「ニーズは、その人の中で大事にしていること、必要としていることです。
ニーズから言動や表現が起きてくる。このニーズが人間の行動を決めていきます。どんなに不条理にみえる行動でも、犯罪行為でも、その奥にはその人のニーズがあって、必要性があって、そのニーズを満たす行動をとるのです」
人の図の中に「ニーズ」と書き込んだ部分がそれです。ニーズとその人の言動との関係がわかります。次に、
「誰かと楽しみたいというニーズがあったとき、それを禁止された場合、怒りや悲しみの感情が生まれます。体に現れてくる。イライラしたり。この感情もニーズから生まれます。そのニーズが満たされると嬉しいとなるし、満たされないと悲しんだり、怒りが湧いてきたりします」
と、これがニーズと感情との関係。更に、
「人間には考えとか判断とか記憶が頭の方にあります。私たちはこの頭の方ばかりに注目している。人の行動を批判し、あいつは悪いやつだ、敵だと思ってしまうのも、この考えの方で、対立が起きてしまう。コミュニケーションを阻害します」
世の中の対立や紛争は、すべてこの「人間の考え」の方で起きていると言います。原発賛成・反対の対立も。イスラエルとパレスチナの戦争も。
「そうではなく、あの人がああいう行動をするのは、どんなニーズがあってしてるんだろう? とその人のニーズを見るんです。その行動は何のニーズから来ているんだろう? あの人がイライラしたり、悲しんだりしているのは何のニーズがあるからだろう?を見れるかどうかです」
これは人を見る時もそうですが、まず最初に自分のニーズとつながることが大事だといいます。
「自分自身についてもそうです。何かわからないけど今日やる気ないなあ。モヤモヤしてるなあ。何が必要なんだろう。と自分のニーズとつながる。考えではなく。自分の体の方をみる」
自分が自分のニーズとつながり、相手のニーズを理解しようとするところに、お互いの理解が生まれ、共感的コミュニケーションが起こる、という原理です。ここには決して対立は起きないと言います。
マーシャル・ローゼンバーグ博士が体系化したNonviolent Communication(NVC、非暴力コミュニケーション)がもとになっているそうです。
一瞬でつながることができるNVC
このNVCを学ぶ人たちが近年急増しているとか。
「世の中がますます暴力的な社会構造になってきているためで、例えば新卒で教師になっても3年ほどで辞めてしまったり、保護者との対応に疲れ、人間関係に疲弊していたり、新入社員がうつ病になったりする。そういう社会構造を急に変えることは難しいですが、その中で自分のふるまいを変えたり、考え方を変えるだけでラクになることがあるんですね」
水城さんもピアニストであり小説家で、金銭的評価に晒されていると言います。その評価が攻撃的であると、自分の活動に多大な影響を受けてしまい、そんなとき、評価する人のニーズは何か、私のニーズは何かを見分けていくことで、自分のニーズを確認し、自分が生き生きと表現活動を続けていけるのだと。
「例えば誰かから攻撃される。お前なんかダメなやつだ、と。すると自分の中で何か起こる。何でそんなことを言われなきゃいけないんだ。自分の体を見たときに自分が委縮したり相手を攻撃したくなったり、体に感情が現れます。その体をまず見る。この体の変化、感情が、その中のニーズを教えてくれている、と見る。
人から大事にされることが必要かな、安全かな、と見ていく。自分が納得出来た時に体が変わります。自分とつながると体が変化する。じゃあ、安全を得るためにどうしたらいいだろうと具体的な行動が出来てきます」
相手が怒っていても
「暴力的な相手にもニーズがある。それを聞くのは大変ですが、出来るんです。お互いに理解し合って、尊重し得たときに何でも言い合えるし、生き生きと振る舞えるようになります。NVCの方法は非常に効率的で、一瞬でつながることができます。だから現代社会の中で結構使えます」
自分の中に隠れている、隠していた感情を認識し、その奥にある自分にとって本当に大事なことに気づいていくための手法なのです。
NVCの目的は、人と共感的につながることで、互いを尊重し合い、上下や責め合いのない一人一人が大事にされる社会を目指しています。アズワンネットワークが目指す社会像とも共通しているところです。
講座では、質疑応答を交えながら具体例をもとに、その時の質問者のニーズは何か、相手のニーズは何か、と探りながら進んでいきました。そんな交流も水城さんのニーズと質問者のニーズの共感的コミュニケーションを見る一例にもなっていたようです。
ともすると、現代人は、自分のニーズを「観念」でとらえてしまう。頭の方の考えで見てしまうということでしょうか。「つながったつもり」「共感した感じ」に陥ってしまう点を指摘していました。そこで、深い身体感覚やいきいきした生身の状態をともなったワークが必要だと。
縮んでしまった手足の図のように、身体感覚がかなり眠った状態で生活しているのが今の私たちのようです。
後半では、言葉による思考から離れ、「いまここ」に存在する自分のありようにアプローチしていくというワークを体験しました。
音楽を聴きながらイメージを見ていく
ピアノ瞑想の場面。
「私も何を弾くかわからない、即興で演奏します」と言って弾き始めました。
「視覚に障害のある人は、ドアが開いて人が入ってきただけで、その人の服装や身長や性別を言い当てます。彼らに特殊な能力があるわけではなく、私たちにもある能力を眠らせているだけで、そういう可能性を持っているんです。その可能性をもって、自分のニーズは何だろう、感情は何だろう、とリアルにとらえたい」
講座での話を、ほんの一つまみした程度の記事です。「共感的コミュニケーション」については、水城さんの著作などをお読み頂ければと思います。
電子書籍にもなっています。
水城ゆうさんのアズワン鈴鹿コミュニティ探訪記 全11篇
(写真と文・いわた)
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