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対談「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」文章化(その1)

サイエンズメソッド対談.jpg
10月の対談「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」
を文章化しました。これから毎週Webサイトにアップロードします。

10月の対談については、YouTubeで動画が見れます。
https://youtu.be/pqCM5PseOPw

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アズワンネットワーク
今日の企画は、サイエンズについて小野さんとじっくり対談をしてみたいという、三木さんの提案を受けて、それは面白そうだということで始まりました。
それぞれ簡単に自己紹介をしてもらいたいと思います。では三木さんからよろしくお願いします。

三木
こんにちは。千葉から来た三木卓です。
簡単な自己紹介をします。長く出版社に勤めたのですが、出版社に入ったその時点で、すでに社会にも絶望し、自分にも絶望していました。
本が好きだからっていうことで、仕方なく出版社にもぐりこんだ感じでしたから、入社しても夜な夜な一人で酒を飲んでは、哲学書や文学書を読んで部屋の中でウダウダしていましたね。会社の上司から「お前、いつまで出てこないんだ、早く出てこい」と怒られるようなダメダメ社員でした。
ある時、OSHOというインドの聖者の本を読んで、びっくりして、のちに私の師匠になるんですが、インドまで彼に会いに行きました。1988年です。
彼のまわりには静寂のエネルギー場とでもいうようなものができていて、そこに入ると、自然に自分の内側も本当に静寂になりました。宇宙と一つになるような体験をし、こんな意識状態があるのだと知りました。その経験からブッダとかキリストのような人たちはこの地球上に実在したのだということも理解できました。
OSHOのエネルギー場の中に人々が集まり、愛と喜びに満ちて暮らす共同体が自然に出来ていました。有給をとっての旅だったせいもあって、彼の元に滞在したのは2週間でしたが、これが地球全体に広がったら本当に地球は天国になるな、とも実感しました。
その確信だけは持って日本に帰ったのですけれども、その静かだった意識がザワザワザワザワとしてきて、いつもの騒がしい心に戻ってしまったんですね。それ以来、あの意識状態に向かうことが自分の人生の目標になり、あの意識状態の人たちが集まれば、天国のような世界がこの地球上に実際にできるんだという可能性は知ったわけです。
しかしOSHOは1990年に亡くなってしまいます。その後ずっと、その可能性の実現を求めて探すことが続いていました。
そして昨年2019年、ユネスコ認証の持続可能な社会のための人材開発教育プログラムでGaia Educationというのがあると知って、ずーっとそういう問題意識があったので参加したのですが、そこで初めて鈴鹿のアズワンに触れました。
ガイアエディケーションの中で、参加者みんなで話し合いながら、いろんなことを深めていくっていうやり方に非常に感銘を受け、これが本当に社会が変わり、人が変わる、穏やかだけど確実な方法じゃないかなと思いました。
そしてその背景になっているサイエンズメソッドを学びたいと思って、ガイアエディケーションが終わるとすぐにサイエンズスクールに行ったわけです。それは8段階まであるんですけど、ほぼ毎月通って受けまして、ちょうどこの8月に「一つを実現する」という、最後のコースを終えました。
コースに行くたびに自分の目標、関心とぴったりだという確信が深まっていきました。
今回そのサイエンズメソッドを開発した一人である小野さんに、いろいろ話を聞いてみたいと思います。よろしくお願いします。

