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研修生コース出発にあたり

 固定したものの見方は、当たり前すぎて意識すら出来ないと思っていた。「諦め的に、消極的に」物事を考えてゆく自分の回路はいったいどこからきているのだろう?実は、最初の最初、「そのものをみて」、「そのものをきいて」まずそこからのスタートであるということが、今回の研修生コースの中で、じわーっという実感を伴って、僕の中にしみていってきたような気がする。何よりも、自分の頭の世界に収まりきらない世界に、今生きているということが、ほんの少しながら、僕の心をやわらかくしていってくれているようだ。 
 
 「すべてが自分の感覚である。」ということが、実例を出しながら、検討してゆき、自分に向きあうことによって、ようやく、その地平に足をつける感じがした。
 自分の中に、ものを見たり、聞いた時にに確かに「受け取り」があり、その後で、自分固有の反応が起こっていると思うけれど、慣れ親しんだ、従来観念で、すばやく、外に出た反応に関心が飛んでいってしまう。その後で、いくらでてきた反応を触ってみても、つついてみても、何ら自分の世界に変わりのないということを感じたかなと思う。本心まで覆い隠すような、強力な固定観念、「僕の常識観念」実は、「自分の」という意識が全くといってよいぐらい、”あたりまえになりきった”そういう考え。今まで、それをもって暮らしてきたし、今の自分の暮らしも、ほとんどそれの延長上にあるのじゃないかとも思う。

 いくら本心をといっても、認識の仕方に過ちがあったなら、そこには行き着かないのだと思う。繰り返し、繰り返し、「私が見て」「私が聞いて」そこから立ち上がってくる、私の中の反応を、素直に観察し、機会あるごとに、検討の場にだしてゆく、自分を知ってゆくということが、自分を含めた全ての人の幸福に繋がってゆくということが、わずかながらも、今の自分に実感できたこと。みんなのなかにあって、初めてそう感じられたことだと思います。まだまだこれからだと思います。焦点を絞って、日常がスタディライフになるように、暮らしてゆきたい。
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