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コミュニティ歳時記新年号 【委ねている】

冬の日、日曜日の朝になると身支度をして美鈴湖に向かう。
標高1000m程のところにある小さな湖で、遠き少年時代、そこは僕らの“冬の庭”だった。
12月に入ると地方新聞の片隅に、美鈴湖はじめ長野県中の湖の氷の厚さが表記され、○△×で滑走の可不可を伝えてくれる。うろ覚えだが、12㎝辺りがボーダーラインで、早くそこを突破してくれ~~と毎朝、新聞を捲っていたのを思い出す。
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大概、行きは松本市街からバスに乗っていく。
松本駅が標高600m弱なので、およそ400m登っていくのだが、途中浅間温泉からは急勾配が続く。七曲り、九十九(つづら)折りのカーブでは車が減速するので、眼下に広がる市街地がゆったりと望める。生まれて初めて雲海というものに出くわして子ども心を揺さぶられたのも、この山道だった。
終点が近づくと、もう既に氷上で滑り始めている子ども達や、ワカサギ釣りをしている大人達の姿が目に入ってきて、心は一足早く湖の上に降り立ってしまう・・・・・

かつてはそうやって毎冬30cm以上の氷が張り、冬季国体の会場にもなった美鈴湖も、近年殆ど氷は見られなくなり、もちろんスケート場も無くなり、そこに向かう子ども達の群れも途絶えてしまった。
その当時に比べれば、今はずっと暖冬なのかもしれないが、ここ鈴鹿コミュニティでも冬の暮らしが始まっている。
「おーい、灯油缶の数、幾つくらいになってる?」
毎週金曜日の午後1時くらいになると、決まって恩田さんがインフォメーションに顔を出し、尋ねてくる。
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「今のところは、20缶くらいかな、もう一度確認のメール、グループラインに流しておこうか。」
と奈々ちゃんが応え、追加注文が幾つか入って、午後3時に締め切り。
そこへ恩田さんがもう一度やってきて、みんなからの注文票を持っていく。
そして、翌土曜日の午前中に、各家の玄関に20ℓタンクいっぱいの灯油が届けられる。
灯油ストーブは電気やガスに比べて燃費はよいが、一人ひとりが灯油をガソリンスタンドまでいちいち汲みに行ってとなると、継続していくのは現実的でないだろう。
恩田さんのようにそこを担っている人が居ることで、何年も続いてきたし、成り立っているとも言える。
また、そこを専門でやることで、どこから購入したらよいか、どんな風に運び届けたらいいかなど、様々な工夫が生まれ、愉しみも湧いてくる。或いは、「誰々さん、灯油の注文来てないけど、忘れてないかな? 暖かく暮らせているかな?」と、灯油一本からお互いの暮らしを見合っていける。


「私、浴室を暖めるストーブがあったらと思うけど、どう思う?」
と雅子さんが尋ねてきた。
「鈴鹿市から贈られてきたギフト券があって、あそこの家電量販店なら使えるのよ~。それで買えたらいいなあと思って。」
雅子さんはコミュニティの中の木1ファミリーで一緒なのもあって、なにかあるとよく相談に来てくれる。先日も“寝ながら読める書籍スタンド”なるものを一緒に購入して、寝室に取り付けに行ってきた。何年か前に亡くなった伴侶・小倉さんの写真が枕元にあったので、思いがけず拝むことも出来た。
どういうのがいいかなと二人でネット検索して、感電の恐れとかない、このハロゲンヒーターがイイね!という話になり、じゃあ午後から行ってくるねと雅子さん。
数日後、どうしたかなと気になっていたら、木1ファミリーのミーティングで、
「・・・というのでヒーター買いに行こうと思ったんだけど、体調がイマイチだったから行くのやめたの。まだ、とっても寒いってわけじゃないから、いつまでストーブ無しでいけるか、やってみてもいいかなって。」と。
ファミリーメンバーからは、我慢しなくていいよね~とか、十分買う資格あるよ~とか、声もかかっていた。
その翌日、この冬最強の寒波が来ます! とかウェザーニュースで流れてきたのもあり、
“雅子さん、一人で買いに行くの億劫かな。やっぱり、一緒に電気屋まで行こう”
と思い立ち、連絡取り合って、車を走らせた。そういえば病気の治療に定期的に通うようになって薬の副作用があったり、免許も返納したりだったもんな、この間。
行ってみれば、もう買うモノを決めていたのもあって、ものの10分で終了。すぐに部屋まで運んで設置して使えるようになった。
二日後に出会った時、雅子さんから声がかかった。
「たった5分点けただけで、浴室暖まっちゃった。寒波来てても全然寒くなかったよ。」
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コミュニティで暮らす日本画家の岩田さん。
毎晩、斜め向かいの本山家にお風呂に入りに行っている。
キッカケは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の治療の一環で、寝る前に首や肩にシップを貼るのが、自分でやれなくなったこと。最初はシップだけ貼ってもらいに行っていたが、なにかその為だけに夜遅くに本山さんや照子さんの手を煩わすのもなあと躊躇する気持ちが岩田さんの中に出てきたみたいで、行ったり行かなかったり。その話をみんなの中に出した時、
「だったら、もうお風呂から入りに行って、最後にシップ貼ってもらったら?それで、洗濯ものも置いてきたら、照子さんも喜んで洗ってくれるよ。岩田さん、自分の家のお風呂、用意したり片づけなくてもよくなるし、洗濯もしてもらえるし~」
と小野さんが思い付いて、もうそこから半年、岩田さんの“本山家の暮らし”が続いている。

