コミュニティ歳時記 8月号 【夏日寸描】
目を覚ますと、近くから遠くから幾重にも折り重なるように、
「ジジジジジジ~ジジジジジジ~・・・・」
と聞こえてくる。真夏の到来を実感する。
カーテンを開けると、一匹の蝉が網戸に飛んできて啼き始めた。
部屋全体を振動させるほどの大音量が響く。
仕事場に向かう道すがら、東の空には湧き立つ雲。
右手の田圃の稲は、胸の高さほどに生育し、稲穂が膨らみを増している。
鈴鹿カルチャーステーションの南側、全面ガラス窓の外には、見事な緑のカーテンが出来て、程よく陽射しを遮る。ゴーヤの実もたくさん見られるようになった。
鈴鹿カルチャーステーション夏の風物詩「ゴーヤのカーテン」
(寸描・その1)
今回の鈴鹿コミュニティのツアー(1泊2日でコミュニティを見学し、その暮らしや人に触れられる機会)に参加したのは、Valerie MadokaさんとKarlaさん。偶然だが、二人ともドイツから来た。そのツアーの中で、ここでの暮らしが6年目になる韓国のフンミと、今サイエンズアカデミーで学んでいるタッキーと触れ合った時の一コマから・・・
ドイツから鈴鹿コミュニティを見学に来たKarlaさんとValerieさん
フンミ
最近暮らしていて思うことは・・・
子どもを産んで育ててみたいなという気持ちが湧いてきて、それに向けて病院に行き始めたんだけど~・・・そう思うようになった自分も不思議で、自分一人だったら出てこなかった発想かも知れないな。お母さんから、「あなたを産んで育ててみて本当に愉しかったから、あなたにも経験して欲しいな」と聞いたり、パートナーが、「家の中に子どもが居る暮らしを一緒にしてみたい」と言っていたり、他にも何人ものコミュニティの人たちから声をかけてもらう中で、そういう気持ちが湧いて来たんですね~。
病院で担当の先生と会うのもすごく楽しみになってきて、次の予約の日時を話しているときでも、いついつとただ決めるんじゃなくて、「今のフンミさんなら、もう少し早く診た方が良さそうだから、この日はどうですか?」と先生の方から考えて言ってくれる。それは○○先生も、××先生も。なんか、私の身体のことなのに、私のことじゃないみたい。とっても不思議。
実際に子どもが出来るかどうかは先のことで分からないけど、そういう人たちの中で、私の中からそんな気持ちがポッと湧いてきて、それをまた皆が自分のことのように考えたり動いてくれているのが愉しいですね~
タッキー
昨夜、1年間のアカデミー生活を終えて出発する人の送り出し会があって、そうか、もう7月なんだと自分のこの間のことも思い出されて・・・
ちょうど1年前、僕は或るアカデミー生と大ケンカ中というか、とてもギクシャクした関係になっていて、顔も合わせたくなくて自分の部屋に閉じ籠っていたんだよね。
でも部屋に居ても悶々とするだけで、やっぱりみんなにも聞いて欲しいなと思って、アカデミー生のグループラインにメッセージ流したら、リビングに全員集まってくれた。
そこで僕が、「どうしていつも人の文句をチクチク、チクチク言ったりするの」って自分の思いを出したら、その人が、「ワタシだって、そうしたくてしているわけじゃない」って言い始めて、その後みんなでやり取りする中で、自分の中の何かが動いて“そうせざるを得ないものがその人の中にあって、今はそんな風な出し方になっちゃうんだな”って、初めて相手の方に関心が向かっていった。それまでは、“嫌だなあ”っていう自分の気持ちしか見えなかったけど、その人にはその人なりの世界があって、そうしているんだなあって・・・
Valerie Madoka
二人の話を聞いて・・・
ドイツで私は、ある地域づくりのプロジェクトリーダーをしていますが、時々感じることがあります。人にではなく、石に話しかけているようだと・・・
そういうお互いからは何も生まれてきません。
私がやっていきたいのも、やっぱり“人と人”のやり取りなのだと・・・今、そう感じます。
Karla
私は、半年間の交換留学生として神戸大学で学んでいますが、ドイツではたくさんのエコビレッジがあって、いくつかの場所には訪れて体験もしてきました。
どこのエコビレッジもイベントやフェスティバルが盛んです。そこに周りから、いっぱい人も集まってきます。その時は楽しかったりしますが、皆だんだんと疲れ果てていくようです。
フンミさんやタッキーがフォーカスして愉しんでいるのは、イベントやフェスではなく、日々の暮らしなのですね。
鈴鹿コミュニティで暮らす「タッキー」「フンミ」との交流の時間
(寸描・その2)
ダイニングで一緒に食事をしていた5歳のサクトが、二本がつながった子供用のお箸を使っていたので話しかけてみた時のこと。
サクト
ぼくはねえ、まだ大人のはつかえないよ。
でもねえ、サラはつかえるよ。
あと、ハルもつかえるよ。
アカリは、まだつかえないよ。
・・・
一緒に育っているコミュニティの子どもたちのことを一人ひとり、喋っているサクト。
彼らは、どんなお互いなんだろう?
