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お金のいらない暮らし 「値札の無い生活」

値段のない仕事でお金を稼ぐこともなく、値札のない「JOY」でお金を使うこともなく、「値札の無い生活」が始まっている。コミュニティスペース「JOY」を使ってみての声を紹介します。

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【Mさん女性】
JOYの冷蔵庫を開け牛乳を取る。手前の日付の古いものを選んでいる。
スーパーで買い物するときは、奥にある日付の新しいものを選んで手を伸ばして取っている・・・・ 
「あれ~?」この違いはなんだろう?
スーパーの牛乳はお金と交換して買う商品、できるだけ値打ちのあるものが良い。新しいもの量の多いものを選ぼうとする。
JOYにあるものは商品ではない。私たちのために準備されたもの、私たち皆で利用するものだ。それらを準備した人や作った人の思いもあるが、共に利用する人たちへの思いも強くある。あの人やこの子たちが飲む牛乳、「私もひとついただこう」という感じかな。
お金を介するとき、その値札でそのものの価値を計り選びお金と交換することで私のものになる(と思っている)。
値札の無いJOYのものはすべての人に開かれていて、そのものを介して人と人が会する場を作っているように思う。(昔の井戸端のようなものかな?)

仕事については、どうだろう?
以前働いていた時のように、「1時間いくら」とか、「月給いくら」とか、仕事に値段がついていると、その値段に見合った仕事をするようになる。やりすぎるとサービスになり損をした気分になったり、値段に満たない仕事だと申し訳ないような負い目を感じたりする。値段によって、仕事の質も量も決められているみたいだ。
今では、これだけ仕事をしたからこれだけ稼ぐということもなく、何かをしてもらってお金を支払うということもほとんどない。必要とされることを、やりたいことを、やりたいようにやる。どれだけやるか、どんなふうにやるかは、やる人とやってもらう人、人と人とが決めて行けばいい。
お金を介さない仕事は、その質も量も枠なく開かれ、人と人とに委ねられているのではないかな。

値段のない仕事でお金を稼ぐこともなく、値札のないJOYでお金を使うこともなく、「値札の無い生活」が始まっている。これで、どんなふうに意識や生活感覚が変化していくか、興味津々。

さらには、「値札の無い人」を目指したいと思う。

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【Iさん男性】
ぼくはJOYには主に淡麗(発泡酒)をもらいに行くことが多い。
(食糧その他の生活品は妻が貰ってくる)

先日行ったとき、JOYママが「つまみはいいの?」と声かけてくれて、うすピーがあったのでそれをもらってきた。

少し経ってから思ったことだが、

その「つまみはいいの?」というJOYママの声かけが何か心地よかったなと思った。
(こういう声かけはJOYではありふれた光景かもしれない)

・そこで思ったことは・・・、

普通のお店に行ったときも、「これはどうですか?」と勧められることはある。
どうもそういうときにぼくは、「売らんがための声かけ」と受け取ってしまう・・一概にも言えないのだろうが、多分実際そういう声かけが多いのだろうと思う。

JOYママの声かけは何か質がちがうものだろう。

少しおおげさに言えば純な(他意のない)声かけと言ったらいいだろうか・・純な気持(情)の発露・・

先のMさんのブログを読んでも思うことだが、お金のいらないJOYでは、人の純な気持(情)が露わになる(オープンになる)・・そう成りやすいのではないか、と思った・・。

ついでに言えば、

JOYでは、そのときの自分の(物に対する)欲求や、その物の価値や自分にとっての必要性などもオープンになるという面もあるのではないか・・

・少し話が飛躍するかもしれないが、

自分の欲求や気持や意見なども、他に気を使わずにそのままオープンに出来るというのは、楽で安心な生き方なのだろうと思う・・まあ、これも一面のことかもしれないが・・
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最後に、7月4日(土)夕方、「JOY」のひとコマをどうぞ…。
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