鈴鹿の里山 NOW その2
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【エピソード その1】
そんなふうに思っていた4年前、高崎さんの元にKIESS(NPO法人循環共生社会システム研究所)のKさんから鈴鹿の里山の話が舞い込んできました。

しかし、彼女が上品な靴(ヒール)を履いて山へ入る姿に驚き、最初は、「僕は別でやる!」と心に決めて帰りました。その後、「自分も心をひろく持とう、こうやって里山を見つけてつなげていく人もいるんだな」と考え直し、一緒にやり始めたそうです(笑)。また、ちょうどその頃、子ども企画で里山を使いたいというTさんとも出会い、スタートしました。
【エピソード その2】
鈴鹿の里山は、鈴鹿市徳居町(とくすいちょう)にあります。鈴鹿市会議員I氏によってここの地主さんと知り合いました。彼は、「どんなふうに使ってもらってもいいよ」と言ってくれ、幅約20mの山の一部を使えるようになりました。ところが、やり始めて間もない頃、里山の境界がよくわからず、隣の里山の草刈りをしてしまったことがありました。
「崖が崩れる、勝手に刈ってもらったら困る!!」と、そこの地主さんが怒っているとの連絡を受け、謝りに行きました。その時、実はこういうことをやろうとしているんだと話し、これまでやってきた子ども企画の写真を見せると、「そうだったのかー」と賛同してくれ、「おれんところの山は、多少は椎茸植えたりしてくれていいよ」という言葉が返ってきました。里山の範囲が少し広くなり、原木シイタケづくりも始まりました。隣の隣の地主さんも「俺のところもつかっていいよ」と協力的で、さらに拡大しました。
地域の方々の協力的空気を感じて、安心して里山活動をやれるのだそうです。

【エピソード その3】
そして、今では里山メンバーが5人に増え、炭窯もできました。各人が関わるきっかけはいろいろですが、60歳過ぎの大人が、童心に返って嬉々として楽しんでいます。もちろん里山大好きの高崎さんも、一日中里山にいても飽きないのです。自分のやりたいことがやれて、あれができたこれができたと楽しいのですが…。

一時、高崎さんは、「僕は家族のことも大事だから里山を撤退したい」とみなに宣言したことがありました。「里山なくても、いいんや!」と実際に離れてもみました。
「自分がやるぞ!」とやっていくことで、足元が崩れる経験をしている高崎さんにとって、「お父さんはまた外に目が向いて…」という奥さんの言葉は心に突き刺さり、立ち止まったのでした。

一度里山を放してみると、力が入っていた自分に気づき、それからなにかしら変わってきたそうです。
奥さんは、「今日は里山でモーニングしましょう~」と言ってくれたり、里山をやりたいという人達が寄ってきたり…。今は、「里山で何をしたい!?」、「何を残していきたい!?」と自問してみると、一緒にやっている人と話し合っている、そういう状態の空気をつくっていきたいと思うそうです。里山を通して残していきたいもの。この3年でだんだん変化してきたようです。(記事 中野敏美)
*「鈴鹿の里山 NOW その1」は、こちら → 「その1」
【エピソード その1】
60歳過ぎてなにができるか!?
人生最後の活動になるかもしれない…。
それは里山でやりたい!
そんなふうに思っていた4年前、高崎さんの元にKIESS(NPO法人循環共生社会システム研究所)のKさんから鈴鹿の里山の話が舞い込んできました。

しかし、彼女が上品な靴(ヒール)を履いて山へ入る姿に驚き、最初は、「僕は別でやる!」と心に決めて帰りました。その後、「自分も心をひろく持とう、こうやって里山を見つけてつなげていく人もいるんだな」と考え直し、一緒にやり始めたそうです(笑)。また、ちょうどその頃、子ども企画で里山を使いたいというTさんとも出会い、スタートしました。
【エピソード その2】

「崖が崩れる、勝手に刈ってもらったら困る!!」と、そこの地主さんが怒っているとの連絡を受け、謝りに行きました。その時、実はこういうことをやろうとしているんだと話し、これまでやってきた子ども企画の写真を見せると、「そうだったのかー」と賛同してくれ、「おれんところの山は、多少は椎茸植えたりしてくれていいよ」という言葉が返ってきました。里山の範囲が少し広くなり、原木シイタケづくりも始まりました。隣の隣の地主さんも「俺のところもつかっていいよ」と協力的で、さらに拡大しました。
地域の方々の協力的空気を感じて、安心して里山活動をやれるのだそうです。

【エピソード その3】
そして、今では里山メンバーが5人に増え、炭窯もできました。各人が関わるきっかけはいろいろですが、60歳過ぎの大人が、童心に返って嬉々として楽しんでいます。もちろん里山大好きの高崎さんも、一日中里山にいても飽きないのです。自分のやりたいことがやれて、あれができたこれができたと楽しいのですが…。

一時、高崎さんは、「僕は家族のことも大事だから里山を撤退したい」とみなに宣言したことがありました。「里山なくても、いいんや!」と実際に離れてもみました。
「自分がやるぞ!」とやっていくことで、足元が崩れる経験をしている高崎さんにとって、「お父さんはまた外に目が向いて…」という奥さんの言葉は心に突き刺さり、立ち止まったのでした。


奥さんは、「今日は里山でモーニングしましょう~」と言ってくれたり、里山をやりたいという人達が寄ってきたり…。今は、「里山で何をしたい!?」、「何を残していきたい!?」と自問してみると、一緒にやっている人と話し合っている、そういう状態の空気をつくっていきたいと思うそうです。里山を通して残していきたいもの。この3年でだんだん変化してきたようです。(記事 中野敏美)
*「鈴鹿の里山 NOW その1」は、こちら → 「その1」
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