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コミュニティ歳時記10月号 【何をしても可愛い】

「サカイさ~ん、ただいま~」
韓国からアーちゃんが2年半ぶりにやって来た。

4歳になったヨミンが、会話している僕らの様子を見上げている。
「ヨミン、大きくなったね~」
と声を掛けると、アーちゃんの後ろにパッと隠れてしまった。
程なく、1歳のヨジョンが身体を左右に動かしながら、一歩一歩近寄ってきた。
「これが、ヨジョンです」
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とアーちゃん。ヨジョンはもちろん初来日。その顔には笑みが浮かんでいる。
パンデミック前、アーちゃんが韓国に帰る時の別れ際に、
「サカイさん、必ずまた来ますね」
と言って駆け寄り、ハグしてきたことがあった。
次の瞬間、その時2歳だったヨミンは見様見真似で、お母さんがしたのと全く同じように、僕に歩み寄りハグをした。
膝をついて、ヨミンの小さなカラダを受けとめながら、”可愛いなあ”と、その存在そのものへの愛しさが身体中に充ち、やがて零(こぼ)れ出るのを抑えることはできなかった。
そして今、お母さんの背後に隠れてしまうヨミンもまた可愛い。
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9月になり、コロナの水際対策が緩んできたこともあって、海外との行き来が活発になりつつある。
・9/7  韓国からキム・セリ、2か月の実習プログラムへ
・9/8 ブラジルより岩田さん帰国
・9/10 スイスよりアレックス、アンティエ、3か月の実習プログラムへ
・9/11 韓国よりドンハ、グムサン、ジョンアの3人、準アカデミー生として入学
 (ヨミン、ヨジョン、ソムギョル、3人の子ども達も一緒に)
・9/13 タイで開催のEcoversities Allianceギャザリングに片山弘子さん参加
・9/19 Leo、月岡夫妻ブラジルへ

コミュニティ“ファミリーダイニング ゼロ”での夕食時は、とっても賑やか。日本語、韓国語、英語、ドイツ語、ポルトガル語があちらこちらで行き交う。そんな光景がだんだん普通になってきた。
そして今、乳幼児からシニアまでが憩うファミリーダイニングの主役は、何と言っても収穫したての“新米”だ。
冬の間に準備した種籾は育苗ハウスに播かれ、育った稲の苗は4月終わりから5月初めに田圃に植えられる。初夏―梅雨―真夏と、苗は土に蓄えられた肥料へと根を伸ばし、しっかり根を張り、茎を太らせ伸ばし、やがて穂をつけ稔らせる。そして8月後半から9月にかけて収穫の秋(とき)を迎える。
その穫れたての新米がダイニングに初お目見えしたのは、9月3日のこと。
その日のメニューはとってもシンプルで、“新米のおにぎり”
どんどん次のおにぎりに手が伸びる、あちらでもこちらでも、“美味しいな~”と感嘆の声が上がる、そしていつの間にか、なんと普段の倍以上のお米をみんなで平らげてしまっていた。
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アカデミー生・環ちゃんの、
「時々、今日みたいにお米をたっぷり食べられるのもいいなあ~」
って呟きも、聞こえてきた。
日本に住む自分たちには、“やっぱりお米かな”、そんなことを思わせてくれる日だった。
遠い秋の日、母の田舎の田圃で、たくさんの従兄弟たちと稲掛けの周りで弾け戯れている幼い頃の姿が蘇ってくる。微笑み見守る親たち、吸い込まれそうな青い空、胸いっぱいに充満する芳しい穂の香、山間(やまあい)に木霊する鳥の鳴き声、稲株を踏む時の硬さと脆さの感触、頬張った柿の甘味と渋味、長閑(のどか)な、そして絶対安心の原風景。
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コミュニティで食べるお米も、そしておふくろさん弁当で使われるお米も、昨年初めて、<全量>自分たちの田圃で作ることが出来た。自家産お米自給率100%達成ということになる。
SUZUKAファーム株式会社が誕生したのが2010年、それ以前も稲垣さんが、コミュニティメンバーが安心してお米を食べられるようにと作り続けてきた何年間かがある。
当初は、高齢化した地元の農家から田圃を借りて作り始めたが、あまりの下手さに見るに見かねた、おじいちゃん・おばあちゃんが随分手助けしてくれたとか。時にはコンバインやら農業機器まで融通してもらったこともあったみたい。
“稲ちゃん農園”と呼ばれ、稲垣さん個人でやっている段階から、20代~30代の若者数人で会社を興し、意気揚々とやり始めたのが12年前。だが、たちまち行き詰ってしまった。経営的にも、お互いの間柄も。見切りをつけ離れてしまう若者もいた。
だが、そこからが本当の始まりで、そこに根を張ろうとする一人、二人から新生SUZUKAファームが動き出した。何のためにお米や野菜を作るのか、何のためにその事業をするのか、どんな会社や社会を創っていこうとしているのか・・・真の目的に立ち還り立ち還り、10年以上かけて、じっくりとじっくりと育て上げてきて、我が家・我がコミュニティの家業になってきた。
そしてお米も全量、自家産になった。
もちろん、まだ道すがらだが、その道中の陽気なこと!
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アレックスとアンティエはスイスから来て、もうすぐ3週間。
アレックスはスイス生まれだが、アンティエはもともと東ドイツに生まれて育ち、ドイツ統一後スイスで暮らしている。或るミーティングの中でこんなことを言っていた。
「スイスやドイツで、私たちが育ってきた社会の雰囲気、とっても厳しいと感じる時がある。親や先生や目上の人は、これが正しいとか、これはやらなくてはならないとか、注意したり指摘したり強制したりが当たり前。大人になっても、お互いにそういう関係が続いてしまうね。見張り合っているね。」
聞きながら、スイスやドイツのことだとは聞こえてこない、なんだか日本に居る自分も同じような道を通ってきたなと。躾とか、教育とか、人を正すとか・・・
大人になり、親になり、知らず知らず、その道を次の世代に押し付けてきたこともあった。
人を知らず、人生を知らず、そうする以外の道を知らず、知ろうともしない。スイスやドイツで厳めしく、人を正そうとする人達が自分と重なってくる、他人ごとに思えない。
なんで、そんなアホなこと真面目にやってきたんだろうと今では不思議にさえ思うが、良かれと無意識でやっている裡は自分の愚かさ、浅ましさになかなか気付けない。
アレックスとアンティエは、なにやら今の鈴鹿コミュニティに流れている穏やかな気風を感じているみたい。包まれているような、だから周囲の目を気にしなくていいような、自分の思っていることをオープンにしたくなるような・・・
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彼らと日々接しながら、改めて、そういう環境・土壌の中で、生きてきたんだなあと、自分の10数年の歳月を顧みたりしている。
この歳になって漸(ようや)く、ちょっと人らしい生き方に向かい始められたのも、このコミュニティの土壌のおかげだし、土壌と言っても、じっくり見守り続けてくれる親のような存在があるということかなと思ったりする。ただ温かい環境や雰囲気があるというだけでなく、いつも原点に立ち還れるように、その人らしく生きられるように、道標を立て機会を用意してくれている。そんな深い愛情からの外さない厳しさを体現している親の存在。
そして、そこを進んでいくのは、自分自身、一人ひとりの主体。

