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限りある命が語る彼岸前

3月15日~16日の「ふだん着で探訪DAY」には、トランジション大阪の一行と、HUB京都の女性が参加しました。今回の様子を、コミュニティ案内した宮地さんのブログ「かたつむり・つれづれ」から抜粋し、紹介します。
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「このままの社会を子や孫に残して死ぬには忍びない」
今回の訪問呼びかけ人のNさんの気持ち。僕も同感だった。


ちょうどお彼岸の1週間前、3月15~16日、大阪からシニア世代の一行5名が
アズワンコミュニテイ鈴鹿の探訪DAYに来訪した。
今回の訪問呼びかけ人Nさんとは、3月1日オールトランジションIN大阪で出会った。漢方の薬剤師としてホリステックヘルス研究所の活動のほか、緑の大阪の運動にも参加している。政治のチャンネルだけでは物足らず、社会や暮らしのレベルで血縁を越えたつながりがどうしたらできるかを模索している。
70歳を越えて、意気軒昂。奥さまを同伴されてきた。

探訪DAYには、20代の女性二人も加わった。見学は一緒だった。
「はたけ公園」、産業としての「鈴鹿ファーム」、「おふくろさん弁当」の見学。


アズワンコミュニテイの社会の仕組みとしての「コミュニテイオフィス」、「ライフストア」、地域の中の文化活動や人と人が出会う場としての「鈴鹿カルチャーステーション」でも話を聞いた。
サイエンズスクールでは、やさしい生き方「マイライフセミナー」の紹介があった。



夜の懇談会は、シニアグループと若い女性グループが分かれてやることになった。Nさんたちは残念がった。Nさんの奥さまは笑っていた。



探訪してみての感想。
Yさん
「血縁を越えたつながりをつくっていくには、人と人が行動をともにする必要がある。どんな風につながりを深めるか、そんなとき地域通貨が大事と思うが、なぜやめたのか」

Nさん
「どこでも楽しげにやっていると感じた。つねに、自分の心の中を見て暮らしているというが、実際はけんかがあったり、いろいろあるんじゃないか。ホントのところを聞きたい」などなど。


話の流れでNさん夫妻のやり取りが話題になった。
奥さまが、おでんを何日か分こしらえた。
それを見たNさんは、「なんでそんなにたくさんつくったのか?」
と反応したという。

「Nさんが好きと思って、いろいろ考えて、つくったのに・・」と
奥さまはいやな気持ちになったという。

お互いの気持ちを出し合ってみると、
お互いに「ええ、そんな気持ちだったの!」となった。
その夜はそんな話題で、笑いながら話し合えた。

翌日、昼ごはんの前の懇談会にて。
「1泊2日の探訪を通して、どんなことを感じましたか?」との問いかけに…。
Nさん
「街の暮らしといっても、アズワンさんのように、近くに里山やはたけがあるのがいい。自分がやりたいという人が好きでやる。そんな場ができたらいいな」

「そうですね、自分のなかにも、社会のなかにも”ねばならない”というのがなくなったら、どんなに安心で楽になるか・・」
とアズワンにかかわって暮らす人の弁。

Yさん
「そうはいっても、”やらなくてはならない”ということはある。
好きなことをやったらいいと言って、食べ物をつくる人がいなくなったら、社会が成り立たない」

Nさん
「社会の中には、食べ物をつくるのがやりたいという人も出てくるぜ」

Yさん
「やりたいことだけやるでは、出来ないと思う。
ねばならないということをどうやって、
やりたいことに変えていくということじゃないか」
懇談会は白熱してきた。

Nさん一行はそんな会話が当たり前らしい。
「喧々諤々やったあとも、あとくされがない」とNさん。

命あるうちに、少しでも、人と人が安心して、その人らしく自由で豊かに暮らせる社会の端緒をNさんの暮らす地域にも実現できないものかなあ。
その一歩って、どんなんだろう?

この探訪をきっかけに、ふだん着の付き合いで、そこをともに考えていきたいと思った。それで浮かんできた一句。 ---  限りある命が語る彼岸前 ---
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