自分を知るための日常化レッスン

 初めてのエクササイズ。後で調べてみて同じ色が、全く違った色に見える。同じ色調が、白と黒くらいに違ってみえる。5人が見ても違うと見える。種明かしされても、違うと見える。どう見ても、違うと見える。こうなると、見るとはそもそもそういうもの、としか言い様がない。普段これほどはっきりと、見ているつもりに成っているものが、これほど、どちらにでも転ぶものだとは。「どう見ても違う色だ」。で、そこから、実際はどうなんだろう、と成るには?。違う色に見えることに、いいも悪いもない。正しい見え方も間違った見え方もない。どうも、このあたりも混線しているようだ。「どう見ても違った色に、自分にはみえている」からか。                            昨日のカーブの時の例で、その瞬間、「あぶない」と思った自分がいた。後で見直した時、「危ない状況だった」と思っていて、「そちら」が危ない状況に成っている。「どう見ても危ない状況だ、と、自分には見える」の自覚からか。なにかギコチナイが、先ずは理屈からというか、見えるということの成り立ちから押さえることかなと思う。
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トマトはどこに・・・?

朝、トマトの収穫に行った。
「自分を観察する」そのことが目的と、鈴鹿ハイツを出る時、言葉に出して確認する。
トマトを収穫する時、これはどうかな?(収穫するか、置いとくか)と思うトマトを左手で角度を変えながら回して、眺める。今、目で捉えているトマトと頭の中にある、哲彦君から聞いたトマトの色を比較しながら、「どうかな?」「どうかな?」

午後は Y ちゃんに教わりながら、トマトの選果。朝、ハウスで木に成っているトマトの時は、自分の目で捉えたトマトを、基準としている色と自分の頭の中で比較、検討していることが自覚できた。
選果の時のトマトは、頭の中に記憶されている物と比較検討し、選別している自覚がないことに、夜の報告検討会の中で気付く!

あれれ?これはどうなっているのか・・・?
私の目の前に並べられた、たくさんのトマトは、どうしても私の外にあるように思える。私の目を使って脳が感知している理屈は理解できる。目をつぶれば見えなくなるし、目が捉えているからこそ、手に取って回して、裏側も映し出そうとやっている。
が、選別、箱詰めしているのは、自分の外にあるトマトに思えてならない。

・・・?どうなっているのか!
まずは、ここからのようだ。自分の頭の中のことなのか、実際のことなのか・・・。
トマトはどこにある?振り出しに戻って、もう一度、練習を始めよう。(^^;)
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それどころではない???

昨日、初めてトマトの選果、箱詰めをした。トマトの形、大きさ、キズなどで、等級、サイズに分類、箱に並べるという作業だ。まずは「おヘソ」(何と言う名前だったか忘れた。)が中心にあるか、上から見て丸いか、いびつなら、それが1ヶ所だとこう、とか、幾つかの基準がある。「おヘソ」もゴマ粒より小さいのが「秀」、米粒なら「優」という具合。

トマトを1個1個、手に取って、眺め、目からの情報を処理する。全神経を集中させて、決められないことを決めていく感じだ。
サイズを揃えて、箱に並べて行くのだが、箱は1種類で、トマトはマチマチ。
作業自体はジグソーパズルのような面白さがあるが、MにSを入れてクレームがきた、という話を聞いて、間違えないように、失敗のないようにと思っていたようだ。

L、M、Sとかの分類も自分の見え方だし、クレームの話もあとでもう一度、聞き直したら、違って聞こえた。
今、思うと難しいとしてやっていたようにも思う。
夜の検討会の時、どうだったか振り返ってみようとしても、ぼう?っとしていた。
「自分を観察する」なんて、それどころではなかった、と話す。
それは、どいうことかと聞かれても、「???」という状態。

朝、布団の中で、その言葉を思い返し、昨日のことをもう一度、振り返ってみた。トマトの観察にいっぱいいっぱいで、自分の実際はどうかなんて、今は観察しているどころではない、と、私が自分でそれを止めたとしていた。
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スタディライフ

今この瞬間に何かそのものから発したものを、
私の感覚器官がとらえ、
過去の記憶で翻訳・編集して、
イメージや概念を脳の中につくりあげる。
瞬時に、超高速で。
そのつくりあげたものに、反応が起きる。

見て→数字→2→カレンダー→ふつか・にがつ→2日・2月、
見て→数字→2→時計→にじ→2時。

色、形、臭い、音、時間、距離、長さ、重さ、映像、
全て自分の頭の中でつくられる。

こういうことが頭の中で起きているのかと思う。

今まで私が見ているように、
そのものが在るとなっていた。
在るものを見ているとなっていた。

日々の職場レッスンや検討会に参加し、
だんだんと観察の焦点が絞られていき、
今まで絶対に動かせないと思っていた認識のベースに、
ぷつんと、風穴があいた感じがある。

検討会での2回のエクササイズの実体験は、
きっかけとして大きかったと思う。
頭の隅でこうかなあ、と思っていたことが、
心の底から理解・納得できたように思う。
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日常化レッスンに参加して