あの子は使えるけどボクは使えなくてダメだとか、そういうのは一切無いみたい、面白いなあ、でもそれがホントは普通なのかな。
啼き続ける蝉も、湧き立つ雲も、稔る稲穂も、もし隣りの蝉や雲や稲穂と比べて、いろいろ思っているとしたら、おかしくて笑っちゃうよな。
近くの公園でサクトが遊んでいた時のこと、プレハブの倉庫を工事のおじさんが造っていた。しばらく横に居て、見ていたサクト。
途中から、ビスをおじさんに一つずつ渡し始めた。
一本打ち終わって、さあ次という絶妙のタイミングで、サクトが、
「ハイ!」
とおじさんに手渡していく。
工事のおじさんもそれに応えて、
「ハイ!」
と受け取って、一本また一本とビスを打っていく。
結局、最後倉庫が完成するところまで、その二人のやり取りは続いた。
初対面のサクトと工事のおじさん。
その二人に通い合っていたものは何だろう?
コミュニティで育つ「サクト」。お父さん達の真似?ミニ田んぼを作って稲作
(寸描・その3)
またまた別の場面。週に一回のファミリーでのミーティングで。
純奈
(開口一番)ああ、やっと皆揃ったから話せる~もう、みんなに話したいことがあって、さっきからずっとウズウズして待ってた~
奈々子
(中盤で)ああ、どうしよう。まだ話したいことあったぁ。続けて私ばかり話してもいいかな?昨日の夜からミーティングが待ち遠しくて・・・
40歳になっても、50歳になってもファミリーメンバーに話したいなあ、聴いてほしいなあって、そんな気持ちはどこから湧いてくるんだろう?
“ねえ、お母さんきいてきいて”
って、みんなそうやって育ってきたんだから、当たり前のことかな・・・
(寸描・その4)
Valerie Madokaは、建築家であり、映像作家。日本人の父とドイツ人の母の間に生まれた。ずっとドイツで育ったので、日本語は殆ど話せない。ドイツではお父さんも全然、日本語は話さず、教えてくれたこともなかったらしい。
今、鈴鹿コミュニティを題材に短編の芸術的な作品を創ろうとしている。
一緒に食事している時に、
「お箸の使い方、上手だね」
と言うと、
「お父さん、日本語は教えてくれなかったけど、お箸の使い方は教えてくれました」
と笑う。
「そうだ、納豆食べる?」
と訊いてみた。
「お父さんが食べていたことがあって、ワタシも試したことあったけど無理でした」
とのこと。
そう云えば、以前テレビの番組で、ありとあらゆる世界中の珍味を食べ尽してきたという外国人の猛者(もさ)が、納豆に挑戦するという企画をやっていた。自信満々で臨んだ彼だったが、匂いを嗅いだだけで速攻ギブアップした。
美味しいと言いながら納豆を食べている僕を、不思議そうに眺めるMadoka.・・・
まったく“好き嫌い”なんていうのも、いい加減なものだと思う。
ただただ、環境によって作られ、また環境によって如何様にでも変り得る。
どこまでいっても相対的なものなのに、自分の中での絶対的な価値観のようにしてしまったり、なんともアホなことをしている。
“良い悪い”も、“優越感劣等感”も、同じようなものか。全部自分の頭の中のこと。
“そのもの、その人”とは何の関係もない。
建築家であり、映像作家のValerieさん。「コミュニティを映像で伝えたい」
Madoka・奈々子・直絵
3人が初めて会って、ダイニングで食事をした時のこと。
