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日本でのあたたかかった日々

今年2月、8日間のアズワンコミュニティ体験にやってきた韓国サンマウル高校生。
男子学生スミン君のコミュニティ体験感想です。
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パク.スミン
空港で4人

自由の森学園との交流に続いて、また一週間日本行くようになった。
今回も旅行ではなく、鈴鹿コミュニティというコミュニティを7泊8泊で体験する。

期待半分、不安半分で始まった。
僕一人が一年生で、他の三人は三年生のお姉さんたち。
男ひとりでもあり、僕一人の時間を過ごす工夫をした。
それでも結論から言うと、今回の旅は楽しかった。
思ったよりあたたかくていい街だったし、
お姉さんたちと仲良くなる機会ともなった。
スミンとヒジン

(中略)


8日間、用意されたさまざまな日程。
僕がここから得たものは、「目には見えないあたたかさ」だった。
鈴鹿が望む社会は、人と人が親しい社会、あたたかい社会である。
僕はそれを感じて帰ってきた。

お茶会にて

昔、共同体社会の営みで、お客をもてなすということは大きな意味があったと思う。
でも、「ホスピタリティ」という言葉は、今では少し衰退している。
今の時代は、お金がおもてなしの条件になったんじゃないだろうか。
しかし、僕は、ここで「歓待」をもらった。

奈良公園で

アズワンコミュニティの皆さんが、
僕達を心から受け入れ、
僕達と親しくなろうとしてくれた。
僕たちも、鈴鹿の方々も、お互い溶け合おうとした。
また、僕たちに対しての心配りを感じた。

「お客さんを歓待する(もてなす)」ということを形式的にではなく、
心から僕達を歓待してくれていると感じた。

植菌植菌3

人の気持ちをあたたかいと感じるのには、理由はない。
僕が鈴鹿で感じたあたたかさは、文書では表現できない。
僕たちに会って喜んくれる姿。
日本語がしゃべれない僕たちに、職場体験の時も、
いつでも考えてくれる姿。
言語の壁があっても、僕たちと話そうとしている姿は、
文章ですぐ書けることではない。
物質化したり、数値化できない、でも、人間だからこそ感じられる。

伊与田さん

そして最終日、僕達が船に乗って鈴鹿を去る時、
伊与田さんも目頭が赤くなって、
お姉さんたちも僕も泣きそうな顔になったということだ。
その前日のお別れ会の時は、そのまま泣いた。
さみしさが感じられた。

伊与田夫妻

韓国を離れて一週間、もう家に戻りたいと思う頃なのに、
さみしいさがこみあ上げてくる。
来年もまた行こうと約束した。
とても楽しかった。
集中
また行く時は、日本語の勉強一所懸命して、
自分の言葉でここの人々と交わっていきたい。
あたたかさは感じたが、その人の思いはよく聞けなかった。
日本語で自分の考えを言って、相手の考えを聞くことができるようになったら、
必ずまたいくつもりだ。
そして鈴鹿のことは一生忘れない。お茶席前で
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