小野雅司
はい、僕の自己紹介させてもらいます。小野雅司と言います。1961年、東京都生まれの59歳です。学生時代から、社会について、自分について、いろいろ疑問が出まして、心理学も勉強してみました。心理学をやっていると、社会の問題が全部人の心に表れているということが見えてくるようになりました。
これは社会がよくならないと、心理だけよくしようとしてもダメだなあと、今度は社会の方に関心がいきました。学生運動とか、突然始めたんですね。ところが学生運動をしていると、平和活動しているのに喧嘩したりしていてね。仲間でも意見が違うと争い合ったりとか、「なんか違うなあ」と満足できなかったんです。
そういう中でいろいろ探しました。やっぱり人の内面、自分の内面も含めて、「怒りや争いが当然だとなっているままで、平和運動をしていてもなあーーー」と、思うようになり、自分の内面と社会の問題が同時に解決していくようなものはないかという、そんな問題意識がありました。
その頃ちょうどヤマギシ会という共同体運動しているところに出会って、ここだったら内面のことと社会のことと同時に進んでいけるんじゃないかという希望があって、大学出ると同時にその共同体運動に参画しました。以後約16年くらい活動してました。最後の3年間ブラジルに行って過ごしたのですが、そこでいろいろな矛盾が出てきたり、自分自身も願ってたこととどんどん違う方向に行っている感じがあって、「これではなあ」という限界を感じるようになっていました。それで2000年に帰国すると、ヤマギシ会を脱退しました。
その頃にヤマギシの中でもいろいろ見直そうという動きがあったんですけど、「一緒に、一回ゼロから見直そうじゃないか」っていう人たちも何人かいて、「本当にもう一回ゼロから、いったい自分は、何を本当に願っているのか」とか、「理想としているものが実現するのは、どうしたらそう実現するのか」と考えていました。
逆に言ったら、「ヤマギシみたいな、そういう願いを持った人たちがたくさん集まっているところで、なぜ実現しなかったのか」、そこを真面目に見直さないとなーというところから、鈴鹿で新しいスタートを切ったのです。
鈴鹿で今年20年になるんですけども、本当にゼロからやり直そうとしました。最初の5年くらいは本当にいろいろなことを見直したり考え直したりとか、「何がしたいのか」、「何が間違っていたのか」とか、「どこがどうなっいたのか」という感じで、そういうことばかり探究していたような記憶があります。そういう中から「サイエンズ」と今呼んでますが、新しい知能の使い方なんですけど、そういうものを5年くらいかかって見つけてきた感じがあって、そこから本格的にこのコミュニティのベースがつくられていったように思います。
今は「サイエンズメソッド」って言うくらい、だんだん中身も洗練されてきた感じですけど、始まりはそこからでした。
今はサイエンズ研究所って、研究部門で僕はやらせてもらっています。
鈴鹿だけじゃなくて、最近だったらブラジルとか韓国とか、スイスとか海外にも行って、「サイエンズメソッド」を使って自分を調べる方向とか、社会ができていく基盤がどうやったらできるかっていうことを、各地でサポートしています。ガイアエデュケーションも、鈴鹿会場でやるときには一緒に入らせてもらったりしていたんです。三期目に参加していた三木さんとはそこで出会ってね。今日はこんな機会まで作ってもらって、うれしいです。よろしくお願いします。

三木
では今日の対談の趣旨について紹介をしたいと思います。

サイエンズメソッドについては『サイエンズ入門』、『次の社会へ 人知革命』など何冊か出版されていますね。けれども、サイエンズメソッド自体の体験がないと、文章だけ読んでも、なかなか分かりづらいことがあると思いました。せっかくのサイエンズメドッドの素晴らしさを、出来るだけたくさんの皆さんとシェアできたらいいなという、僕の個人的な思いから始まって、賛同してくださる方々とこんな形で実現できるまで進んできたわけです。
今回のタイトル「次の社会への扉を開く 21世紀の禅!?」
と、クエスチョンマークが入ってるんです。21世紀の禅!?って。
僕の気持ちは、21世紀の禅だと思ってるんですけど、なぜクェスチョンをつけたかと言いますと、実は僕自身は禅寺で修行したとか、そういう経験は一切ない。いわゆる伝統的な禅って学んだことがない。それこそ禅寺で1回ぐらいは座禅したことがあるぐらいで、作法とか教えてもらった程度。そういう意味で日本人の平均的な形でしか禅を知らないと思いますが。
僕がもともと師匠であるOSHOに出会ったのが、英語の本だったんですけども、“Nirvana The Last Nightmare”という禅についての講演録だったんですね。
ニルヴァーナ、涅槃、そういう悟りの境地みたいなものですが、それこそが最後の悪夢になるよっていうタイトルです。
がつーんと来ました。ずっと、自分の人生の生きる目的などを、探し求めてきたにもかかわらず、見つからないってことで絶望し切っていたんですね。まさに悪夢です。
本の最初の1行が、「アイデアリズムが人間を殺す最も強力な毒だ」という文章で始まります。アイデアリズム、日本語に訳したら理想主義という感じだと思うんですけれども、それこそサイエズメソッドで言う「人間の考え」にあたるんです。人間の考え方が、実は人を殺している、人を生かしてないみたいな、そういうことをこの本で指摘されて、本当にハッとして。
「あ、まさに自分はそれだ」という感じがあって、これが禅の人たちが指し示したことかと思った。
だから禅の修行とかそういうのはしてないですけども、「あれが禅だな」って、まあ自分の勝手な体験ですが。
OSHOが、禅の問答を借りながら伝えていたことが、禅の本質だとしたら、それこそサイエズメソッドっていうのは、21世紀のほんとうに生きてる禅だなと。
伝統的な禅は、知らないから言っちゃまずいけど、形骸化してるんじゃないかなみたいに、いつくかの日本の禅の本を読んで思ったりもしました。
そうじゃない本当に日々の中で禅的なものを復活させる方法としてサイエンズメソッドがあり、その実際の現れとして、このアズワンコミュニティがあるというような思いを持ったんです。
それを来る度に、僕は確信していく。
だから本当に皆さんね、普通の感じで暮らしてるけどね、それが凄いことやってるなって。
はい、静かに感動しています。

じゃあ、まずはサイズメソッドの、端的に言って、目的って何なんですか?