独語・仏語・英語はオッケーだけど日本語の殆ど分からないMadoka, 2年間のオーストラリアステイでも英語が全く操れないという直絵、20年以上ブラジルに居て日本語もポルトガル語も英語も全部中途半端と自認する奈々子、話が通じるのかなあと会う前はそれぞれに心配していたけど、夕食食べ終わる頃にはスッカリ馴染んじゃって、その後同年代の3人でまるで旧知の友人のように、はたまた姉妹のようにガールズトークに花が咲く。この中では一番、英語が通じると思っていた僕は、その展開の速さに付いて行けずに置いてきぼり~
この3人、つい1時間前までは、会ったことも話したこともないお互いだったのに。
このチャンスが無ければ、一生知り合うことも無かったかも知れないお互いなのに。
“人と人”って不思議すぎる~、何なんだろう?
地球の一隅・鈴鹿コミュニティでの夏日寸描(かじつすんびょう)。
どの寸描も、こうやって眺めてみたら、世界中のどこにでも転がっていそうな、ありふれた光景かも知れない。
ただ、それぞれ場面や人は違うけど、別々という感じがしないのは何故だろう?
目に見える現れは、どれもこれも違うけど、それが湧き立ってくる元はどこか繋がっているのだろうか。
鈴鹿白子港から望む夏空
日日、姿を変えて湧き立つ夏の雲。
どこから、どんな風に湧き立ってくるのだろうか?
日日、表情を変える私たち“人”そして“人と人”
湧き立ってくる元にあるものは何だろう?
そして、
ポッと浮かび上がってくる
どんな姿も
どんな表情も
愛おしい・・・
鈴鹿コミュニティで学ぶ、アカデミー生 【みんなで空を見る日常】
「ジジジジジジ~ジジジジジジ~・・・・」
と聞こえてくる。真夏の到来を実感する。
カーテンを開けると、一匹の蝉が網戸に飛んできて啼き始めた。
部屋全体を振動させるほどの大音量が響く。
仕事場に向かう道すがら、東の空には湧き立つ雲。
右手の田圃の稲は、胸の高さほどに生育し、稲穂が膨らみを増している。
鈴鹿カルチャーステーションの南側、全面ガラス窓の外には、見事な緑のカーテンが出来て、程よく陽射しを遮る。ゴーヤの実もたくさん見られるようになった。
鈴鹿カルチャーステーション夏の風物詩「ゴーヤのカーテン」
(寸描・その1)
今回の鈴鹿コミュニティのツアー(1泊2日でコミュニティを見学し、その暮らしや人に触れられる機会)に参加したのは、Valerie MadokaさんとKarlaさん。偶然だが、二人ともドイツから来た。そのツアーの中で、ここでの暮らしが6年目になる韓国のフンミと、今サイエンズアカデミーで学んでいるタッキーと触れ合った時の一コマから・・・
ドイツから鈴鹿コミュニティを見学に来たKarlaさんとValerieさん
フンミ
最近暮らしていて思うことは・・・
子どもを産んで育ててみたいなという気持ちが湧いてきて、それに向けて病院に行き始めたんだけど~・・・そう思うようになった自分も不思議で、自分一人だったら出てこなかった発想かも知れないな。お母さんから、「あなたを産んで育ててみて本当に愉しかったから、あなたにも経験して欲しいな」と聞いたり、パートナーが、「家の中に子どもが居る暮らしを一緒にしてみたい」と言っていたり、他にも何人ものコミュニティの人たちから声をかけてもらう中で、そういう気持ちが湧いて来たんですね~。
病院で担当の先生と会うのもすごく楽しみになってきて、次の予約の日時を話しているときでも、いついつとただ決めるんじゃなくて、「今のフンミさんなら、もう少し早く診た方が良さそうだから、この日はどうですか?」と先生の方から考えて言ってくれる。それは○○先生も、××先生も。なんか、私の身体のことなのに、私のことじゃないみたい。とっても不思議。