ある物を手のひらにのせてもらった。
「よく見たり匂いをかいでみてください」

なんだろう、見たことのないもの、
くんくん臭いをかぎ、
色や形や質感、そのものを感じとろうと、
感覚器官が動き出す感じが立ち上がる、
かなりの集中度、総力をあげて、、という感じ。

「食べものです。食べて味わってください」
口に入れる、
なんだろう、この食感、
あめでもない、チョコレートでもない、、と浮かぶ、
わあ~かなり甘い、全部食べれるかな、
お茶が飲みたい、、と浮かぶ、
口に入れてから飲み込むまでの数秒間、
いろいろな思いが立ち上がりながらも、
一瞬一瞬、変化していくそのものを感じとろうと、
全神経がそのものと触れているところに、
集中した感じがした。

「それでは、今味わった感じを相手に伝えてください」
色はこんな色、形はこんな形(指で形をつくる)、
食感はさくさく、
あめでもない、チョコレートでもない、
ヌガーのような、、ヌガーが近いかな、
さっき味わった感覚の記憶を相手に伝えようと、
変換する言葉を探している感じ。

どんなに一生懸命適切な言葉で伝えようとしても、
私の中のあの感覚は伝えようがないし、
あの感覚ととらえているものは、
その瞬間ではなくて過去の記憶で、
リアルタイムの感覚はとてもとても伝えようのないもの、
伝えるとか、伝わるとか思ってきたけど、
言葉の限界、、というか、
そういうことをホントニホントニ知らなかった。
びっくり~~。

やってみて未知のものに触れる瞬間の体験、
自分の感覚器官が動き出すのをとらえる、、という、
多分、こんなにくっきりととらえられたのは、
生れて初めての体験だったと思う。
日常は自覚ないけど、
実際触れるのは、今始めてのもの、こと、その連続、
それを感じとろうと、
こういうことが瞬間瞬間、自分に起きているのだと思った。
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研修生コース(金)感想文

 今日は青少年の森へ行った。ここは私にとって年末、年始の合宿研以来「自分を知る」の道場である。「鳥の鳴き声が聞こえる。」これは自分の知らない鳴き声だからかな。これが「ホーホケキョ」ならば、「ウグイスが鳴いている」になるのではないかな。そう思ったその時、目の前を黒いものが飛び立った。「ア!カラスが飛んだ。」アレ!!  ヤッパリ
 夜の検討会で赤信号の事が話題になった。赤信号を見るとブレーキを踏む。このとき自分の中で何が起こっているのかな。私は自分の中で「あたりまえ」になっている事の観察が苦手なようである。私はせいぜい、すべてが自分の頭の中で
起こっていることを理解しているだけで、それを観察し自覚するとこまでは到底行っていないことがよく分かる。
 これからどんどんレッスンをつまなければ!
 その検討会の最中、自分の「あたりまえ」の総合体が私の人間観ではないのかなという思いが、ふと頭の中に浮かぶ。
 これも、もっともっと調べていきたい。
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2月度研修生コース参加動機等

年末、年始の自分を知るためのコースに参加したとき、その入り口に立てた気がした。又そのとき、日々新たなりという思いが心にしみ、その思いで気になっていた人を見ていくと、この人はこういう人だと自分の頭の中で固定していた人が一人の個人としていきいきと動くようになり、非常に新鮮な感じがしている。ところが、運転をしている時等とっさの場合になると、前の車の運転手に対し、自分の思いどうりの運転をしないと、何をしてるんやという思いがわく。特に、車を運転しているときに、その人の人間性が出るとよくきく。
 入り口に立てた、自分を知るを深めて生きたいのと、とっさのときに出る人に対する思いから自分の人間観を探って行きたい。
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研修生コースやってみて

夜明け前という感じがした
ここは時間をたっぷりかけていこうとも
なかなかだな という気持ちも随所に出てきた
ゆっくり と思ってやってたつもりだったが・・・もっと ユックリ

これをやらんでなにをやっていく?とも思った

新しい仕事に就いたばかりの時に この研修所から通える幸せも

本当に何から何まで用意してもらっている環境に身を置けていること
やっと自分の中を観れる手前まできていること
そして この自分がこの場にいるれることへの至情の喜び
そこを真摯にやっていこうとしている仲間が目の前にいること

高ぶらず さげすまず
引き続き日常化レッスンへ
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研修生活やってみて

今回は29、1、2日の三日間参加した。
初日、停滞(静止)していた頭の中がざっくりと動かされるのを感じた。新鮮な刺激。面白い。
頭で、自分が思ったことというふうには思えるが、自覚というのとは違う。その時自分の中がどうなっているか。ここをゆっくりていねいに見ていくのをしていきたいと思う。
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研修生コース参加してみて

一週間やってみて、毎日検討する機会があることが今の私にとって大きいと思った。
おとといの夜の検討会の時、どういう反応が起こっているか自分の例を通して自分を見ることをやったように思う。その時、なにか答えを見つけようとしている自分に気づいた時、「自分の心の中をそのまま観察する、見る」ということをするということを実感したようにおもった。頭で理解しただけでは実用的でない、むしろそれで余計に複雑になっている。もっとシンプルに、そのままそのまま。思いを事実としてしまっている時も、じぶんの感覚だなと自覚している時もその時の自分のこころを見ている、自分に目が向いている、それをやっていこうと思う。
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