JOYを使い始めての声
新しくなったコミュニティスペース「JOY」を使い始めての声をいくつか紹介します。
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コミュニティスペース「JOY」に今日夕方、ねぎとお豆腐がほしいなあと思って立ち寄ったら、蜂蜜があった。
私はとてもはちみつが好きで、蜂蜜が目に飛び込んできた、っていう感じ。
「このボトル一つだな」→「大きいな」→「持って行ったら、他のほしい人が使えないかな」→「分けたほうがいいかな」
という風に思いが続いた。これが豆腐だとか、ねぎだとかだったら、こう思わないな、と次に思った。奇妙な気がしたけど、その感覚の根拠は、私の中では、蜂蜜はなかなか得難い、また高価だとも思っている。しかし、それそのものとして見てみようかーーーと、手に取ってみた。そして棚にまた置いてみた。はちみつが食べたいなと、思っているなあ。
マミーは今日は純子ちゃんだった。「はちみつ、これ一つだから、分けて持って行った方がいいかな。」と声をかけてみたくなって、言ってみた。
純子氏 「分けるって、多すぎるの?」
弘子 「いや、これくらいは2月経たないうちに食べちゃう」
そう答えながら、これが大きいという根拠は、自分がいつも手にする蜂蜜のボトルとの比較から出ていることにも気がついた。
純子氏 「持っていったらどう?食べるんだったら」
弘子 「そうだね、私は食べるし、北川さんはパンに塗るし」
と、言いながら、蜂蜜を持って帰って飾っておくわけでもないことに、我ながら噴き出しそうになった。
それから、車で出かけたんだけど、運転しながら、ずっと心があったかく、なんだかわけもわからない涙が出て来た。
そう言えば、大好きなものは、私は真っ直ぐほしいという前に、分けるとか他の人は食べられているかとか、自分がどうしたいかということに素直になる前に、いろいろとくっつけがちだなあーーと思った。
Joyに見当たらないもので、急がないものは、便がある時に買って来てもらったりするようになって、オリーブオイルだの、液体せっけんだの、マミーに自分はこれがほしい、ということを言っている。物が届いたよ、と声がかかるととてもうれしくなる。物が届いたことというより、自分を知ってもらったり、自分のことでなくなっていくような面白さを感じている。
はちみつは、自分が頼んだものじゃなくて、並んでいたものだった。買い物を頼んでいたものについては、頼んでいた、ということを根拠に、ためらいなく受け取っていたことにも気付いた。どんな内容の自分だろう?
はちみつがきっかけで、自分にも向きあったりまたマミーとやり取りしながら世界が広がる感じ、素直な自分を取り戻していきつつあるような、そんな気がしている。
「今JOYに置いていないけど、定期的に買いに行っているようなもの、すぐにほしいというのでなければ用意できるよ」と聞いて、歯かんブラシとか、ひげそりの替刃など、「こういうのがほしい、、」と、パッケージを付けていくつか提案した。
食品、消耗品も、だいたいの物が用意してもらえる。
買物にほとんど行かなくなった。
暮らしががらっと変わったかんじする。
どこが安い、、ということにエネルギーを使わなくなった。
仕入れは得意な人にまかせて、わたしの身に合うことで暮らしていける。
「しょうゆ 空けても長持ちするのがほしいんだけど」
「そう~ どんなのがいいの かってもらえるよ~」
「う~ん、、、」
「量が多すぎるの?」「うん ひとりだと多い、、」
「要るぶんだけ もっていけるよ」
「そうかあ 開けておいといていいの?」「いいよ 使う人いるし…」
・・・・・と、ペットボトルに入れてもっていった
煮干を提案していた人が大きい袋見て、「これ多くない?」
「うん 二ヶ月くらいある。」
「あまり置いておかないほうがいいよね 少しもらっていい?」
・・・と、分けて袋に入れて置いた。
毎日、いろいろなやりとりが・・・・・。
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