本山家の風呂に入りに行くと、
二人がこたつでテレビを見ていたりする。
僕が上がると湿布を貼ってもらい、
照子さんが肩を揉んでくれて、
一緒にテレビを見る。
とても気持ちのいい時間です
昨日はクラシックギター奏者の演奏に
聴き惚れた。
今日は、本山さんとユーミンデビュー50周年の
番組を見入った。
本山家でのちょっとした時間だけど、
そこで暮らしている感覚があって、
Diningの暮らし、Joyのある生活、
ミーティングのある暮らし、
みたいに、僕の中では、本山家の暮らしがある感じ
それで言うと、子どもたちとのお稽古の時間や
大人のお絵描きも、暮らしの中にある感じがする。
僕は何を暮らし、と表現しているのかな?
たぶん自分一人ではなく、そういう場や営みの中に
自分もいて、何かを一方的に受けている感じがする
満たされる場といえばそうだけど、
自分が、というだけではないものがある
そこに身を置いている
委ねているってかんじ?

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時々、この歳時記を読んでくれている人から、こんな問いを発せられることがある。
「歳時記を読むといつも温かい空気を感じるけど、コミュニティで一緒に暮らしていて、葛藤とか対立とか無いんですか?」
僕らは一人ひとり聖人君主でもないし、よくできた人でもないし、未熟で至らないことばかり。ミスやら失敗やら間違いも頻繁にあるし、そんな時、今までのクセや回路で相手を責めるような意識が頭を擡(もた)げることもある。
でも、そんな時、間違い無からんとして一緒に仕事に励んだり、暮らしているお互いなんだなあと見えてくると、“責める”ってことが明らかにその場にも自分の心持ちにも合わない、普通じゃない異常なこととして浮かび上がってくる。恥ずかしくなる。馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。
責めても頑なになったり隠したりしがちで問題の解決にはならないとか、やりたいのは責めることじゃなくて間違いの原因を究明することとか、理論的にもそうかも知れないけど、理論とか理屈よりも、“責める”ということが自分や社会にしっくり来なくなってきているなあ、というのがここで暮らしてきての僕の実感で、なんか自分の内や周辺から段々と消えていっているような・・・


美鈴湖から帰り道は、小学校の高学年になると、ほとんど歩きへと変わる。
誰かがそう決めたわけではないのだが、なぜかそうなってくる。
午後まで腰が立たないくらいに滑り倒して、そこからの下山。
仲間たちと子どもだけで、時には一人で。
これがまたチャレンジングで、曲がりくねった車道を戻る気は毛頭なく、獣道やら道なき道、崖なんかを滑り落ちながら下っていく。毎回新しいルートを開拓しながら。
家のある市街地まで15km程ある。今にして思うと結構な距離だが、やる前にあまり頭で考えず上級生の真似をして即やっているだけなので、大変だとか疲れるとかが出てくる余地がない。
時には怪我をしたり道に迷うこともあったが、山畑で農作業をしているおばさんと遭遇して、大根引き抜くのを手伝って、一本お土産にもらってきたり、浅間温泉の町中みんなが玄関先に繰り出して、野沢菜を漬けているお祭りのような日に偶々出くわして圧倒されたり、何かしら面白いことがあるので、また次も歩いて下山しようとなる。
夕方、家に着くと、そんな道中を知ってか知らずか、両親はいつでも涼しい顔で迎えてくれていた。
今のご時世なら、山道の安全面がどうだとか、子どもだけでは心配だとかなりそうだが、そういうことが容易(たやす)くやれる街の雰囲気というか社会土壌があったということだろうか。
その時その地で普通に暮らしてさえいたら、誰もがそうなっていける。
そこに親も子も、一切の疑念無く委ねられることの仕合せ。
“委ねている”とかいう意識すらない心の状態。