小野
いきなりそこですねーー、ずばり言ったら、「人間が人間らしく生きられる」ことが、サイエンズの目的です。
禅など、どんな宗教でも、科学の研究などであっても、その真の目的は人が本当に幸せに、人間が人間らしく生きられるか、人間が人間らしく生きられる社会であるかどうか。
何であっても、本当はそっちの方向に行きたくてやっていると思うのです。そこを実現していきたい。サイエンズは、それを実現していきたい中で見い出されてきた、思考の方法と言いますか・・・。
さっきも言いましたが、自分がいろいろ理想を掲げてやってきても、なぜか理想と違う方向に行ってしまう。やはり人と人が本当に仲の良い、人が人らしく生きたいのに生きられなくなる。その原因は何か、と調べてくる中で見出されてきた考え方。そういう感じはしているのですけどね。

三木
先ほどの小野さんの自己紹介をききまして、ヤマギシ会での経験が非常に大きかったんじゃないかなと個人的に思うのですが。 ヤマギシも理想を目指して行った共同体ですけれども、そこで小野さんは自分の求めているものと違うなと感じられて、そこをまた出ていって、再びゼロゼロベースで始められた。

小野
そうですね

三木
そして鈴鹿での最初5年くらいは、ヤマギシでなぜうまくいかなかったかの問題も整理していた?

小野
そういう面もありますよね。理想を掲げて集まってきた人たちが、なぜまた同じようなトラップというか、同じ所にいくかということが・・・。

三木
その同じようなトラブルというのはどのようなトラブルだったのでしょうか?

小野
端的に言ったら、人と人、ですよね。
なんでもそうでしょうけど、人と人とが話し合えなくなったり、人と人との関係がまずくなったり。
人が悪感情に囚われていくというのは、やっぱりその人の中に、何かこれと決めたものがあったり・・・

三木
決めたものがあるというのは?

小野
あぁ、それは決めつけたり、ということ。
その結果ガンコになっているという、そういうことが人間関係を阻害することは、いろんな人も言ってますよね。僕たちもそう思っていました。ところが、そう思っている自分たちであるのに、なぜかキメツケたり固定していく、囚われていく・・・。

三木
何に固定されていくんですか?

小野
自分の考えですよねー。「相手が間違ってる」とか、「これは間違いなく正しい」とか、そういうこと。しかし、何が原因かと、僕たちも頭では理解してるわけですよね。

三木
すでに、そういうことは話し合ったり、検討している?

小野
そう、ざっとは理解している。ところが実際にはそれができていない。
それはヤマギシ会だけじゃなくて、僕ら自身が鈴鹿に来てからも、ゼロから見直そうと反省をしてきた自分たちも、そうなんですね。
いよいよ鈴鹿でスタートしてやっていくんですけれども、やっぱり同じような問題が現われてくる。ゼロから始めようと言って、それを体験して、反省もして、問題も分かったーーー

三木
固定しているのが問題だって分かってる・・・

小野
はい、そういう自分たちが鈴鹿でスタートして、やっぱり同じような問題が現われてくる。「あれ?これはどういうことなんだ?」と。
これはもう「人間というものはそういうものか」
という感じにもいきそうだったけれど、
「いやいや、待て」と。
「これで諦めてしまったらお終いではないか」と。
これはゼロからスタートしてやろうとしている自分たちに現れているけど、自分たちの意識の下にそういうものが根深くあって、いくら理論で知ったとしても、実際にはそうなっていかない。これは自分たちの範囲に留まらない問題ではないのかーー。

三木
こういう言い方はできるのかなと、今聴いてて思ったのは、自分が信じたいこと、「人類は一つ」とか、「私は優しい人だ」と信じたいことがあるけど、でももうなんか信じちゃってることとか、無意識の信念というか、全然違うことを実は信じてるから、そこを観なくちゃいけない。

小野
そうですね、逆に言ったらそこの自分の心の状態が、つまり、意識じゃない、意識の奥にある価値観、世界観や人間観が現れて、いろんなことが起こっているだと気づいたわけです。
人間の無意識のところがどうなっているかを調べないと、いくら口ではよいことを言っても実際には成っていかない。そこを調べる方法を見出そうとして、サイエンズメソッドができてきた。
だから逆に言ったら、環境の中でできてしまった見え方だったり、心の状態ですけど、その奥にはもっと人間本来持っているものはあるんじゃないかって、調べる中で見えてきました。
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