねえ。まだ取っておくじゃん。」
と父が応える。
「そういうこと言ってるから、要らないもので家の中がいっぱいになって、何も片付かない・・・・・」
兄の力説にも怯まず、やり取りしている両親の様子をうわの空で聞きながら、
“こうして家族4人で過ごすのは何十年ぶりのことだろう。兄が大学で仙台に行き、僕も東京に行き、その後それぞれの子ども達交えて盆や正月に会することはあったが、両親と4人だけというのは子どもの時以来かもしれない”
と顧みたりしていた。

4代目になる気など毛頭ない兄と僕はずっと故郷を離れて暮らしていて、その間近くに住む母の甥や姪が随分と気をかけてくれて頻繁に足を運んでくれていたこと、司法書士さんや税理士さん、議員さん、出張販売の人、多くの友人隣人が両親のことをサポートし続けてくれていたことを知った。
数日かけて、家の片付けや会社の整理をしていると、子どもの頃は知らなかった、というか知り得なかった父や母のいろんな顔を改めて観ることにもなった。当時は、悲しいとか苦々しいとか腹が煮えくり返るとか、身や心を摺り減らしたことも、今となっては全部面白可笑しい、笑い種になって、4人で笑い転げた。
ただ、片付けや整理はまだまだ続きそうだ。
70734.jpg
鈴鹿に戻ってきて、サイハテヴィレッジからコミュニティのツアーに来た坂井勇貴君と工藤シンク君に会った。
2人とも初対面。
坂井君は姓も同じで、名前もよく似ているので、他人のような気がせず話しかけてみる。
そうしたら、勇貴君のお母さんと、僕の父方の郷里がものすごく近いことが判明。
何代か遡ったら、きっと親類に違いない。
その坂井君と工藤君と鈴鹿コミュニティの小野さんとの対談が先月公開されたとき、
「コミュニティの人と人の間柄は家族のようなもの、いや家族以上かな」
というような一節が妙に心に残った。

家族ってなんだろう?
社会の最小単位とも言えるのかな家族は、その家族がどんなかによって社会も変わるのかな?
例え家人の一人が世間で受け入れられない事をしでかしても、そうするからには止むに止まれぬ事情があったのだろうと責め合うことなく庇い合う紐帯ともなるし、いや家族とはこうすべきものとお互い同士を縛り合う鎖にもなるし、現状の家族には様々あり過ぎて、元々どういうものなのかが判然としにくいかも知れない。
そして、家族以上ってなったら益々どういうことなんだろう?

鈴鹿コミュニティのツアーを終えたシンク君が、
「みんな本当に仲が良いんですね。本気で真剣にやっているけど、“てきと~”なんですね。」
と言っていたとか。
たまたま昨日、政府の発表があって、11月8日から緩和された外国人の入国が再び全面禁止となった。このパンデミックで1年サイエンズアカデミーに戻るために、入国を待ち続けていた韓国のジョンイン、8日から超特急で査証申請手続きを進めて12月11日に来日予定だったが、それもタッチの差でボツになってしまった。残念だが次のチャンスを待つ他ない。
今朝のニュースで、海外からの技能実習生を受け入れている建設会社の社長さんが、
「この政府の決定は痛手です。貴重な外国人の働き手を、国内で何とか賄うことは不可能です。仕事をお受けできないケースも出てきます。」
と言っていた。
“僕らは、なんでこれ程までにジョンインの来鈴を心待ちにしているんだろう?”
鈴鹿カルチャーステーションの廊下で、
「おねぇちゃーん」
と駆け足でアカデミーのお姉さんの胸に飛び込んで行った幼子と、その子をとても愛おしそうに見つめているアカデミー生を観ながら、そんなことを考えていた。
(文 坂井和貴)
- | -
<< 1 2