コミュニティ歳時記12月号 【Prelúdio】

鳥籠の扉を開けると、2羽の文鳥が徐(おもむろ)に顔を出し、部屋の中に飛び立った。
ついさっきまで、食事をしながら言葉を交わす僕ら6人を、籠の中から時折、首を傾げながら観察して、微かな囀(さえず)りで呼応していた2羽が、今僕らの輪に加わった。
どういう訳か、Antjeがお気に入りのようで、ずっと彼女の手や肩や頭に飛び移っては、一緒にドイツ語でお喋りをしている。
「この子たち、2羽とも男の子だからね。」
と照子さん。
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Diegoは、声を掛けたり、手を伸ばしたりして、文鳥を自分の方に引き寄せようとするけど、彼らの関心は専らAntjeと隣のAlexのようで、Diegoの思うようにはならない。
「本山さん、あのクラシックギターどうした?」
不意にリビングの壁にかかっているギターを指差してDiegoが尋ねる。
「あゝ、拓也が使わないというのでもらってきた。Diego弾いてみる?」
そう言って、本山さんはギターをDiegoの手元へ。
「よし!弾こうか。ギターの音色にツラれて、彼らも僕の方に来るかもな!」

「エイトル・ヴィラ=ロボスのプレリュード1番弾けるかい?」
突然の本山さんからのリクエストに、調弦をしながらDiegoが軽く頷く。
演奏会が始まった。
不覚にもヴィラ=ロボスの名前は知らなかったが、Diegoの指先から繊細な音が爪弾かれると、確かにどこかで聴いたことがあるなあと脳が即座に反応した。
「僕が中学2年生の時に、大学生の従兄弟がこの曲を弾いてくれてね。僕はイチコロにやられちゃったんだよ。」
本山さんの瞳が輝く。ロボスはブラジル出身で、クラッシックの技法にブラジル独自の作風を取り入れた20世紀を代表する作曲家。
フレンチホルンの名手・Alexも、ヴァイオリンと共に育ってきたAntjeも、文鳥たちも暫し囀りをやめて、軽やかに踊るDiegoの指先を見ながら聴き入っている。
そして僕の脳裏には、Diegoの5年間が静かに流れてくる。
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今年の春、5年ぶりにブラジルの大地を踏んだDiegoのことを4月号の歳時記でも少し紹介したが、その後また日本に戻ってきて、ここでの研修や暮らしを続けていた。
9月にスイスから研修に来たAlexとAntjeの受け入れも僕と一緒に担当して、この3か月ずっと一緒に過ごしてきた。そして愈々、20代後半からの5年余りの学びと実践の日々に区切りをつけ、明後日・11月28日再び日本を発ち、これからはブラジルを拠点に生きていくことになる。Diegoにとっては、人生の次のステージへと踏み出す日。
“Diegoの5年間”、あんなことあったな、こんなことあったな、あの場面でのあの人からの一言、涙を堪え切れなかったあの時、こんな人たちに受け容れられ、こんな機会にも恵まれたな・・・浮かんでくることは数多(あまた)あるが、僕の頭の中にあるそれらをテーブルいっぱいに並べたところで、この5年間を表すことは到底出来ない気がする。
果たして、どれだけのものが、Diegoに注がれてきたんだろう?
周りの人から、モノから、社会から、自然から、見えるところで、見えないところで・・・
実のところ、何にも分かっちゃあいないなあとなってくる。
ただ、その5年間の総体が、Diegoの中に厳然とあるし、僕の中にもあるし、共に暮らす皆の中にもある。だからDiegoがブラジルに行くと言っても、離れていく気が全くしない。自分の一部が行くような、自分自身が一緒に連れられて行くような不思議な感覚がある。
どこにも“別れ”がない。
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韓国から3か月の研修に来ているグムちゃん。
パートナーのドンハと、2歳の息子ソンギョルと、もっと長期で鈴鹿コミュニティでの研修を続けたいと思っている。
ただビザの関係でいろんな制限もあり、どうしたものかと思案中。
その中で、ソンギョルを韓国で誰かに見てもらって、その間グムちゃんとドンハが日本に来たらどうかという案も出たらしい。でもグムちゃんは、
「韓国にはとっても親しい友人もいるからソンギョルを預けることも出来るけど・・・何故かは分からないけど、このまま鈴鹿コミュニティにソンギョルを預けて、私たちが韓国と日本を行き来した方が安心な感じがする。韓国の友人のように、この人とはとても親しいって人が日本には居るわけではないのに。なんでだろう?」
と言っていたらしい。
グムちゃんの内面がそんな風になってきているのは、ホントどういうことなんだろう?
そのことが、AlexとAntjeとのミーティングで話題になった時、Antjeはこんなことを言っていた。
「今でも、ソンギョルが親と離れて暮らしている場面あるけど、ここの人たちは誰も“お母さん、お父さん居なくて大丈夫?”とソンギョルに言ったり思ったりしないね。でも世間では違うね、お母さん居なくて大丈夫?可哀想だね!と周りの人は、そういう目で見て言ったりするね。」
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ガイアユースなどに参加していた早稲田大学の桃ちゃんが、自身の卒論の中で、”第4章「つながり」という豊かさを育むコミュニティの事例”というので、アズワンのことを採り上げ書こうとしている。
桃ちゃんに限らず、ここ数年、卒論で書いてみたいと相談に訪れる大学生(なぜか今のところ全員女性!)が後を絶たない。
桃ちゃんとのやり取りで、初めて聞いた言葉がある。それは、
“Social Capital”
桃ちゃんが担当の教授に、卒論でアズワンの事例をこんな感じで書いてみたいと言ったら、
「それはSocial Capitalの事例だね。“社会関係資本”という観点から書いてみると良い。」
と勧められたのだという。お金とかモノではなく、社会関係・人間関係を資本と捉える見方があるんだと新鮮だった。
12月15日が締め切りとかで、ここ数回にわたってやり取りを続けているけど、桃ちゃん自身、ここで体験したことを通して、その実態を表してみようと、筆を進めている。


