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ここにまず一歩 遠慮気兼ねのいらないSCSづくりから

鈴鹿カルチャーステーション(SCS)の集中研究会、やってみての感想の感想の第2弾です。目的の実現に向けて、身近なところから第一歩!

なかなか、人と人とは難しい、と、
自分というものを意識しはじめる頃からか、そんな感じだろうか。
そして、人と付き合うより、自分のやりたいことをする方が
楽しい、となって、自分の世界に篭っていく、そういう感じだった
かな。
それでも一人孤独にはなりきれないから、ほどほどのところで
仲間というか、そういう所にも自分を置いて、孤独を紛らわす。

しかし、どこか自分と他人との間に壁のようなものはある。

他人は他人だし、自分は自分だ、自分のやりたいことを
やって、幸せになっていこうと、
何かやることを見つける、そこにやりがいを見つけて、
充実感や達成感、他からの評価も得ながら、満足感に浸りながら
過ごす。

われ、ひとと共に、みんなと共に、幸せに生きよう、というのは、
自分の目標を達成させるための手段のような…

みんなと繁栄することが手段で、目的は自分の夢を叶えるため。
まあ、そんなふうに取り違えしていることに、
言われても分からないし、自分でも、真剣には考えない。

それは、自分の生きる目的は、こうだ、と決めているからか、
やはり、達成感や充実感、満足感を得たいがために
自分の目標へ突っ走る。

あれもやった、これもした、と自分のやったことで、自分を
満足させ、自分は成長しているのだと自分を見る。
そういう方向に向いてしまうのは、もちろん社会全体が
その方向に動いている、ということもある。

それはなぜか、
やはり、人とは、こういうものだ、という固定観念が、
なかなか、本当の方向に向かわせない、ということが大きいと思う。

仲良い時もあれば、悪い事もあるし、
一人ひとり違うから喧嘩もするし対立もある、
そういう人間だから、ほどほどで、うまいことやって
いくしかない、と。

僕は、そんなふうに思っていたし、そうしてきた。

みんなが一つになって仲良く楽しく繁栄している姿っていうのも
よく見えていない。
そういう実態に触れているかもしれないが、触れても鈍感な人間には
感じないし、逆に人の仲良い姿を訝しげに思ってしまう。

自分にはなれないよ、とか、
それは本当はなりたい、という気持ちの裏返しでもあるんだけど。

そういう本心を見たところで、「実際は無理だよ」
「自分には無理」と思う観念が邪魔して
本物に触れても、自分を納得させるために、そういう人たちを
どこか変だ、一部の変わり者だ、みんながみんなそうじゃない、
と、なんとか自分の正当性を証明しようと、
そちらの方に逃げていく。

心は頑なにもなるが…

では、そういう自分がいったいどう、その方向から転換して
きたのか、そこがとても重要な感じもするのだが…

その分かり方は、人によっていろいろある、かも。

理知的に行く人もあれば、体験によって分かる人もあれば、
人の情に触れて感じる人もあるだろう、
また、そのいろんな場や機会や、組み合わせ、いろんな方向
から、
僕もそんな感じだと思うが、
いずれにしても、このコミュニティに暮らし、
その人たちから齎されるものに触れて、徐々に徐々にと…

しかし、心底諦めていた(心底とは言えなかったかもしれないが)
ようなことが、霧が晴れていくように、見えてくると
「諦め」っていう心の底の問題までもが、消えていくんだから
それも一つの体験なんだが、

不思議なもんだ。

まずは、遠慮気兼ねのいらないSCSづくりからだなー
ここに一歩。
来年は、そこがどれだけ進めるかが、SCSの成長と
いえるところかもしれない。
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