自分を知らない

へんなことが書いてある、あの人へんなこと言ってる、あの人変な人だ。だってねーーーーー。いっぱいいっぱい調べて、益々強固なものに成って行く。「そっちがそうだ」と成っていく。でも、それも自分の頭のなかの出来事だ、ということを知らなかった。自分を知らない、とはこういうことだったのか。
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1月28日第一回神戸日常化レッスン

ねがっていた 日常化レッスンをしました。
4人それぞれの具体例から大爆笑連続・・自分の実態を裸で出し合い 全てのことが頭の中のこととはならず 事実になっていく 直結する 自分がどんどん みつかる。
4人が 仲良しになっていくのが (私の中が仲良しになってく)寄って検討する楽しさが ず~っと残っています。

自分の取り組みやすい ところから 始めてみては、というトレーナーの ひとことを聴いて 私は 味 味覚でしらべて いこうとおもいました。

シメサバに始まり・・・ 自分をよく知る 観察するのに なかなか いいかな とかんがえています。
自分の実態を知るにつけ 道のりは遠いかもしれないけど なんだか
明るく 観察 していきたい 気持ちがわいてきました。
それと この神戸の日常化レッスンの輪が 4人から5人そして6人と
広がっていけたらいいなと想っている。
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思う

先週 今週 と週末に人が寄ってくれる。
語り合う事は 内観での事 日常化レッスンでの事 日頃の事などなど
話す事の大きさを思う
話してない時との大きな ちがい を思う
2.3ヶ月前と今とのちがい
昨日と今日のちがい
自分の頭のなかで いろいろ巡る 知らず知らず「こうだ、」としてしまうこともある
それも 話して見ると また他の人の話を聞いていると 未知のものになっていく。
テーブルを囲んで過ごした至福の時だった
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移り行く・・・その先

昨年暮れにかけて、エコサウンド事務所機能がアズワンカンパニーへ移ってきた。
年明けて、元パソコン部あとにアズワンコミュニティ活動の拠り所、情報交換等の場として「ネットワークオフィス」が新設の運びとなり準備が進められている。
そして、コミュニティの一員たらんとして足しげく各種ライフセンターの日程を自分の日程として参加する姿が日常的に目の当たりしてきたアズワン界隈。
人や車の出入りにエネルギッシュな運動展開を予感すればするほど職場で暫しのひと時仕事の手や頭をやすめ、少し持ち場を離れ、ゆっくりとじっくりと集中できる部屋が欲しい、用意できたらと思っていた矢先、明日から研修生活参加メンバーも交えて懸案のアズワン2階の片付けにとりかかる段取りになりました。
片付いたら、いの一番に検討室を、そして一体の純度を高めながら真の人間向きのアズワンコミュニティの普及、浸透がこのひと続きの世界に実現しないはずがない、そこだけを目的にしたこんな面白い会社やめられん・・・どこまでいくんやろ・・・この頃つくづくこんな事思う。
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研修コース参加に当たって

しばらくの間ブログから離れていた。12月レッスン、検討会、研修生コースに参加する中で次々と知らない自分に出会った。
日常を自覚することで高慢で高いところにいる自分にきずき恥ずかしくなった。
このあたりからやっと自分を知りたい欲求がわいてきた。周囲や他の人に関心がいくことが薄れ自分に関心を持つことに絞れてきた。しかし間が空くと薄れる。まだまだ自分の程度はこんなもの。
研修生コースに参加して日常をスタディライフ生活にしたい。
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明日から研修生コースに参加します

今回の自分を知るためのコースに参加して、自分がどう見たり聞いたりして、それにどう反応しているのかを、じっくり過去の実例で調べた気がした。
自分が、自分の思っていることをすら知らないでいる。
日常の中で、今その時に自分がどう聞いたり見たりして反応しているかを捉える練習を、していきたいと思っています。
今回、家族のことを見てもらい研修機会に参加でき、また今回も参加できます。本当にありがとう。
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土曜内観

今日1日無時間の世界ですわっているような感覚を味わった。過去の記憶をたどってみて、聞いたり見たりした情報が私の頭の中で事実化して過去の記憶として形作られているなと思った。おそらく過去のその時も、私の頭の中に勝手につくったその人と相対していたのかもしれない。そればかりではないかもしれないけど。
それから自分の感覚が正しいとする無知に出会い、ほんとに恥ずかしくなった。自分の感覚だということ他の人にはその人の感覚があるということを知らないのは、滑稽でもあり悲劇でもあるなと思った。
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土曜内観 やってみて

前回母に対しての自分をもう一回調べたいと思っていたが時間切れだった。土曜内観を開催すると言うのを聞いて参加した。小学校低学年から始めて学生時代までだった。
母に対しての自分を調べるのは5回目くらいになる。どんなかなと思いながらはじめた。思い出す事例はほとんど変わらず、そんなに多くもない。見え方が変わってくる。6年生のころ瞬時に感じた自分の思い、その思いがずっと自分の中で続いていた、そう思っていた。そのように自分の記憶がなっていた。その部分が強化されて記憶されていく、そんな感じに思った。その後の事例がその思いに結びついて記憶されていっているような感じだ。その時、その時はどうだったんだろう。その都度その都度違ったんではないだろうか。
今までひとまとめにしてきていたような自分の今まで、母に対しての自分、が分けられていく。私が思ったこと、母が思ったこと、そして実際。「過去」が変わっていく感じ?面白くなってくる。「内観」に対するイメージが私の中で変わっていく。
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日常化レッスン に参加して

日常化レッスン検討会と職場の人たちとの出し合いや、
ブログに公開していくこと、
そういう仕組みの中で、
だんだんと観察の焦点がハッキリしてきて、
日常の暮らしが、
漫然と暮らすのと、
観察してみようと意識して暮らすのと、
自分の中でその違いがくっきりしてきたように思う。

今から観察してみようと意識すると、
自分の頭に浮かんだ、、ということが、
とらえられるようになったと思う。
まだまだリアルタイムとはいかないけど。
意識しない時間は、
す~っと通り過ぎていく。

検討会や出し合いで事例を出し合ってみて、
自分がとらえた、、ことが、
とらえた、、となっていないで、
そちらがそう、、となっている。
そもそも、そこの間違いからの反応として、
不快な感情が出たり、
妄想の世界に発展していくと思った。

あとからでも、
自分が思った、、と気づくと、
それ以上の妄想にはいかないように思った。

自分がとらえた、自分が思った、
と自覚できる、
そこに焦点を当てて、
意識生活の時間をとっていこうと思う。
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職場で

ライフセンターの事務局と生活スタッフのうちの、
日常、意識生活を送っていこうという有志で、
大体毎日30~40分寄って、
観察しての事例を出し合っている。

年末から始めて、今までやってみては、
毎日のこういう場の必要性を身にしみている。
振り返るといっても、
自分一人で、漠然とどうだったかな、では、
焦点が合うのはむずかしいと思う。

ほかの人の事例を聞きながら、
大いに刺激になり、
自分の反応がキャッチできるようになり、
だんだんと問いかけが自分のものになり、
焦点が合ってくるように思う。
ここまでが第一段階のように思う。

自覚ある人に成っていくのに、
まずはこういう場に自分を仕向けていく、
それでないと一人ではとてもやれないと思う。
芽吹いた回路に毎日水やりをする感じかな。
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