韓国女子大生から見たアズワンコミュニティ
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2011年1月18日〜2月1日、柳相涌さんの姪とその友達3人の女子大生4人が、アズワンコミュニティ鈴鹿に交流に来ました。
ゲストハウスに宿泊して、アズワンカンパニーの3つの職場を体験したり、SCSで様々な交流をしたり、ホームステイをしたり、観光に行ったり・・・。
こうやってアズワンコミュニティに訪れた韓国の若者のレポートを紹介してみたいと思います。
まったくこのコミュニティのことを知らなかった若者達が、言葉も思うように伝わらない中、何を感じ取ったのでしょうか?
このコミュニティに現れた社会気風の一端を捉えているように思います。
ファンボ イェビン
アズワン(職場)では、『大丈夫だ』という雰囲気があるのを感じた。
約20年を暮らしてきて、いつもうまくやろう、間違い無しによくやりこなそうと、ぐっと緊張して暮らしてきた。 しかしこちらでは、どうしてもすべてうまくやろうと努力する私でなく、事実は間違いだらけである私でも大丈夫だという感じを受けた。 韓国で仕事をする時、早く学ぶことができず、早く上手になることができなければ競争ではじかれて、大変な雰囲気だった。
しかし、アズワンでは、ゆっくり学ぶ人でも大丈夫だという感じだった。
金周 允(キム ジュユン)
*職業体験1 弁当店
私が思ったより弁当店の仕事は簡単だった。
常に韓国でバイトを始めようとすればなんだか分からないこわさを感じたし、バイトをする時にも常に緊張した心だったが、 (私たちがしばらくとどまって行く, 旅行客だからかもしれないが) こちらの雰囲気自体が余裕のある感じだった。
誰も仕事を催促する人はいなかったが 10時まで配達して売らなければならないお弁当をすべて作り出した。
初めて仕事を始めたがすぐ適応することができた。 ・・・・
弁当店で一番感銘深かった事件は, 私が自転車で他の友達も乗せていったために体力が消耗されて大変な日があったが、 その日も自転車で早く走って息切れがして仕事をしに行ったが力が出なかった。
その時, ゆっくりお茶飲みながら休みなさいとおっしゃって, 私が休みながら座ってできる仕事をくださったがすぐしようと思ったら、 いえいえしっかり休んでからゆっくりゆっくりしなさいと言った。
その時本当に感銘受けた。 本当に徹底的にしっかり休んで仕事を始めるように気配りしてくださる点が本当にありがたかった。
常にパリッするようにくたびれないで仕事をしなければならないような雰囲気で仕事をしていたが、先にしっかり休むように思いやってくださって感謝した。
職業体験2 農場
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何か自然と働きながらよく分からないが、胸がいっぱいになり、清浄さみたいなことが感じられたと言うか。
なによりもそのように仕事をしていた農場青年が親切で余裕を持ってよく見守ってくださったから、もっと仕事が楽しかったようだ。
初めて仕事をしに行った時、 「今日は初日だから急にしなくても良い。 ゆっくりゆっくりしなさい」といったお話が私の心をもっと安心させてもっと熱心にしたくなるようにした。
農場仕事も休む時間があったが、ビニールハウス近くでたき火をくべてさつまいもとサトイモを焼いて食べて楽しかった。
休む時間に農場青年スバラシサン(私たちが付けたニックネーム。 本名はKobayashiさん。)と話し合っている途中、 東京で 8〜9年位暮したということを知った。
この旅行の前に 8日間東京旅行をしたから、どの都市が一番気に入ったかと聞いて見たら「ない」という返事。「東京は心が痛い都市」と言った。
とても印象的だった。
確かに東京は私が住んでいる韓国や首都圏のように大都市だったし、 スズカのアズワン村よりは余裕がなさそうな所ではあった。
「やっぱりこちらの方々は心を重要視しているな」という気がしたし、実はその部分はあちこちで確認できた部分だった。
こちらの村の方々は確かにどんな成果や結果物みたいなものより心、 人との交流をもっと重要視しているようだった。まず私たちにそのように接したからだ。
ノ インオク
初めて仕事をしたミッキーミットで、ミキトさんが言った言葉が一番記憶に残ります。
私が仕事が下手で失敗している時、ミキトさんがゆっくりしなさいと何度もしても良いと言ったからです。
夏休みの時バイキングで働いたことがあったが、あまりにも忙しくてうるさいキッチンでは到底ありえない状況でありました。
それで韓国では「早く早く」を叫ぶが、日本は違うようだと申し上げたら、「誰でも初めはあるもので、仕事がどんな感じなののか見て考えれば、自ら悟るようになってだんだん上手になる」とおっしゃってくださいました。
「早く早く」は次の問題であることです。
韓国で「早く早く」を叫んで、新入社員には気付きとセンスを要求する韓国の順序は違うのではないかという気がしました。
そして印象的だったことは、我が国のプムアシ(助け合い)をうかがうことができた点です。
お弁当店にお母さんたちが交替しながらいらっしゃって働く姿で。
お金を儲けるために職場に出たという感じよりは、お互いに助けながら生きて行っているという感じがしたし、一般的な会社であり得る職場上司等との葛藤などは見られなかったです。
そして皆仕事外にも村内で絶え間なく交流がつながっている姿を見られました。
私たちが言ったことがないのに村人々が皆分かっている状況があったからです…
仕事で葛藤があっても、私的な集まりを通じて解くことができる時間を持つことで解決になって争いが起きることがない雰囲気が作られていました。
私は大学に入学して休みの時度にバイトをして来たから、このような姿が不思議で羨ましいだけでした。
韓国で私は働く度になぜか分からない不便さを持って仕事をしたからです。
上司によく見られなければならないようでです。
それで一日の仕事が終わってからは緊張がとけて頭は混迷するまま夕方を送ってまた出勤する日常を繰り返しました。
もちろん日本も違わないと思います。 しかしこちらは違いました。 コミュニティの役目がまさにこのようなものではないかという気がしました。 人と人を受け継ぐ大事な道具で使われているという感じでした。