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3月「マイライフセミナー」に参加して

3月20日~26日に開催された「マイライフセミナー」に京都から参加した、米田量さんの感想を紹介します。どうぞご覧ください。


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鈴鹿のアズワン・コミュニティに行ってきました。
どのようにしたらお互いに束縛や対立なく、親しさを育てていけるのかをずっと試行錯誤されてきて、今、その手ごたえがだんだんと感じられてきたとのことでした。
人と人が対立するとき、お互いに誤解や思い込み、状況に対する決めつけがある。それをとっていくにはどうしたらいいのか、というところで、それをすすめていく手法が工夫されていました。

最近、大阪や京都などでも哲学カフェというのがされていて、そこではたとえばお金とはとか、社会とはなど、あるテーマを来た人たちが話しあうのですが、アズワンではそのようなことをじっくりと継続的にやっているようです。



僕がいったセミナーでは、「自由とは?」、「社会とは?」、「嫌いとは?」、「味とは?」、「自分とは?」、などの問いが提示され、20分~30分ぐらい、自分がそう思っているものが実際のところ本当にそうなのかを吟味をしていきました。答えを出すのではなく、ただ吟味を続けていくだけです。これを複数人で6日間集中的にやる。

この地味な吟味を6日間もみんなで続けるというようなことをやっている人はなかなかいないけれど、それでもやってみると自分がそのことに対してどのように思っているのかが意識され、それが相対化される。そして感じ方がかわる。



感じ方というのは、自動的なものであるのだけれど、自分の現在の認識がまずフィルターとしてかかったうえでそれが決まる。そのフィルターは、言ってみれば誤解もある適当なものだけれど、現実との明らかな齟齬が実感されるまでそのままになっている。Aという刺激に対するBという反応を延々と繰り返す。

吟味することによって、矛盾や現実とのズレが意識化されてくると、認識が反転するということはなくても、感じ方が変わっていく。怒りや嫌悪感といったことも変わっていく。刺激Aに対して、反応がBからB’になったり、Cとかになったりする。



この地味なワークをアズワンの人たちは、継続的にやっているようです。何年もずっとやる。このことによって、相手の思うことは相手がそう思うこと、自分が思ったことは自分が思ったことにすぎず、別に実際ではないという距離感がもてる。すると自動的な反応として出てきた怒りとか嫌悪感などが、大分違ってくる。そしてまたそういうものを感じた時も、それが自分のどこからくるのかを吟味していこうとする態度ができてくる。



その態度がまわりにあると、言いたいことがいえる、おさえないようになる。安心して言える。正直に言っているのを聞いて周りがピリピリするようなこともあるそうですが、それが後をひかない。気の通りがよくなっている。

気の通りという言葉は僕が当てはめた言葉ですが、アズワンの人たちはこの気の通りの部分を大事にしているように思えました。自分でおさえこまないで、流れていくようになれば、それが人を元気にしたり、もっと自由にしていく。



アズワンのある人が、「イライラしてはいけない」の「いけない」という我慢が余計に悪い状態を招くという感覚をもっていたのもさすがという印象でした。現実ではなく、「こうしなければいけない」が実際にはストレスを生んでいたり、状況を余計にややこしくしている。



全員に会ったわけではないですが、アズワンの方々は概して自然体で、普通。明にも暗にも「自分たちはこうしているからこうなんですよ。あなたも!」とか言わない。正しいことをやらなければではなくて、そうしたほうが現実に自分と相手を大切にできたり、長いスパンでみて自分がよくなったり、楽になるからやる。思考や概念、頭からのものではない、いたって自然で健康なあり方だなと思いました。

モノやエネルギーの循環を大事にしている考え方は割と多いと思いますが、人の心の循環、気の通りの循環を考えに組み込んでいるモデルってなかなかないんじゃないでしょうか。
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