さてヨミン。
前回、日本で暮らしていた時、ちょうど同じ頃に生まれた“うみ” とずっと一緒だった。
全く会わずに2年経って、お互いのこと覚えているのかな?
再会したら、どんな感じになるのかな?
なんとなく、みんなそんなことを考えていた。
“その時”の様子、こんなだったみたい。
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うみ と ヨミン
チラチラとお互いを見ながら?
それぞれで離れて水遊びしていたけれど
いつの間にかその距離もだんだんと近くなっていく
うみの後ろをヨミンが同じ動きをしてついていく
またヨミンの後ろをうみが同じ動きをしながらついていく
を繰り返す
同じように動いていくうちに相手になって
言葉は交わさなくても
通じ合っていくように見えて面白いな

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毎年、同じパートナーとカップルになる南極の皇帝ペンギンは、1年ぶりに出逢った時、シンクロして同じ動きをしながら、お互いを確かめ合うそうな。うみ と ヨミンも一緒かな。
その日、ヨミンはお母さんのアーちゃんにも、
「今日、うみと遊んだ!」
と自分から言ってきたみたいで、アーちゃんも“うみ”って言葉が、ヨミンの中から出てきたよ~と驚いていた。
ヨミンだけでなく、ヨジョンも、ソムギョルも、コミュニティの子ども達と、もうすっかり馴染んでいる。あっという間に溶け合っちゃう。そんな様子を見ていると、いつまでも余所余所(よそよそ)しくしている大人の関係が不自然に見えてくる。
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稲の稔りが一朝一夕で出来ないように、今こうして韓国やスイスから、その子ども達も含めてやって来て、一緒に安心して“我が家” に居るかのように暮らせているのも、そうなるようにと何年も何年も、耳を傾け、足を運び、心を寄せ続けた親の存在が実在しているからだと思う。
「何をしても可愛い」
きっと誰もが自身の裡に、垣間見たことのある、その境地。
何をしても、何もできなくても、どうあっても、どうなっても、ただ可愛いだけ。
その吾が子の本当の幸せを願い、見守り、先を歩く親。
親心・親の愛が、幸せな人を育て、やさしい社会を招来する。
その中で暮らす子ども達。その一日一日が、一人ひとりの原風景、原点になる。
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