『どんなに良い原石や材料が豊富に揃っても、設計や施工を間違えれば、見た目に立派な建物も風が無くとも倒れて醜い姿を晒(さら)すだろう』
そんな趣旨の一文を目にしたことがある。
これは何も建物のことだけではないだろう。
“ヒト”という豊富な良材を、設計・施工するのは、“社会気風・社会システム”だろうか。
いかに優れた人でも、自分自身を設計・施工することなど出来ないだろう。
たった今も80億人を超えたという豊富な人材が地球上に揃っている。
これからも次々と生まれてくる原石・良材。
社会の気風やシステムが追い付いていない分、あたらその良材も、生かし切れていないとしたら、なんとも口惜しい。
ここまで来た人間社会。
その気風・システムを完全ならしめるための一つの端緒として、“Diegoの5年間”も“鈴鹿コミュニティの22年間”も世界の頭脳から研究され、使われることを願う。
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Diegoのギターに聴き入っていた文鳥だが、相変わらずAntjeとAlexからは離れない。
さすがにDiegoも自分の方に文鳥を引き寄せるのを諦めたようで、Alex達との会話に気持ちが入りだした。そうすると逆に文鳥たちは時々Diegoを訪れるようになった。
もうすぐAlexとAntjeもスイスに出発する。
彼らもまた、もっと鈴鹿で学びを深めたい、理屈ではなく本当に誰とでも溶け合える人になるために長期間、ここで研修したいと企図している。そして、自分たちに続いてヨーロッパからやって来ようとしている青年たちの顔が幾つも浮かんでいるようだ。
Diegoには“5年前の自分”と彼らが重なって見える。
AlexとAntje は、今のDiegoの姿に“5年後の自分たち”を見ている。
僕の耳には、Diegoが弾いていたヴィラ=ロボスの音色とリズムが響き続けている。
preludioはプレリュード、前奏曲。前ぶれ、前兆。その第1番。
この場面でのこの曲の何気ないチョイス、本山さんお見事!と言う他ない。
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今日の昼頃、ブラジルへ向かったはずのDiegoから電話が入った。
「サカイさん、航空チケットの名前の表記がパスポートと違っていたね。名古屋セントレアから成田までの国内線は大丈夫だけど、成田からの国際線、航空会社が乗せてくれるか分からないと言ってるね。どうしようか?」
意気揚々と出かけて行ったのだが、ちょっとビビっているようでもあり・・・
「今からチケットの買い替えも容易じゃないし、とにかく成田行って頼みこもっか。」
「分かった。ダメだったら、一度鈴鹿に帰るか。」
スマートに旅立ちたいところだが、最後まで何があるか分からないのがDiego。
どうなるか分からないのは、彼だけじゃない僕もだし、誰もがそうか・・・
それでも数時間後、この界隈でDiegoは乗れたのか?帰って来るのか?と賑やかになっていた頃、メールが来た。
「チェックイン、バッチリです。See you!」
添えられてあった写真には、主翼と雲海の間に雪を冠した富士山が薄っすら浮かんでいた。
今度こそ、本当に飛び立ったかな、Diego。
さぁお互い、次のステージへ!
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