実際に子どもが出来るかどうかは先のことで分からないけど、そういう人たちの中で、私の中からそんな気持ちがポッと湧いてきて、それをまた皆が自分のことのように考えたり動いてくれているのが愉しいですね~
タッキー
昨夜、1年間のアカデミー生活を終えて出発する人の送り出し会があって、そうか、もう7月なんだと自分のこの間のことも思い出されて・・・
ちょうど1年前、僕は或るアカデミー生と大ケンカ中というか、とてもギクシャクした関係になっていて、顔も合わせたくなくて自分の部屋に閉じ籠っていたんだよね。
でも部屋に居ても悶々とするだけで、やっぱりみんなにも聞いて欲しいなと思って、アカデミー生のグループラインにメッセージ流したら、リビングに全員集まってくれた。
そこで僕が、「どうしていつも人の文句をチクチク、チクチク言ったりするの」って自分の思いを出したら、その人が、「ワタシだって、そうしたくてしているわけじゃない」って言い始めて、その後みんなでやり取りする中で、自分の中の何かが動いて“そうせざるを得ないものがその人の中にあって、今はそんな風な出し方になっちゃうんだな”って、初めて相手の方に関心が向かっていった。それまでは、“嫌だなあ”っていう自分の気持ちしか見えなかったけど、その人にはその人なりの世界があって、そうしているんだなあって・・・
Valerie Madoka
二人の話を聞いて・・・
ドイツで私は、ある地域づくりのプロジェクトリーダーをしていますが、時々感じることがあります。人にではなく、石に話しかけているようだと・・・
そういうお互いからは何も生まれてきません。
私がやっていきたいのも、やっぱり“人と人”のやり取りなのだと・・・今、そう感じます。
Karla
私は、半年間の交換留学生として神戸大学で学んでいますが、ドイツではたくさんのエコビレッジがあって、いくつかの場所には訪れて体験もしてきました。
どこのエコビレッジもイベントやフェスティバルが盛んです。そこに周りから、いっぱい人も集まってきます。その時は楽しかったりしますが、皆だんだんと疲れ果てていくようです。
フンミさんやタッキーがフォーカスして愉しんでいるのは、イベントやフェスではなく、日々の暮らしなのですね。
鈴鹿コミュニティで暮らす「タッキー」「フンミ」との交流の時間
(寸描・その2)
ダイニングで一緒に食事をしていた5歳のサクトが、二本がつながった子供用のお箸を使っていたので話しかけてみた時のこと。
サクト
ぼくはねえ、まだ大人のはつかえないよ。
でもねえ、サラはつかえるよ。
あと、ハルもつかえるよ。
アカリは、まだつかえないよ。
・・・
一緒に育っているコミュニティの子どもたちのことを一人ひとり、喋っているサクト。
彼らは、どんなお互いなんだろう?
あの子は使えるけどボクは使えなくてダメだとか、そういうのは一切無いみたい、面白いなあ、でもそれがホントは普通なのかな。
啼き続ける蝉も、湧き立つ雲も、稔る稲穂も、もし隣りの蝉や雲や稲穂と比べて、いろいろ思っているとしたら、おかしくて笑っちゃうよな。
近くの公園でサクトが遊んでいた時のこと、プレハブの倉庫を工事のおじさんが造っていた。しばらく横に居て、見ていたサクト。
途中から、ビスをおじさんに一つずつ渡し始めた。
一本打ち終わって、さあ次という絶妙のタイミングで、サクトが、
「ハイ!」
とおじさんに手渡していく。
工事のおじさんもそれに応えて、
「ハイ!」
と受け取って、一本また一本とビスを打っていく。
結局、最後倉庫が完成するところまで、その二人のやり取りは続いた。
初対面のサクトと工事のおじさん。
その二人に通い合っていたものは何だろう?
