おふくろさん弁当







- | -

内観

 内観 内心を観る 自己観察、、、、、
「何にも出てこないな。」と 思う時が 幾度となくありました。思い出す場面も少なくて、その場面のまたそこから 「お世話になったことは何か」「して返したことは何か」「ご迷惑をかけたことは何か」と調べていっても
具体的に、自分の中から沸いて浮かび上がってくるようなことがないことが、度々ありました。   
 「自分の中に答えがあり、それを、考えて呼び覚まそう」とするような意識からなかなか離れられずに、自分で自分を苦しめていた時が良くありました。
「内観ってなんやろう?」と元に戻って、自分の頭を、法座の屏風に掲げられたテーマにもってゆきました。そのことに集中して、自分に問いかけてゆきました。繰り返し 繰り返し。誰のことでもない、この私のことを。
「おかあさんのことは何度でも繰り返し、調べてください。」とテープから伝わってくる Y さんの声が、厳しくも やさしく感ずる私がいました。
 「ほんとうに、めくらになっているんだな。」と強く思い知りました。お世話になることに慣れきっている自分が、思い出されるどの場面からも感じられ、母を「自分の思い通りにこんなにも使ってきたんだな。」と、どうしようもなく感じざるを得ませんでした。そんなだから、これでもか、これでもかという位ご迷惑をかけつづけてきた母に対して、「ほんとうにありがとう。」「たくさんのご迷惑ほんとうにすみませんでした。」とは、心の底から湧きあがりでてくるものではありませんでした。
     :
     :
     :
毎食事ごとに聴かせてもらってきた、内観者と面接者との一問一答のテープは、6日の夜は、7歳になる女の子の10時間に及ぶものだった。食事のおさしみやてんぷらを口にしながら、静かに聴かせてもらった。素直に面接者に3歳の時からのことを、一生懸命その子の言葉で語るのが、とても新鮮に、僕に入ってきた。
 それは、突然だった。それまで食べていた、おさしみが急にちがったものに見え始めた。「おかあさんにお世話になったことは、、、、。」と思いお刺身を見ているその時だった。お刺身が、まず変わって見え始めた。じわーっとそこに「母の心」が広がるのを感じた。そればかりではない。お世話されていると見え出したすべてのものから「母の心」を感じ始めていた。涙が流れ始めた。とまらなくなってしまった。ほんとうに嬉しかった。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
  
 真剣に取り組むテープを通して伝わってくる内観者の人と比べると、すべての面でまだまだの感じを痛感します。それでも、今回をスタートに一歩一歩確実に人と共に調べあいながら、幸福人生を歩みはじめます。おかあさんありがとう。おとうさんありがとう。送り出してくれたみなさんありがう。お世話してくれたみなさん本当にありがとうございました。
- | -
1