10日ほど前、
『只今、金4ファミリーでキムチ仕込み中~』
というメッセージと写真が直絵ちゃん純奈ちゃんから流れてきた。
今コミュニティには、韓国から来ているフンミとジンちゃんが居るから、彼女たちの監修のもと、金4ファミリー総出で本格的キムチ作りがスタート。
フンミの家の前でやる予定だったけど、あいにくの雨で台所やらリビングやらお風呂やらに広げての作業になったみたい。
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サラとウミとハルと一緒に、フンミの家に行くと、
玄関先にファームから沢山の野菜コンテナが届いていた。
ジンちゃんと居間のテーブルを運び出し、
広いスペースになった地べたにシートを広げて、まな板や包丁を用意した。
なんか韓国っぽい!、年末感がジワジワ~と。

円ちゃんと彩ちゃんがジンちゃん指導?の元、
大根、白菜、玉ねぎやらを運んで準備し始める。
拓也君もスライサー持参でやって来て、大根をガンガンすり始めた。
日頃お弁当やさんで仕込みをしているからお手の物かな。
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フンミとジンちゃんは時折ハングルで打合せしながら、
集まってくる金4ファミリーメンバーに色々と伝えていく。

9歳のサラはすぐに手伝いたいと、
フンミを横目で見ながら台所で一緒に下ごしらえ。
その姿は子どもの学び舎での感じ、そのまま。
よーくフンミを聞いてやってた。たぶんニンニクとかすってたかな。

ハルとウミはしばらく遊んでたけど、お手伝いしたいーとなって、
私とハルで小林家に子ども用の包丁を取りに。
それから円ちゃんが、ハルとウミが野菜を切れるように準備をしてた。
・・・
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フンミとジンちゃんの豪快な動きに惚れ惚れする感じ。
野菜にバンバン、キムチの種?タレ?を
混ぜ込んで、すり込んで、大袋に入れていく。
来る人、来る人に、「味見する?」
と口に放り込む空気感、なんだか懐かしい。
葉物野菜を洗おうかと、キッチンの台所だけじゃ所狭しなのか、
外で洗い出す二人の姿は圧巻。
・・・


やがてたっぷり漬けられたキムチは、専用冷蔵庫の中へ。
人から人へ、親から子へ、引き継がれるもの。
こんな光景もコミュニティの年末風物詩になっていくのかも知れない。
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どの時代も、どんな土地でも、子どもたちは、ただただ委ねて生きているだけ。
その社会に、そのコミュニティに、その親に、その人たちに。
だから子ども達は輝きを放つ、純粋無垢に生きられる。
そのまま生き通せたら、疑念やら警戒やら生じないのが当たり前なんだろうな。
そこに何かの影響で抵抗とかが出てくると、どんどん狭い狭いトンネルに入り込んでしまう。そういう複雑なものが人生かのように思い違いしながら。
しかし大人だって、実は委ねているんじゃないだろうか。
どんなに意識は抵抗していても、生きているってことは委ねていることの現われ、委ねているからこそ生きられる。
もっと暮らしの実際が、生きていることの実態が明らかになってきたら、ツマラナイ“抵抗する意識”も自ずと雲散霧消していくかな。委ねたくなっちゃうかな。サラッと。
生きとし生けるもの、みな委ねて、委ね合って、この世界を生き、よりよい明日を共に創り合っている。微生物も植物も昆虫も動物も、そして人間も、絶妙に関連し合いながら、それぞれのやり方で、それぞれのペースで。そんな無数の命の動的調和が脈々と流れ続けている。勝手な人間の考えを笑い飛ばすように。
そこに、そういうお互いに“責め”など有る筈がない。
無限の中の、一粒の私、一滴(ひとしずく)のコミュニティ。
だが全部繋がっている。

さあ、明日から新しい年。
どんな一歩を踏み出そう?
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