コミュニティで育つ「サクト」。お父さん達の真似?ミニ田んぼを作って稲作
(寸描・その3)
またまた別の場面。週に一回のファミリーでのミーティングで。
純奈
(開口一番)ああ、やっと皆揃ったから話せる~もう、みんなに話したいことがあって、さっきからずっとウズウズして待ってた~
奈々子
(中盤で)ああ、どうしよう。まだ話したいことあったぁ。続けて私ばかり話してもいいかな?昨日の夜からミーティングが待ち遠しくて・・・
40歳になっても、50歳になってもファミリーメンバーに話したいなあ、聴いてほしいなあって、そんな気持ちはどこから湧いてくるんだろう?
“ねえ、お母さんきいてきいて”
って、みんなそうやって育ってきたんだから、当たり前のことかな・・・
(寸描・その4)
Valerie Madokaは、建築家であり、映像作家。日本人の父とドイツ人の母の間に生まれた。ずっとドイツで育ったので、日本語は殆ど話せない。ドイツではお父さんも全然、日本語は話さず、教えてくれたこともなかったらしい。
今、鈴鹿コミュニティを題材に短編の芸術的な作品を創ろうとしている。
一緒に食事している時に、
「お箸の使い方、上手だね」
と言うと、
「お父さん、日本語は教えてくれなかったけど、お箸の使い方は教えてくれました」
と笑う。
「そうだ、納豆食べる?」
と訊いてみた。
「お父さんが食べていたことがあって、ワタシも試したことあったけど無理でした」
とのこと。
そう云えば、以前テレビの番組で、ありとあらゆる世界中の珍味を食べ尽してきたという外国人の猛者(もさ)が、納豆に挑戦するという企画をやっていた。自信満々で臨んだ彼だったが、匂いを嗅いだだけで速攻ギブアップした。
美味しいと言いながら納豆を食べている僕を、不思議そうに眺めるMadoka.・・・
まったく“好き嫌い”なんていうのも、いい加減なものだと思う。
ただただ、環境によって作られ、また環境によって如何様にでも変り得る。
どこまでいっても相対的なものなのに、自分の中での絶対的な価値観のようにしてしまったり、なんともアホなことをしている。
“良い悪い”も、“優越感劣等感”も、同じようなものか。全部自分の頭の中のこと。
“そのもの、その人”とは何の関係もない。
建築家であり、映像作家のValerieさん。「コミュニティを映像で伝えたい」
Madoka・奈々子・直絵
3人が初めて会って、ダイニングで食事をした時のこと。
独語・仏語・英語はオッケーだけど日本語の殆ど分からないMadoka, 2年間のオーストラリアステイでも英語が全く操れないという直絵、20年以上ブラジルに居て日本語もポルトガル語も英語も全部中途半端と自認する奈々子、話が通じるのかなあと会う前はそれぞれに心配していたけど、夕食食べ終わる頃にはスッカリ馴染んじゃって、その後同年代の3人でまるで旧知の友人のように、はたまた姉妹のようにガールズトークに花が咲く。この中では一番、英語が通じると思っていた僕は、その展開の速さに付いて行けずに置いてきぼり~
この3人、つい1時間前までは、会ったことも話したこともないお互いだったのに。
このチャンスが無ければ、一生知り合うことも無かったかも知れないお互いなのに。
“人と人”って不思議すぎる~、何なんだろう?
地球の一隅・鈴鹿コミュニティでの夏日寸描(かじつすんびょう)。
どの寸描も、こうやって眺めてみたら、世界中のどこにでも転がっていそうな、ありふれた光景かも知れない。
ただ、それぞれ場面や人は違うけど、別々という感じがしないのは何故だろう?
目に見える現れは、どれもこれも違うけど、それが湧き立ってくる元はどこか繋がっているのだろうか。
鈴鹿白子港から望む夏空
日日、姿を変えて湧き立つ夏の雲。
どこから、どんな風に湧き立ってくるのだろうか?
日日、表情を変える私たち“人”そして“人と人”
湧き立ってくる元にあるものは何だろう?
そして、
ポッと浮かび上がってくる
どんな姿も
どんな表情も
愛おしい・・・
鈴鹿コミュニティで学ぶ、アカデミー生 【みんなで空を見る日常】
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